渡田 均(わたりだ ひとし、1958年5月1日 - )は広島県出身のプロ野球審判員。現役引退時の審判員袖番号は31(1988年の袖番号初採用時から)。関西大倉高等学校、大阪体育大学時代はラグビー選手という異色の経歴であり、大学時代はフランカーとして活躍するも、腰痛のため選手を断念。その後1982年にセントラルリーグ審判員として採用された。1985年に一軍初出場を果たし、1997年より審判部主任。2009年には副部長に昇格した。(役職名変更により2011年からクルーチーフとなる。)2014年からはクルーチーフの役を解かれ一般審判員となる。2015年10月6日、東北楽天対千葉ロッテ25回戦(楽天Koboスタジアム宮城)での二塁塁審を最後に、2015年シーズン終了をもって任期を一年残して現役を引退した。2016年より審判技術委員となる。オールスターゲーム5回(1990年、1993年、1997年、2003年、2010年)、日本シリーズ5回(2003年、2006年、2007年、2010年、2012年)出場。オールスターでは1990年、1997年第1戦、日本シリーズでは2003年と2007年第2戦、2006年第3戦、2010年第1戦でそれぞれ球審。2009年には第2回WBCの審判員として、友寄正人、中村稔、良川昌美らと派遣され、2次ラウンド2組の一塁・三塁塁審を務める。近年の審判員が球審を務める際、大半の審判員はスロートガード一体型のマスクを使用しているが、渡田は2011年シーズンまでスロートガード装着型のマスクを使用し、2012年シーズンからウィルソン社のスロートガード一体型のマスクを使用していた。2013年シーズン以降は、スロートガード一体型のマスクにスロートガードを装着している。2次ラウンド2組のGAME 4、プエルトリコ-ベネズエラ戦で渡田は三塁塁審を務めた。7回表、ベネズエラのラモン・ヘルナンデスの打球は左中間フェンスを大きく越えたがグラウンドに跳ね返ってきたため、MLBより派遣された二塁塁審ウェグナーはインプレー(フェンスを越えていない)と判定し、ベネズエラのルイス・ソーホー監督が抗議した。審判団は大会規定によりビデオ判定を行おうとしたが、映像が届かず協議となり、渡田が自信を持って打球がフェンスを越えたと主張したため渡田の主張が採用され、本塁打として試合が再開された。両チームとも異議なく承諾し、試合は無事終了した。(記録は2015年シーズン終了時)
出典:wikipedia
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