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首都機能移転

首都機能移転(しゅときのういてん)とは、古くからの「首都」とされる都市に置かれている国家政府の立法機関・行政機関・司法機関(および庁舎)を他の都市に移転し、または数ヶ所の地域に分散させるすることをいう。ただし、首都の全てを移転する遷都とは異なり、首都に置かれている「機関の一部」だけが別の地域に移転されるものとされている。日本では「東京23区以外の場所」に政府機関の一部を移転することを指し、国会等の移転ともいわれる。以下、主に日本の例について述べる。※提案段階に留まったものを含めた首都機能移転論(1959~1995年のもの)は主な首都機能移転論の経緯に詳しい。第二次世界大戦後の日本における首都機能移転は、東京都区部に立地する政府機能(立法機能・行政機能・司法機能)を、東京から60km圏外に移転する事業をいう。1960年に磯村英一らが富士山への新都建設構想をぶち上げ、その後に建設大臣だった河野一郎が浜名湖畔(三遠南信の一角)への首都機能移転を検討していたが、河野の急死とともに首都機能移転は雲散霧消した。その後、バブル景気時に東京の地価が暴騰したことなどもあり、首都機能移転論が再浮上した。村田敬次郎、堺屋太一、八幡和郎など政官民の幅広い論客から、地方自治体の首長や議会に至るまで、首都機能移転を推進する動きが起こり、1990年には衆参両院にて「国会等の移転に関する決議」を議決し、「首都機能移転を検討する」という基本方針を確認した。法的には1992年に「国会等の移転に関する法律」が成立し、この法律に基づき候補地の選定などの準備作業に入ることになる。1995年の地下鉄サリン事件や兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)も災害やテロによる都市機能の麻痺の危険性を強く認識させ、首都機能の分散・移転論が盛り上がる一助となった。1999年12月には「国会等移転審議会」が候補地として3地域を選定した。(詳しくは首都機能移転候補都市を参照)3候補地による誘致合戦は当初熱を帯びたが、皮肉にも前後して中央における移転論は沈静化していく。東京の地価高騰も落ち着きを見せ、移転対象であるはずの首相官邸、総務省、外務省などの庁舎が次々に建て替えられていった。中でも極めて大きかったのが、1999年東京都知事選挙において、かつては移転論に賛成していた石原慎太郎が、「絶対反対」を公約に当選したことである。2001年には小泉純一郎が首相に就任。かつて1995年の自民党総裁選で「東京と大阪を結ぶ線上には移転しない方がいいだろう」と回答しており、移転論そのものには反対ではなかったが、在任中に首都機能移転凍結に方針を変えた。これに対し、2002年当時、国会等の移転に関する特別委員会委員長だった石原健太郎が凍結裁決をせず辞任を表明した。その後、2003年には、衆参両院の「国会等の移転に関する特別委員会」にて、「移転は必要だが、3候補地の中でどの候補地が最適なのか、絞り込めない」形で中間報告を採択した。これは事実上の凍結宣言であり、その後、国政での話し合いは行われなくなった。転凍結以後は、国会議員も首都機能移転についての言及を避け、それぞれの移転候補地の地元国会議員たちで結成されていた首都機能を誘致する会の議員連盟は、全て解散した。2006年には首都機能移転担当大臣のポストが道州制担当大臣に変更された。これは、首都機能移転から道州制への政策転換を意味する。首都機能移転の利点が薄弱となり、財政問題が顕在化した現状では、実現不可能であるとの考えが大勢を占めた。また、各移転候補地では「このまま予算を使っていては、県民に説明できない」として、首都機能移転担当課の廃止・誘致活動の停止が相次いだ。しかし2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生すると、東京都内でも「帰宅困難者」の発生や計画停電の影響から交通を初めとした首都機能が麻痺し、その影響で被災地支援に影響をきたすといった事態が発生した。そのため、東京一極集中の弊害が再認識され、首都機能移転構想や遷都論が一部で見直され、かねてから大阪都構想を提唱していた、大阪府知事橋下徹(当時)など関西の知事らが首都機能の関西移転について活発に発言、同年7月1日には副首都建設を目指す超党派の「危機管理都市推進議員連盟」会長の石井一も同席して、石原慎太郎と橋下徹が会談し、東京を「首都」、大阪を「副首都」とする方針で合意したとも伝えられた。橋下は「副首都」について、「東京から行政機関を移転するということではなく、副首都を担える行政機構、都市機能を整備していくということだ」と説明。また、宮城など被災地自治体からも復興の一環として首都機能の東北移転などが提案されており、国会でもこうした議論を受ける形で再燃の気運が盛り上がった。しかし一方で、2011年7月の国土交通省の組織改変で、国土計画局の担当部署「首都機能移転企画課」が設置から18年が経過しながら議論の進捗が見られないとして廃止となり、首都機能移転に関する業務は新設された国土政策局の総合計画課に移管され継続されているものの、専従の担当者は居なくなっている。「経済的中心地」と「政治的中心地」を切り離すことによって、分散型の国土を形成し、地方の活性化と、過密状態の首都圏の減量を図れるという考え方。企業の集積している東京から国会と官庁群を移転することにより、企業と政府の間に距離が生まれて、政経癒着を解消できるとする。南関東直下地震発生時や、東京への有事に、過密状態の東京が首都であれば、政治・経済が大ダメージを受けると恐れられているため。数ヶ所に分散・移転させた他地域でも危急時の災害対策が必要なことに変わりないとしても、同時に両方で大規模な地震などが起きる可能性は確率的にかなり低く、損害が皆無または軽微に留まった方が災害復興活動を主導できるメリットがある。移転費用は12兆円とされ、現状の厳しい財政状況では困難である。そのような費用があるなら、直接地方振興や都市環境の整備に使えばよく、また費用以上のメリットはないとする。なお、この移転費用については推進派からは「勝手に数字が一人歩きした」という反論もあり、既設のインフラストラクチャーを活用することで費用を削減できると主張している。地方分権や規制緩和、ひいては経済的な東京一極集中は経済性の問題であり、首都の位置とは無関係とする。日本経済新聞が「東京に本社を置く企業」にアンケートを取った所、本社を置く動機として首都機能を挙げた企業は少数に留まった。また、移転後の新首都へ拠点を置く場合でも、多くの企業が50人以下の小規模なものに止めるという回答が多数派を占め、首都機能移転によって企業が首都圏から分散できるという主張への反証となっている。仮に首都機能移転を実施し、数十万人が「新首都」に移ったとしても、それは首都圏(1都3県)の人口約4,000万人のうちのわずか1%程度に過ぎず、首都機能を移転するだけでは東京一極集中の是正という目的は達成されない。自然災害に対するリスクの存在は移転先でも変わりはなく、どこに移しても災害への対策が必要とされるとする。例えば、大規模地震は全国至る所を震源地として起こっており、3つの移転候補地のうち、畿央は琵琶湖西岸断層帯や東南海地震・南海地震、中央高地の東濃は東海地震や東南海地震、福島県中通りは那須火山帯の危険地域である。また、有事への対応にしても、ミサイルの射程距離から外れるには離島に移転しない限り不可能であり、今まで挙げられている移転候補地では「標的の位置が変わるだけで、状況は変わらない」という指摘もある。国会で議論されていた首都機能移転では人口30万人規模の大規模な造成事業を伴うが、これだけ大規模になると環境への影響も大きく、現実に移転先に受け入れられるのかという問題をはらんでいる。候補地の一つ愛知県瀬戸市では愛・地球博の開催が予定されていたが、自然保護を理由とする反対運動で頓挫し、規模を大幅縮小の上、隣接する長久手町(現・長久手市)の青少年公園を主会場とすることに変更された。愛・地球博の構想に携わっていた者が、移転推進派の代表的論客だった堺屋太一であり、堺屋は規模縮小に反対して万博から手を引いた。首都機能移転では、皇居はそのまま東京都に置くとされる。現行憲法では政令一つでも全国務大臣と天皇双方の署名を必要とするため、そのたびに東京と移転先の間で書類を往復させなければならない。行政の速度が失われるだけでなく、自然災害などの緊急事態には重大な問題となりかねない。ただし、ドイツでは政府機関が首都ベルリン以外の各地(連邦裁判所と連邦憲法裁判所はカールスルーエ、中央銀行であるドイツ連邦銀行はフランクフルト、国防省などの一部省庁は旧西ドイツ首都のボン)に分散されているが、首都機能分散による非効率はあまり問題になってはいない。また現在の日本でも、首相および農水相による伊勢神宮への参拝や天皇・皇后両陛下も参加する神宮式年遷宮をはじめ、儀礼的な行事は旧都も含め伝統的な政治施設・宗教施設の多い近畿地方で執り行われることが少なくない。元東京都知事石原慎太郎は、国会議員時代には賛成の立場だったが、都知事としては反対を鮮明にしていた。しかし、東北地方太平洋沖地震後には首都機能分散に賛意を示している。長い間奈良・京都・大阪を中心とする近畿地方が、文化・経済の中心地だった経緯から、文化庁などを大阪府周辺に移転する提案がなされたこともあった。特に、京都市への移転が2000年頃から提案されている。オランダやボリビアのように首都とされている都市にこれらの機能がなく、別の都市に置かれている場合もある。たとえばオランダの国会や王宮・政府庁舎などは憲法で首都と定められたアムステルダムではなくハーグにあり、ボリビアでは19世紀末からラパスに首都機能の大半が移転されたあとも憲法上はスクレ(ただし最高裁判所は存置)が首都とされている。また、南アフリカのように一部の機能を首都以外の都市に置いている場合もある。世界では、主に危機管理上の観点から首都機能の移転が数ヶ所の都市で行われている。大韓民国(韓国)の首都ソウルは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との軍事境界線に近く、朝鮮戦争では一時北朝鮮に占領された経験を持つ。このため、1990年代以降、ソウルに集中していた政府機関の一部を、中部のテジョン(大田広域市)に移転させた。さらに2012年7月には、周辺自治体の一部領域を分離・統合して新都市世宗特別自治市を一からつくり、そこに対する政府機関の大胆な移転をも実現した。正式な遷都は、ソウルを首都と規定する憲法に違反するとされたため現状では困難ではあるが、多くの政府機能が世宗市に移転する計画である。民族・宗派間の対立が絶えないスリランカでは、1984年に、コロンボからスリジャヤワルダナプラコッテに首都を移転すると決定した。内戦の影響から国会議事堂など一部が移っただけにとどまっていたものの、2009年の内戦終結後は徐々に移転が進められている。なお、コロンボ市街地とスリジャヤワルダナプラコッテ市街地は近接しており、実質的には両者とも単一の都市圏を形成している。

出典:wikipedia

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