長與 善郎(ながよ よしろう、新字体:長与 善郎、1888年(明治21年)8月6日 - 1961年(昭和36年)10月29日)は日本の作家、劇作家、評論家。人道主義的な作風で知られた。医学者長與專齋の五男として東京に生まれる。長與家は、漢方医として代々肥前大村藩に仕えた家系である。1900年(明治33年)、東京麻布の南山小学校から学習院に転校。1911年(明治44年)、志賀直哉や武者小路実篤らの同人誌『白樺』に参加。同年、東京帝国大学文学部英文科入学、1912年(大正元年)に退学。関東大震災で『白樺』が廃刊になった後は『不二』を主宰する。1948年(昭和23年)、芸術院会員。1960年(昭和35年)、自伝小説『わが心の遍歴』で読売文学賞を受賞。作品に『盲目の川』、『項羽と劉邦』(白井鐵造作・演出の宝塚歌劇団初の一本立てミュージカル『虞美人』の原作)、『青銅の基督』、『竹澤先生と云ふ人』など。『項羽と劉邦』には、親交のあった画家河野通勢が挿絵を描いた。医学者である父・長与専斎は、内務省衛生局の初代局長を務めるなど日本の医療制度の開拓者であり、鎌倉由比ヶ浜に結核療養施設(サナトリウム)海浜院を開設、保養地としての鎌倉を拓いた人物でもある。善郎は8人兄弟の五男で末子。22歳年上の長兄長與稱吉は医師で父の功により男爵、妻は後藤象二郎の娘。長姉・松方保子は松方正義長男・巌の妻。次兄・長与程三は実業家(日本輸出絹連合会組長、茂木合名理事など)。次姉・長与藤子は善郎が6歳の時に15歳で海水浴中溺死(没後下田歌子が藤子や近親者の歌をまとめた追悼歌集『うたかた』上梓。藤子の死で両親は病み、長与家は暗澹たる淋しい生活に一変したと善郎は書いている)。三兄長與又郎は病理学者で東京帝国大学総長、男爵、妻は森村財閥(現・森村グループ)を築いた森村組創業者・森村豊の娘。四兄岩永裕吉は同盟通信社の初代社長。三姉・平山道子は、日本消化器医学会会長、日本医科大学理事なども務めた胃腸病学の大家で夏目漱石などの主治医でもあった平山金蔵の妻。妻に市川茂。
出典:wikipedia
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