高瀬 大樹(たかせ だいじゅ、1978年3月20日 - )は、日本の男性総合格闘家。埼玉県北足立郡伊奈町出身。ING所属。「寝技アーティスト」、「影のグラップリング・キング」と呼ばれ、2003年にはアンデウソン・シウバから三角絞めで一本勝ちしたことがある。1998年6月24日、プロ総合格闘技デビュー戦となるPRIDE.3で身長204cm、体重310kgのエマニュエル・ヤーブローを殴り続け、ギブアップによる勝利を挙げた。1999年7月16日、UFC初参戦となったUFC 21でジェレミー・ホーンと対戦し、TKO負け。この試合は川口健次の欠場に伴う出場となった。浮上のきっかけは、2002年にPRIDEへの登竜門的大会「THE BEST」での活躍であった。この大会で1勝1敗の戦績を残した。その後、所属していた和術慧舟會東京本部を離れ、J-ROCKと契約した。吉田道場などで練習を行っていたが、所属はフリーとなっていた。2003年6月8日、PRIDE.26でアンデウソン・シウバと対戦。下馬評を覆し三角絞めで一本勝ち。しかし、その後PRIDE 武士道でホドリゴ・グレイシーに、PRIDE SPECIAL 男祭り 2003で桜井"マッハ"速人に敗れてしまったことから、再び低迷してしまう。2004年2月15日、PRIDE 武士道 -其の弐-でクリス・ブレナンに判定勝ち。5月23日、PRIDE 武士道 -其の参-ではカーロス・ニュートンと好勝負を展開し、判定勝ち。2004年10月3日、「CLUB DEEP 長南祭り」の最終試合で長南亮とエキシビションマッチを行った。2005年4月3日、PRIDE 武士道 -其の六-でダニエル・アカーシオにTKO負けし、PRIDEから姿を消すこととなった。2006年3月18日、オーストラリアの総合格闘技大会「X-plosion 13」でヘクター・ロンバードを相手に約1年ぶりの復帰戦を行うが故障を押して出場したこともあり、1RでKO負けを喫した。2006年5月26日、ブドーチャレンジ87kg未満級1回戦でカール・アモーゾに三角絞めで一本勝ちするも、背中を負傷したためホナウド・ジャカレイとの決勝を辞退した。2006年11月22日、J-NETWORKで自身のキャリア初となるキックボクシングの試合を行い、野井翔健に判定勝ち。2007年3月21日、後楽園ホールにて行われたプロレス興行「UWAI STATION 4」にてプロレスデビューを果たした。メインイベントで、当時三冠ヘビー級王者の鈴木みのると一騎討ちを行い、飛びつき腕ひしぎ十字固めなどを仕掛けていったものの、5分過ぎで早くもスタミナ切れとなり、11分1秒の試合時間で、鈴木のゴッチ式パイルドライバーに轟沈。試合後は鈴木の「プロレスにどっぷり浸かってみるのもいい」という呼びかけに、「鈴木さんに勝つまでやります」と答え、プロレス継続を宣言した(だが、2007年12月発売のGONKAKUインタビューで、2008年から渡米し、アメリカン・トップチームへ練習に行くことと、総合格闘技に本格的に復帰することを宣言している)。2007年11月25日、R.I.S.E.に初参戦し、たけむら光一に判定負け。2008年3月4日、「クラブファイト」のメインイベント・グラップリングルールの賞金マッチで原井徹と対戦し、1R1分37秒変形三角絞めで一本勝ち。2008年6月14日、約2年振りの総合格闘技復帰戦となるAdrenaline MMAの旗揚げ戦でテリー・マーティンと対戦。1ラウンド、2ラウンドでそれぞれローブローを放ち、反則負けとなった。2009年4月頃より自身のブログ内で「格闘界の光と影」と題して自身の経験に裏話を交えた話を連載し、話題を集めた。2009年6月27日、CAGE FORCE初参戦となったCAGE FORCEで森川修次と対戦し、判定勝ち。試合後には「実力3割、マネージメント7割の日本人選手を全員ぶっ倒します。誰かは言わなくても分かるだろう。おかしいってことにはおかしいって言えよ!お前ら、誰か分かってるんだろう?俺に言わせるな。誰かは本を買ってくれ!」とリング上で宣言した。2009年8月23日、タイタン・ファイティング・チャンピオンシップ 5で柔道衣で覆面を被ったMr.Xと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。試合後、2003年の大晦日に敗れている桜井"マッハ"速人との再戦をアピールした。2009年12月11日、Fujiwara Festival 〜藤原祭り2009〜で寒川直喜と相手の土俵であるキックボクシングルールで対戦し、0-3の判定負けを喫した。ヘビー級契約での試合となり、前日計量では寒川が80.7kg、高瀬が92.8kgと12kgの体重差があった。10月12日のKrush会場や、11月17日に行われた記者会見でも舌戦を展開していた。2009年12月30日、新団体「IMPACT」の旗揚げ発表会に出場し、一般の観客から選出された相手とグラップリングルールで対戦してチョークスリーパーで一本勝ちを収めた。2010年8月25日、BOXFIGHT旗揚げ戦で篤志と対戦し、2Rに右ストレートでダウンを奪われた上で0-3の判定負けを喫した。2010年9月16日、シンガポールの興行「マーシャル・コンバット」でショーニー・カーターと初代ミドル級王座決定戦で対戦予定であったが、その後対戦相手がブライアン・ガサウェイに変更。9月初めに自身の内転筋挫傷により欠場が決まった。2010年10月15日、自身のブログ内容をメインとした初の著書「嫌われ者」を出版した。2011年5月15日には、士道館総本部所属の林武重とキックボクシングルールで対戦。フルマークの判定勝利を収める。試合後、マイクを握った高瀬は「選手にお金を払わない、あそこに出てるからウチは出さない。そんな腐った格闘技界は今どん底に陥ってます。そういう奴らを排除していいですか? 僕は今そのために動いています。そのときが来たら、どうかご協力をお願いします!」とアピールした。2014年12月23日、REAL 1でカルロス・トヨタと無差別級で対戦し、39秒KO負け。2015年3月21日、RFC22でユン・ドンシクと88kg契約で対戦予定であったが、高瀬が1度目の計量で契約体重をパス出来ず、2度目の計量でもパス出来なかった為、体重超過で失格となり試合中止となった。
出典:wikipedia
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