『天井桟敷の人々』(てんじょうさじきの ひとびと、原題:"Les enfants du Paradis"「天国の子供たち」)は、1945年に製作・公開されたフランス映画。フランス映画史上に残る名作と言われる。第二次世界大戦中、ヴィシー政権下にあったフランスで製作され、監督はマルセル・カルネが務めた。製作期間に3年3ヵ月を費やし、製作費は16億円にのぼる、当時としては破格の規模で作られた大作映画となった。作品は第一幕「犯罪大通り」(Le Boulevard du Crime) と第二幕「白い男」(L'Homme Blanc) の2幕構成になっている。「愛し合う者同士にはパリも狭い」といった名台詞を生み出したジャック・プレヴェールの脚本でも知られる。各国の映画評論家から高い評価を受ける作品でもあり、数々の賞を受賞しただけでなく、後年の映画批評家等を対象にしたランキングでも上位にランキングされる、文字通りの名作である。以下は日本でのランキング舞台は1800年代(19世紀)のパリ。犯罪大通りのにぎわいから、物語は始まる。ガランスと彼女を取り巻く3人の男性、フレデリック、伯爵、バチストの関係に焦点を当てながら進んでいく。第1幕約100分、第2幕約90分。女たらしで無名の俳優・フレデリックはパリの街角でガランスに一目惚れ。饒舌に愛を語るが、ガランスは軽くあしらうだけだった。そんな美女・ガランスと悪漢で友人のピエール・ラスネール(偽名で劇中ころころ変わる)はパリの犯罪大通りにて、「フュナンビュール座」()の無言劇(パントマイム)の余興を楽しんでいた。そしてピエールは、そこの隣で一緒に余興に見入っていた裕福そうな紳士から懐中時計を巧みに盗み去る。そのことで濡れ衣を着せられたガランスであったが、盗難の一部始終を父親から才能がないと罵倒されていた芸人・バチストによってコミカルにパントマイムで再現され、彼女の疑いは晴れる。このことがきっかけで、バチストは夢から覚め恋に落ちる。一方で、フレデリックは公演中のトラブルを代役を演じたことがきっかけで「フュナンビュール座」で働くようになる。その後、偶然にもガランスと再会するバチスト。お互い惹かれあうものの、バチストの重い愛が2人を引き離す。そんな彼は無言劇で評判になり、フレデリックとガランス(丁度仕事がなかったのでバチストに紹介してもらう)も同じ舞台で共演する。すると、公演を見物していたモントレー伯爵はガランスの虜になり財力でガランスを口説く。しかし、申し出を断るガランス。その後、またもやピエールのせいで刑事の取り調べを受け、殺人未遂の共犯者として逮捕されそうになる。やむなく、ガランスは伯爵に助けを請うことに…。ガランスは伯爵夫人として暮らし、一方バチストはナタリーと結婚して男の子を授かる。フレデリックは「フュナンビュール座」を辞め、別の劇団に移ったものの相変わらず女遊びをしたり借金取りに追われたり、さらには「こんな芝居はたいくつだ」と言って劇中にアドリブで作家達を侮辱するなど、問題を起こしている。偶然にもフレデリックはバチストの芝居を観に行った劇場でガランスと再会し、バチストとガランスを再会させようと取り計らうが結局会えなかった。劇中に突然飛び出し失意に暮れるバチストだったが、友人・フレデリックの芝居『オセロ』を見に行きようやく愛しのガランスと再会できる。2人にはもはや言葉はいらなかった。しかし、一方ではガランスを手には入れたものの、彼女に愛してもらえない伯爵はガランスの思い人がフレデリックと勘違いし、嫉妬の矛先をフレデリックに向け決闘を申し込む。そこにピエールが割って入り、カーテンの向こうのガランスとバチストの逢瀬を両者に見せる。ピエールに激怒する伯爵にピエールは不敵な笑みを浮かべてその場を去る。翌日、謝肉祭の喧騒の中、ピエールはトルコ風呂屋にて伯爵を刺し殺す。パントマイム役者・バチスト、シェークスピア俳優・フレデリック、無頼詩人・ラスネールは実在の人物をモデルにしているという。2008年パリ国立オペラバレエ団によってバレエ化され上演された。現代では区画整理で消滅したパリにかつて存在した、オペラ劇場、軽演劇、悲喜劇、外国劇、ストリップ、古典伝統劇、見世物小屋、サーカス小屋などが密集した、浅草、道頓堀、ブロードウェイなどの様な地域の通称であり、常に様々な犯罪が頻繁に起こっていたためにこう呼ばれた地域の事である。かつて寺山修司が主宰していた劇団「演劇実験室天井桟敷」(1967-1983)は、少年時代に青森の映画館でこの映画を見て感動した寺山が、登場する天井桟敷で芝居を鑑賞する人々の姿から着想を得たと、彼自身のエッセイや元劇団員らが談話で語っている。文字通り、イラストに残されているバチストの肖像の舞台衣装を指している。「天井桟敷」とは、最後方・最上階の天井に近い場所にある観客席のこと。見難いので通常は一番安い料金に設定される。フュナンビュール座でこの席は「天国」と呼ばれ、ここに詰めかけて無邪気に声援や野次を飛ばす最下層の民衆は、子どものように賑やかだったので「天国のこどもたち」(日本初公開時の題名候補に『天井桟敷の子供たち』もあった)と呼びならわされていた(鹿島茂著:文学は別解で行こう 『天井桟敷の人々』と、その時代の巴里)。つまり、「天井桟敷の人々」はほぼ原題をそのまま日本語に訳したといえる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。