国立航空宇宙博物館(こくりつこうくううちゅうはくぶつかん、英:National Air and Space Museum)は、アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.にある、航空機と宇宙船に関連した収集物を展示する博物館の名称。英語名の頭文字をとり、しばしばNASMと略される。首都中心部にあるナショナル・モールの南側に沿って並んでいる博物館のうちの一つ、ハーシュホーン博物館と国立アメリカ・インディアン博物館のちょうど間の場所に位置するほか、スミソニアン協会が管理・運営するスミソニアン博物館群の一つでもある。航空機と宇宙船関係の展示物を展示している博物館の中では世界でも最大級の博物館である。また同博物館は地球惑星科学や地球地理学、地球物理学などと同じくして、航空学・宇宙飛行の歴史、科学、技術を研究する極めて重要な中央施設である。国立航空宇宙博物館は合衆国首都ワシントンD.C.の中でも最も重要な近代建築の作品として広く考えられている。博物館の場所がアメリカ合衆国議会議事堂に近接しているため、当初博物館の建築を考えた際にスミソニアン協会は、建築学的に印象深いもので且つ議事堂に対して厚かましすぎないような建物にして欲しいと考えていた。その後ミズーリ州のセントルイスを拠点として活動していた日系アメリカ人建築士のギョウ・オバタがこの博物館建築という難問を受け入れ、より小さい展示品や劇場を収容可能で、さらにトラバーチンという材質で囲まれる簡素な4つの立方体というデザインにした。さらにそれらがサイズの大きいミサイルや航空機、宇宙船などの展示品を収容する、鋼鉄・ガラス製の広々とした3つの中央大広間に連結するようにも設計した。博物館本館は1976年7月1日に公式に開館され、ナショナル・モール東のハーシュホーン博物館と国立アメリカ・インディアン博物館の間に位置する。また博物館はワシントンD.C.を訪れる観光客の目的地の一つとして人気が高い。歴史的航空機や他の人工の展示品で埋め尽くされる展示室に加え、アイマックス社製のオムニマックス映写機で投影されるアイマックス・シアターやアルベルト・アインシュタインプラネタリウムといったアトラクション施設も備えている。博物館本館の有名な展示物その他、1990年後半に「STAR WARS The Magic of Myth」と題したスター・ウォーズ・シリーズ展が開かれていた。博物館はスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターと言う名称の本館より規模の大きい別館を所有している。日本語では単に「国立航空宇宙博物館別館」とされることもある。位置はワシントンD.C.の郊外にあるワシントン・ダレス国際空港に隣接しており、2003年12月15日に新設された。館内にはおよそ200の航空機と135の宇宙船が収蔵品として展示されている。センターはハンガリーの移民でインターナショナル・リース・ファイナンス社(International Lease Finance Corporation、略称ILFC)の設立者でもある、スティーブン・F・ウドヴァーヘイジーによって、1999年に6500万ドルの寄付がスミソニアン協会に贈呈されて創設されたものである。建設竣工には実に15年の歳月を要した。なおかつては本館と別館との間にシャトルバス(ダレス国際空港経由)が運行されていたが、現在はダレス空港〜別館のみの運転となっており、公共交通機関での相互の行き来には地下鉄やバスの乗り継ぎが必要である。博物館別館の有名な展示物博物館の総展示品数は3万点を超える航空機関連の展示品と9万点を超える宇宙飛行関連の人工展示品を有しており、したがってその総数は本館が収容できる数をゆうに超えている。博物館が所有する航空機の多くはメリーランド州スートランドにある、ポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設(Paul E. Garber Preservation, Restoration, and Storage Facility)に収容されている。施設は徐々に増えていくであろう航空機の収集物を保存する保管場所として、1952年にスミソニアン協会の一部となった。施設は収集物の前管理者であったポール・E・ガーバーに因みつけられたもので、全32棟の建造物で構成されている。かつて施設は観光のために開館されていたが、展示可能な収集品は全て博物館別館のスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターに移された。この復元施設には日本の終戦後にアメリカ軍によりアメリカへ運ばれた震電1号機が分解状態のまま保存されている。博物館が所有する記録文書はワシントンD.C.ナショナル・モールにある同博物館本館とメリーランド州にあるガーバー施設の二つに分割して保存されている。これらの記録には私的・専門的文書、企業団体文書、そして論題別に集められた他の収集品などを含んでいる。博物館は地球惑星研究センター(Center for Earth and Planetary Studies、略称CEPS)という施設も併設しており、これは太陽系にある全惑星に関連した惑星科学や物理学の研究に通じるものである。同研究センターは遠隔操作による人工衛星や無人観測宇宙船等を含む計画に参加している。また博物館本館は研究用図書館も備えている。博物館は1946年8月12日に創設された当時は「国立航空博物館(National Air Museum)」という名称であった。これは、当時の中国帝国委員会が数点のカイト凧の一群をスミソニアン協会に寄付するという出来事があった後、フィラデルフィアで1876年に開催された世紀博覧会からそれまでに集められた国立の航空機博物館や宇宙博物館の収集品の一部を収容するため、アメリカ合衆国連邦議会の法律によって形成された博物館であった。1889年には航空機向けに計画されたジョン・ストリンフェローの蒸気機関が収集品の一つとして同意された。スミソニアン協会が収得したこの蒸気機関の一部は現在も博物館の収蔵品の一つである。国立航空博物館としての設立後には、全ての収集品を展示できる建物が無かった。一部はスミソニアン博物館の一つである、芸術産業館にて展示され、他は後に「航空宇宙棟」として知られたスミソニアン博物館の南庭園倉庫に収容されるなどし、また大きいミサイルやロケットは「ロケット通り」として屋外に陳列された。第二次世界大戦後にスミソニアン協会に寄与された相当な数の航空機の数々と、朝鮮戦争への格納庫及び製造所の必要性は、スミソニアン協会にとって所有する航空機の収集品を保管・修復する本格的施設を探すこととなる動因になった。収集家ポール・E・ガーバーが航空機に乗り、上空から木々に覆われた場所に建設場所を指摘した後、1952年にはメリーランド・ナショナル首都公園計画委員会がスミソニアン協会に現在のガーバー施設を割譲する判断を下した。これにより協会が収集品を収容できる場所が航空宇宙博物館と、ガーバー施設の両建物に増えた。ガーバー施設を建設するため、バージニア州のフォートベルボアからのブルドーザーと、アメリカ合衆国海軍による組み立て式の建物が建設費をより安く維持していた。1950年代から1960年代にかけて盛んであった宇宙開発競争が、博物館の名称を現在の「国立航空宇宙博物館」へと改称する要因を引き起こし、最終的には後に1976年7月1日に開館することになる、新しい展示室建設への充当金を行うという案の議会通過までをも招いた結果となった。1995年原爆投下50周年の特別展を行うが、退役軍人協会らの反発により、館長が辞任した。その後2003年に上述したスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターが自身の協会による寄付でダレス国際空港近隣に建設され、現在に至っている。博物館の展示品の至る所で、博物館側はロケットやジェットエンジンにおける全ての衝撃レベルを、ニュートンや重量ポンドといった力の単位ではなくキログラムやポンドといった質量の単位で表示している。こうした表記の使い方は訪れる観光客には確かに一般的で馴染みのあるものになってはいるが、アメリカ航空宇宙局(NASA)による通常の科学的または工学的実験の表記から見るとやや変わった形の表記法にも感じられるなどという意見もあった(NASA SP 7012 NASAの表記参照)。
出典:wikipedia
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