デジタルアニメは、コンピュータ上で動画データを作成するアニメーション。CGアニメ(コンピュータアニメーションを参照)とも呼ばれていた。1990年代以降のコンピュータの高性能、低価格化、富士写真フイルム(現・富士フイルム)のセル(セル画)の生産中止、セル用専用塗料(アニメカラー)の調達問題などの要因によりデジタル化が急速に進展した。アニメにおけるデジタル(CG / コンピュータグラフィックス)化は、以下のように分類される。1968年のロシアで初歩的なコンピュータ(BESM-4)と印刷機により"Kitten"が制作された。印刷機で小さな四角形をアスキーアートのように並べて印刷用紙に出力し、その紙をカメラで1枚ずつ撮影して動画にした実験的なアニメーションである。内容としては滑らかに猫が歩く姿のシルエットが描かれている。また同年、日本でも山田学・月尾嘉男により、コンピュータ制御のプロッターを用いて、ワイヤーフレームの立方体を3次元的に回転させるようなアニメーションである「風雅の技法」の制作が行われている。この作品は第1回草月実験映画祭で入賞した。動作原理としてはデジタルではないが、1970年代後半から1980年代前半の間にアナログコンピューターによるアニメーションシステムが登場している。理由としては、デジタルコンピュータの性能が低く、実用に耐える品質のデジタルアニメーションを実現できなかったためである。アナログ回路であるため瞬時の処理が可能であり、フルフレームのCG映像を実現できていた。主に入力した画像を単純な帰還回路で歪めたり変色させたりして加工するエフェクト的な利用方法であった。コンピュータグラフィックスの研究から東洋現像所(現:IMAGICA)が開発したスキャニメイトは1秒60コマ、2台のVTRを使ってコンピュータを駆使する方式で多くのアニメーション作品を生み出した。スキャニメイトは非常に高価なシステムで、日本では東洋現像所が1台所有するのみであった。スキャニメイトの使用例は、タイムボカンシリーズが特に有名である。1970年代前半、東映動画(現:東映アニメーション)で経営的に落ち込んでいたため、再建策の一つとしてアニメ制作工程へのコンピュータ導入が検討された。1974年、社内研究会の立ち上げ、1977年、技術委員会プロジェクトの発足。IBMと提携しデジタル化の検討を重ねたが、1985年、シミュレーションの結果テレビシリーズ1話あたり、3,800万円(ハードウェア・ソフトウェアの費用のみ)という莫大なものとなることが判明し断念した。1983年、金子満が設立した、日本初の商業CGスタジオJCGL(ジャパン・コンピューター・グラフィックス・ラボ)ではテレビアニメ作品として、動画や彩色の行程にコンピュータを取り入れた世界初のデジタルアニメ『子鹿物語』の制作を1983年に開始したが、当時のコンピュータの性能では描画品質が劣り、生産性も低く、オープニング・エンディングと第2話を除き、セルアニメによる制作に移行している。また同年、藤幡正樹はコンピュータグラフィックス・アニメーション作品として『Mandala1983』を発表、カナダで開催された「ビデオ・カルチャー展」のCG部門でグランプリを獲得している。その後、1983年から1984年にかけて1985年、高橋克雄(東京中央プロダクション・映像作家)が伊勢丹の協力のもと、マルチシンクロシステム型映像展示を行い、コンピュータグラフィックスによる映像作品を電子ポスターとして発表。1986年、(株)ソニーの協力のもと(株)東京中央プロダクションは複数台のコンピュータを同期させて巨大マルチ画面の中をデジタルアニメが通過していく迫力ある大型マルチシンクロシステム型映像展示に成功。銀座ソニービルにて公開され、話題となった。1987年、金子満がメトロライトスタジオの設立に参加。コンピュータグラフィックスによる視覚効果技術に貢献するなど米国映画会で活躍し、日本でも本格的なSFX技術の研究が広がる。『ゴルゴ13』や『SF新世紀レンズマン』では、特定のシーンのみ2DCGや3DCGで作成した描画をセルアニメと合成する形態で異次元の視覚効果を狙った演出が行われている。本格的にデジタル化が進められるのは1990年代に入ってからである。これらの動きに合わせて各社においてアニメ制作のデジタル化は推し進められ、日本では1997年-2002年の5年間に移行していった。1993年に全編3DCGによるアニメ番組『ネオ・ハイパー・キッズ(日本テレビ)』内の4週連続アニメ番組が先駆けとして登場した。アニメ業界からは、1995年に全編コンピューターによる色塗りが行われたテレビシリーズ『ビット・ザ・キューピッド』が制作された。なお、アーケードゲームやテレビゲームと言った分野では既にリアリティを体感できる水準のフル3DCGの作品が制作されており、『バーチャファイター』や『リッジレーサー』等がヒット作となっていた。1996年、東映動画はセルシスが開発したアニメ制作ツール『RETAS! Pro』を導入し20%の経費節減に成功した。同年、GONZOがLUNAR シルバースターストーリー(角川書店発売のゲーム)で日本初のフルデジタルアニメに挑戦。1997年から2002年にかけて、東映動画など複数の制作会社でセル画を使用しない全編デジタル彩色が導入されるようになる(→セル画を参照)。また、1998年、同スタジオ制作のOVAシリーズ『青の6号』を発売。当時、珍しかった3DCGを多用したことでも注目され、OVA世界初のフルデジタルアニメとして宣伝された。撮影や特殊効果の分野は、セルを何枚も重ねることによる明るさの減少がないこと、より自由になったカメラワーク、コンピュータによるデジタル画像処理で特殊効果を簡単にかけられるという利点がある。エアブラシや透過光など従来技術から移行したため、アニメ業界ではデジタル技術の習得が必須となった。アナログ時代にはフィルム撮影されていたが、デジタルアニメではコンピュータから直接ビデオへ出力の為、フィルム撮影が不要となりコストダウンがされている。フィルムとビデオでは映像の質感が異なり、アナログのフィルムは柔らかい質感、ビデオはクリアな映像が特徴である。そのため、今よりもビデオ映像のデジタルアニメは初期において、従来のフィルムアニメより、クリアで明るすぎる発色に違和感があったりするといわれていたが、2007年以降はデジタルテレビの普及により色の明るさが見直され、セルアニメを凌ぐ美しさを持つ作品もみられる。仕上げの分野では、ワンクリックのデジタルペイントは、塗料の乾燥までの時間が節約でき、訂正も容易である。傷やホコリといったセル画の管理の手間も省けるなど、省力化で大量生産が可能になった。塗料による制約された色数は、ほぼ無限のバリエーションが使えるようになり、グラデーションなどが、これまで以上の表現が可能になった。物流面では、デジタル化によりネットワークにアニメ素材をデータとして載せることができ、日本国外などの遠隔地との物流コストと時間が節約できるようになった。一方で、デジタル化による新たな問題、レンダリングの時間コストの増大化が発生している。アニメプロデューサーの上田耕行によると、今のテレビのクオリティを維持するのは大変だという。ヤマサキオサムは、デジタル化により作業の難易度が上がっていると述べている。 CGアニメ制作では老舗的存在で知られるポリゴン・ピクチュアズは徹底した工程管理を行ない、品質や納期の両立、社員の過重労働防止などに力を入れている。
出典:wikipedia
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