根元 俊一(ねもと しゅんいち、1983年7月8日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。花咲徳栄高で3年時に主将としてチームを牽引し第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。また、高校生時代はチームのキャプテンであるだけではなく、学校の生徒会長でもあった。東北福祉大学へと進学して、の第53回大学野球選手権で1番打者として優勝に大きく貢献した。6月16日の決勝戦では日本大学の先発・那須野巧から3打数1安打という成績を残している。の大学生・社会人ドラフトでロッテから3巡目で指名を受け入団。は5月10日に初めて一軍に昇格し、5月11日に代走で初出場。5月12日に「9番・二塁手」で初めてスタメン出場を果たし無安打だったが、5月13日は休養の西岡剛に代わり「1番・遊撃手」でスタメン出場。この日も4打数無安打だったが、10回裏二死二塁の場面でプロ初安打よりも先にプロ初敬遠を記録する珍しい事態が発生した(試合は福浦和也がサヨナラ安打を放ち勝利)。5月14日に黒田博樹からプロ初安打を放った。最終的には31試合に出場するも打率1割台、三振率は4割を超えるなど結果を残せず、昇格してからちょうど1か月後に二軍落ちした。二軍では左方向への安打を量産し、打率.343でイースタン・リーグ首位打者を獲得し、1年目から二軍の主力選手として活躍した。二塁打24本も同リーグ1位。11盗塁を決めたが盗塁失敗12回も記録した。5月25日の阪神戦で、3-2と1点リードの9回表無死三塁のピンチで、4番・金本知憲のセンター前に抜けるような当たりを前進守備ながらもダイビングキャッチで好捕し、一塁に送球する前にずれた帽子を一瞬で直すという新人離れの余裕を見せた(根元自身は無意識だったと話している)。このプレーが相手に傾きかけた流れを阻み、試合に勝利した(このプレーは光プレーなどプロ野球の好珍プレー番組で何度か紹介された)。5月27日の対巨人戦では代走から途中出場し、10回表無死一塁で打席についた。ここで、ボビー・バレンタイン監督からバスターエンドランを指示されると、福田聡志が低めに投じたストレートをセンター前に弾き返し、直後の福浦の決勝適時打を呼び込んだ。本人の最も印象に残っている試合・プレーとしてあげている。は「9番・二塁手」で初の開幕戦スタメン出場を果たす。プロ初本塁打を打ち、打率.266とまずまずの成績を残していたものの、二塁のレギュラーには青野毅が定着し、青野の離脱後はホセ・オーティズが二塁のレギュラーになってしまったため、怪我の影響もあり結局この年も一軍定着はならなかった。二軍では規定打席には到達しなかったものの、打率.383と引き続き高打率を記録した。は春先から好調を維持。4月13日の対日本ハム戦では、10回裏に武田久からプロ入り初のサヨナラ安打を放った。また、7月11日の対楽天戦で、球団新記録となるチーム今季4本目のランニングホームランを放ち、こちらも球団新記録となる高卒ルーキー5勝目をあげた唐川侑己と共にヒーローインタビューを受けた。打率は3割台前半を推移していたが、8月に調子を落とし、最終的には打率.296と3割を切ってしまった。しかし、110試合に出場し、プロに入ってからは最高となる成績を収めた。なお、この年から2010年まで姓が同じ読みの根本朋久が在籍したため、「ねもとしゅんいち」とアナウンスされている(スコアボード表記は「根元」のまま。千葉マリンでのベンチ入りメンバー紹介の時だけ「根元俊」と表記。ちなみに根本朋久は「根本朋」と表示される)。は井口資仁の入団で出番が減少し、井口や西岡の負傷離脱時も結果を残すことが出来ず打率.174に終わり、西岡離脱の穴を埋めた早坂圭介やこの年初めて3割を記録した塀内久雄に多少遅れをとってしまった。守備面でもイップスを発症し安定した送球ができなくなり、克服のための苦難が始まった。は1月10日に一般人女性と結婚。打率.196に留まり、目立った成績を残せなかった。8月21日の対西武戦で、牧田和久から自身3年ぶりのサヨナラ安打を放った。は、オープン戦で打率.390と好結果を残し、開幕戦で2番・遊撃手としてスタメン起用された。その後、1年を通じて遊撃手のポジションに定着。自身初の規定打席到達を果たした。チームでホームラン数が多いことから、シーズン終盤には3番打者として起用されることもあった。また、この年の犠打数40は日本ハムの小谷野栄一と並びこの年のパリーグ最多である。シーズンより、背番号を2に変更。春先に肩の弱さや送球の不安定さを露呈してしまう場面が多くあり、セカンドを守っていた鈴木大地と二遊間を交換する形でセカンドにコンバートされた。また、7月26日に左太もも痛で登録抹消されたこともあり、成績は昨年より下がった。も開幕スタメンに名を連ねたものの、打撃の調子が上がらず、新外国人のルイス・クルーズの加入もあって出場機会が激減した。終盤は井口に代わって一塁手として起用されたが、結果を残せず打率は1割台に終わった。は、ルーキーの中村奨吾の加入や高濱卓也の台頭により、出場機会はさらに減少した。打率は前年より持ち直したもが、守備では一塁手や指名打者での出場が多くなり、62試合の出場に終わった。
出典:wikipedia
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