東京オリンピックの開会式(とうきょうオリンピックのかいかいしき、)は、東京オリンピック大会初日の1964年10月10日土曜日に国立競技場で行われた開会式。前日(10月9日)は台風の接近により雨が降ったが、当日は抜けるような青空の秋晴れになった。開会式は昭和天皇・香淳皇后を始め、皇太子夫妻(現天皇・皇后)、10日前に結婚したばかりの常陸宮夫妻などの皇族が臨席し、病気静養中であった池田勇人総理大臣や河野一郎オリンピック担当大臣などの各閣僚、衆参両院議長、及びブランデージ国際オリンピック委員会 (IOC) 会長を始めIOC委員及び各国の来賓らが出席して行われた。参加94か国、7,060人の選手団が入場行進を行った。開会式は以下の順序で行われた。「オリンピック・マーチ」の演奏にのせて、防衛大学校学生が国名のプラカードを持って先導しつつ各国選手団が入場した。オリンピック発祥の地であるギリシャを先頭に英語のアルファベット順に入場し、キューバは日の丸の小旗を振り、1952年のヘルシンキ大会以降ずっと行われてきた東西合同のドイツ選手団が、行進曲「海を超える握手」に合わせて合同行進した。また、冷戦下で東西対立の厳しい状況にありながら、頭文字が同じアルファベット「U」のため、アメリカ合衆国 (USA) に続いてソビエト連邦 (USSR) が入場行進を行った。「オリンピック・マーチ」は最初のギリシャから演奏され、途中は世界的に知られた行進曲のメドレーになり、米ソが入場した時は再び「オリンピック・マーチ」に戻って、最後の開催国の日本の入場が終わるまで演奏された。昭和天皇は、ギリシャ選手団の入場から日本選手団の入場まで終始起立しこれを迎えた。また一般客や招待された各国の外交団は、日本選手団入場の際に開催国の選手団に敬意を表するために全員起立し選手団を迎えた。聖火の最終ランナーが坂井義則に決まった理由は広島への原爆投下の日の1945年8月6日に広島県三次市で生まれ、陸上競技選手であり、その平和の象徴として選ばれた。オリンピック・リポーターとして新聞特派員記者を担当した作家の三島由紀夫は、聖火台に向う坂井選手を「日本の青春の簡素なさはやかさ」が結晶した姿と表現し、以下のようにレポートした。この開会式の模様は日本ではNHKをはじめとするテレビ・ラジオ各局で生中継された。2インチVTRにカラー映像で録画された開会式の模様が、NHKアーカイブスに保存されている。また通信衛星を利用して全世界に衛星生中継(この当時は「宇宙中継」と呼ばれた)され、アメリカではNBC、イギリスではBBCで放送された。これは五輪史上初の同時中継であった。テレビ実況を担当したNHKの北出清五郎アナウンサーは冒頭で、と述べ、またラジオ実況を担当した鈴木文彌アナウンサーは、式典の最初のオリンピック序曲の演奏が始まると、と述べた。なお、市川崑監督の記録映画で開会式の場面に流れる音声は、ラジオ実況を担当した鈴木文彌アナウンサーの声であるが、これは当日実況したものではなく映画用にあとで録音したものである。
出典:wikipedia
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