北欧史では、一般に北欧と呼称されるヨーロッパ北部に位置する地域に関する歴史を詳述する。バルト海を中心にして展開する北欧の地に人類が足跡を残したのはヨルディア期(紀元前10000年から紀元前6000年ごろ)で、バルト海東岸やデンマーク、ノルウェー北端のフィンマルクなど、ヴュルム氷期の終了とともに氷原から解放された地域だとされている。彼らは南方の地よりトナカイを追い求めて移動をしてきた人々であり、後期旧石器時代の西欧文化の流れを汲んでおり、一定地域を巡回しつつ狩猟生活を送っていた。シェラン島のリングビ文化(")、ノルウェー西岸のフォスナ文化(")、北岸のコムサ文化(")などがその代表例とされる。アンシルス期(紀元前6000年から紀元前4500年ごろ)になると氷河はスカンディナヴィア半島の背梁部へと後退していき、各地で様々な文化が花開き、活発化した。主要なものとしてはマグレモーゼ文化(")、クンダ文化(")、スオムスエルヴィ文化("Suomusjärvi culture")などが挙げられる。これらの諸文化では細石器や原始的な石斧が用いられて狩猟が行われていたほか、イエイヌが使用されるようになったことが特筆される。また、バルト海で採取される琥珀を用いた垂飾などの装身具もこのころから利用されるようになった。その他、1972年にフィンマルクで発見され、世界遺産に登録されているアルタの岩絵が作成されはじめたのもこの頃からと言われている。リトリナ期(紀元前4500年から紀元前400年ごろ)に入ると南方の先進文化の影響を受けつつ北欧の各文化はさらに発展を遂げる。気候の温暖化により海面上昇とともに貝類の繁殖が見られるようになり、デンマークのエルテベレ文化(")などでは貝塚が形成されるようになった。時期を同じくしてフィンランドなどではロシアから伝播した櫛目文土器の利用が見られるようになった。中東の肥沃な三日月地帯で始まった農耕・牧畜が伝えられるようになった紀元前2500年には、エルテベレ文化を基盤としつつもそれまでの狩猟・漁撈中心の生活から農耕を中心とした小規模の集落からなる定住生活が行われるようになり、同時にウシ、ウマ、ヒツジ、ブタといった家畜の利用が始まった。紀元前2100年になるとイギリスのストーンヘンジに代表される巨石文化が伝播し、巨石墳を製造して合葬を行うトレヒテルベーケル文化()が形成された。この時代に入ると石器類の製造技術にも飛躍的な発達が見られ、厚頭斧やフリントの打製短剣などが登場している。紀元前1000年ごろよりユトランド半島中部や西部で単葬墳が見られるようになると次第に周囲へと広がって行き、単葬墳文化()が生まれる。また同じ頃、バルト海東岸やフィンランド西南部では舟形斧文化(、キウカイネン文化とも)が生まれている。これらの文化での遺物や遺構などから部族(キウカイヌ)の成立、階級の分化が始まっていたと見られており、インド・ゲルマン人の侵入も相俟って北欧の地は戦乱の時代へと突入していくこととなる。一方、バルト海東岸のリガ湾では紀元前1500年ごろより南方から侵入してきた民族により青銅の冶金術がもたらされ、原バルト文化()が形成された。彼らは先住民のフィン・ウゴル人を駆逐・吸収してこの地域へ定着を果たした。紀元前500年ごろになると鉄の文化が伝播し、この地の文化水準は大きく向上を果たした。原バルト文化を形成していた民族は年代の経過と共に古プロセイン人、ラトビア人、リトアニア人という三つの民族に分化していき、集合離散を繰り返しながら4世紀までに幾多もの部族国家を形成して土地と権力を争った。紀元5年に入ると、イタリア半島で興りその版図を広げていたローマ帝国がユトランド半島を迂回してバルト海へ姿を見せるようになり、文化的な接触が始まった。ローマの古典文化はボヘミア方面の陸路とフリースラント諸島方面の海路を経由して北欧へ流れ込み、諸族の文化に多大な影響を与えた。同時に、多数存在していた部族国家は戦争の課程で吸収統合を繰り返し、やがていくつかの王国が形成されるようになる。ユトランド半島ではヴァンダル、キンブル、ユート、アングル、サクソン、テウトンといった諸族の原生国家が誕生している。ノルウェー方面では約1世紀遅れてこうした動きが見られるようになったが、5世紀までに形成された王国はルーグ族のローガランド、ハロード族のホルダランド程度で、その他の部族国家は統合の動きはなされていなかった。スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの三国は民族的に深い関わりを持っており、不可分の関係によって歴史を歩んできた。400年ごろから1000年ごろまでの期間、この地の歴史については彼ら自身の手による文献史料はほとんど残されておらず、ヴァイキングに敵意を持つ西欧人の記した記録、伝承記があるのみとなっている。彼らの残した史料として代表的なものとしては8世紀から9世紀にかけてデーン人から伝えられた英雄叙事詩をイギリスの修道僧の手でまとめられた『ベオウルフ』、ヴァイキング時代に創られた歌謡『』、それまで口頭で語り継がれてきた神話や伝記を12世紀末に纏め上げた『サガ』、ノルウェーやアイスランドの君主に仕えた宮廷詩人によって詠われた賛歌である『スカルド』などがあるが、いずれも作品の性質上歴史を目的として記されたものではないため、事実特定が困難であった。このため、11世紀ごろまでの北欧の歴史はこれらの諸史料と、各地から出土した遺物や周辺地域の歴史書に言及されている状況などから類推・整理して輪郭を得たものであることを前提とする必要がある。さて、北欧各地に誕生した原生国家は、800年ごろまでその地の覇権を巡って激しい争いを繰り返し、強国への併合を繰り返しながら国の強化を図っていった。この時代はゲルマン諸族が西欧・南欧へ大きく移動し、各地に王国を築いた民族移動時代とも重複しており、彼らの多くは北欧を原住地としていたため、北欧の地には多くの冨と文化が流入し、大きな文化的発展を遂げた。この時代に対する言及としてはローマの歴史家タキトゥスの『スイオーネス』がある。『スイオーネス』にはスウェーデン中部のスヴェーア人が建国した初期の王国の成り立ちについて記されており、28の部族国家がやがて3つの原生国家へと統合していったとされている。このうちのひとつであったメーラル王国はメーラル湖を中心として栄えた王国であり、6世紀中ごろには残りの2王国を併合してスヴェーア諸族を統合し、シルフィング王朝と呼称されるようになった。シルフィング王朝は650年ごろに後述するデーン王国によって滅ぼされることとなるが、王子ウーロフはヴェルムランド地方へ逃れてインリング王朝として再建させた。その後も領土を拡張していき、南部のゴート王国を服属した後、860年には首都を古ウプサラへ設置し、後のスウェーデン王国の祖形が成立した。またスヴェーア人は現在のリヴォニア、ロシア、ウクライナと他の東方地域に移住した。ノルウェーとデンマークの移住者が始めに西方と北ヨーロッパに移住した。これらの東方からのスカンディナヴィア人移民はヴァラング人(ヴァリャーグ)("væringjar
出典:wikipedia
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