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白河小峰城

白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、福島県白河市(陸奥国白河郡白河)にあった日本の城。単に白河城または小峰城ともいう。国の史跡に指定されている。ほか、日本100名城のひとつに数えられる。阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城、若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられている。周辺は城山公園として整備され、公園内には結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」や「白河バラ園」(6月のみ営業)がある。平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていたが、平成27年(2015年)4月19日に小峰城復興式が開催され復興式終了後に入城可能となった。白河小峰城は南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。 天正18年(1590年)、城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されるとこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配したが、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封されると、幕命により寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手、3年の歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成した。その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが、慶応3年(1867年)に最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。翌慶応4年(1868年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した(白河口の戦い)。明治6年(1873年)1月14日の廃城令では存城とされた。城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀を残すのみだったが、平成3年(1991年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が、平成6年(1994年)に前御門が当時の史料に基づいて復元された。平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(13番)に選定された。東日本大震災での被害平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災により、三重櫓の崩壊には至らなかったものの数箇所の石垣・曲輪が崩壊、または積み重ねがゆるむ被害があった。曲輪上にあった白河バラ園や公園・石碑等も崩壊し、震災以後は本丸への立ち入り禁止となった。特に三重櫓下段の曲輪の崩壊被害は大きく、小峰城入口からも確認できた。このほか、公園内売店は一部損傷があったが、城壁前方の芝生や城内に植えられていた桜はおおむね被害は無かった。2011年秋から修復工事が行われているが、完全な復旧には5年程かかる見込み。上記のように2015年4月から入城可能となり、2018年度の全面修復を目指している。なお、白河バラ園は閉園となった。白河小峰城の御三階櫓は寛永9年に建てられた複合式層塔型3重3階の櫓で、当時は「三重御櫓」と呼ばれた実質的な天守であった。三重櫓の建つ櫓台に余裕を持たせ付櫓や2階に出窓を付けた姿は、若松城天守に共通する。黒漆塗りの下見板張りで、風雨にさらされることを考慮して窓を小さく開いている。この三重櫓は慶応4(1868)年に起こった戊辰戦争によって焼失し、現在の物は1991年に復元された物である。復元天守は昭和期に多数造られたが、それらはみな鉄筋コンクリート造で、外観のみ元に復したもの(外観復元)であった。白河城の三重櫓は木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、数少ない木造復元天守の1つである。戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元をしており、中に入り柱をみると弾傷が確認できる。雨漏り、腐朽を防ぐため、葺土を用いない引掛桟瓦葺工法を使用している。瓦の文様は、松平定信の家紋である梅鉢である。さまざまな大きさの石を積んだ乱積を用いている。石垣は地場産の白河石。火に弱く、火災による劣化が見られる。大規模な木造建築は日本では建築基準法で原則禁止されているが、白河城では人の立ち入りを想定しない工作物として建築許可を得たのち、完成後に見学者を内部に入れるよう変更した。これは一種の「脱法行為」であるとの観点から問題となったが、後に問題なく立ち入れるようになった。多くの城内の建造物が焼失または破却により失われたが、二の丸入口付近の太鼓門西側に建てられていた太鼓櫓は明治6年に民間に払い下げられ、三の丸の紅葉土手に移築された後、昭和5年(1930年)に現在地に移築され、現在は茶室として利用されている。2度の移築により、建物そのものは改造され原型は大きく損なわれているが、当時の面影を今に伝える唯一の建物遺構である。平成22年(2010年)8月5日、国の史跡に指定された。

出典:wikipedia

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