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立行司

立行司(たてぎょうじ)は大相撲の行司における最高位の階級で、かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため、行司の横綱に相当する。木村庄之助と式守伊之助の二人からなる。1960年の停年制実施以前は行司も年寄になることができた (その名残は木瀬 (木村瀬平) ・式秀 (式守秀五郎) の年寄名跡にみられる) 。立行司は現在も親方と呼ばれる。土俵祭の祭主を務めるほか、相撲協会の公益法人化以前は、年寄・横綱・大関同様、評議員として役員選挙の選挙権をもち (被選挙権はない)、評議員会に出席することができた。江戸時代には行司は全員が帯刀していたが、廃刀令により帯刀しなくなった。のちに立行司のみ帯刀が復活したが、これは差違いをした場合に切腹する覚悟を示すものといわれている。実際に差違いをした場合、切腹せずに進退伺を出すのが慣例であったが、26代庄之助から口頭でお詫びを伝えるようになった。1927年に東京の相撲協会と大坂相撲が合併した際、庄之助・伊之助に大坂相撲の立行司木村玉之助を加えて3名になり (もう1人の大坂立行司木村清之助は除外された) 、1951年の副立行司制導入まで続いた。この制度導入後には玉之助は副立行司とされ、庄之助・伊之助は1日に1番、副立行司は2番を裁いた。副立行司制は1960年1月の行司停年制施行に伴い廃止され、これ以降、玉之助は襲名されないまま現在に至っている。庄之助は総紫、伊之助ならびに玉之助を含む副立行司は紫白の房・菊綴を使用し、短刀・印籠・足袋・草履を着用する。江戸時代から庄之助または伊之助の片方が空位になる場合や、立行司が休場などにより土俵に上がれずに三役格行司が結びを裁くことが時折発生していたが、双方が空位になることは長らく発生しなかった。しかし、1993年に7月場所後の27代伊之助に続き、11月場所後に28代庄之助が停年退職し、1994年1月と3月の2場所は立行司への昇格がなく、三役格行司3名が交替で結びを裁いた。なお、2011年1月場所以降、場内アナウンスでの行司紹介のうち、立行司のみ代数を合わせて紹介されるようになった。2015年11月場所7日目、度重なる差違えにより40代式守伊之助が翌8日目より3日間の出場停止処分を受けた。37代木村庄之助が3月場所限りで定年となって以降、木村庄之助が空位となる状態が続いていた為、この出場停止により21年振りに立行司が不在となった。

出典:wikipedia

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