カンザスシティ・チーフス (Kansas City Chiefs) は、ミズーリ州カンザスシティに本拠地を置くNFLチームである。AFC西地区所属。第4回スーパーボウルで優勝している。1960年に石油王のラマー・ハントによってテキサス州ダラスにアメリカン・フットボール・リーグ (AFL) のフランチャイズとしてダラス・テキサンズとして創設されたが、NFLはそれに対抗してダラス・カウボーイズをエクスパンションチームとした。初代ヘッドコーチとしてハントは当初バド・ウィルキンソン、トム・ランドリー(カウボーイズ初代ヘッドコーチに就任)に声をかけたが断られ、マイアミ大学のアシスタントコーチをしていたハンク・ストラムを初代ヘッドコーチとした。コットン・ボウルを本拠地として3シーズンの平均入場者数は、AFLベストの24,500人であった。最初の2シーズンで14勝14敗だったチームは、リーグ創設3年目に11勝3敗の成績を残してAFLチャンピオンシップゲームでヒューストン・オイラーズと対戦、ダブルオーバータイムの末に20-17で勝利した。この試合の時間は77分54秒に渡り、未だにプロフットボール史上最長の試合時間となっている。AFLチャンピオンとなったものの、創設して3年間の成績が9勝28敗3分にすぎないダラス・カウボーイズの方がメディアから注目され続け、1963年にハントは、チームをジョージア州アトランタかフロリダ州マイアミに移転させようと考えた。そこへカンザスシティ市長がチームの誘致に名乗りをあげ、カンザスシティ・ミュニシパル・スタジアムの拡張の約束などを行ったため、ハントは1963年5月22日にチームをカンザスシティに移転し、同年5月26日にチームの愛称をチーフスに変更した。この時新しい愛称をファンから募集したところ4,866件の応募があり、1,000件以上の愛称が寄せられ、ミュールズやロイヤルズの方が票を集めたが、カンザスシティ市長のニックネームでもあったチーフスが48票を集めて選ばれた。チーフスはAFLで最もプレーオフに出場した強豪であり(プレーオフ出場回数はオークランド・レイダーズとタイ)、3回優勝したのはチーフスのみであった。ハントはNFLコミッショナーのピート・ロゼールとAFLとNFLの統合について話し合い、両リーグの統合、両リーグのチャンピオン同士が争うAFL-NFLチャンピオンシップゲーム(スーパーボウル)を実施することを合意した。1966年シーズン、チームはAFLのチャンピオンとなって第1回スーパーボウルに出場し、グリーンベイ・パッカーズと対戦した。この試合でフレッド・ウィリアムソンのタックルで相手WRのボイド・ダウラーが退場したが、代わりのマックス・マギーのタッチダウンパスキャッチ、チーフスのパスがインターセプトされるなど大差で敗れた。3年後、チームは第4回スーパーボウルに出場しミネソタ・バイキングスと対戦し優勝を果たしMVPにはQBのレン・ドーソンが選ばれた。1971年12月25日のマイアミ・ドルフィンズとのプレーオフはダブルオーバータイムまでもつれた末、24-27で敗れた。この試合は、82分40秒とNFL史上最長の試合となっている。その後チームは、同地区のオークランド・レイダーズ、サンディエゴ・チャージャーズ、デンバー・ブロンコスの影に隠れ、目立った活躍を見せなかった。1981年、ドラフト2巡で入団したRBジョー・ディレイニーが1,121ヤードを走る活躍を見せてチームは9勝7敗と1973年以来となる勝ち越しでシーズンを終えた。ディレイニーは翌1982年に網膜剥離の手術を受けたため出場機会は限定的となり、ストライキで短縮されたシーズンをチームは3勝6敗で終えた。翌1983年6月29日、ディレイニーは3人の溺れた子どもを助けるために建設工事現場に大雨でできた水たまりに飛び込み、1人の子どもを救ったが溺れて亡くなった。1989年にマーティ・ショッテンハイマーがヘッドコーチに就任すると、クリスチャン・オコイエのパワーラン、デリック・トーマス、ニール・スミスら強力ディフェンスの活躍でプレーオフの常連となった。1993年にはジョー・モンタナとマーカス・アレンの加入もあり、11勝5敗とフランチャイズ創設以来最高成績をあげて、ピッツバーグ・スティーラーズ、ヒューストン・オイラーズを破ったが、AFCチャンピオンシップゲームでバッファロー・ビルズに敗れた。1994年1月14日のオイラーズ戦がチームのプレーオフでの最後の勝利となっている(2012年シーズン終了時点)。1994年には13勝3敗となり、プレーオフでは地元でインディアナポリス・コルツを迎え撃ったが、QBのスティーブ・ボノが3インターセプト、キッカーのリン・エリオットがFGを3本失敗し7-10と敗れた。1997年にはエースQBのエルヴィス・ガーバックが負傷し控えQBのリッチ・ギャノンが出場し13勝3敗でシーズンを終えた。プレーオフのデンバー・ブロンコス戦では再びガーバックが先発したが7-10で試合に敗れた。ヘッドコーチのショッテンハイマーは1989年から1998年終了までの10シーズン、101勝58敗1分、プレーオフ出場7回の成績を残し辞任、後任にはディフェンスコーディネーターのガンサー・カニンガムが就任した。1997年にニール・スミスがブロンコスに移籍、デリック・トーマスも2000年1月23日に交通事故に遭い2月8日に亡くなった。カニンガムは1999年と2000年の2シーズンを16勝16敗の成績で、2000年シーズン終了後にヘッドコーチを解任され、セントルイス・ラムズを第34回スーパーボウルで優勝させたディック・ヴァーミールが2001年からヘッドコーチとなった。ヴァーミールはQBのトレント・グリーン、RBのプリースト・ホームズを獲得し、それまでのディフェンスを中心としたゲームプランから一転してオフェンスを中心としたゲームプランを用いた。2003年にチーム記録となる9連勝を含み13勝3敗でシーズンを終えたチームは、オフェンスのいくつかのカテゴリでNFLトップ成績を残した。またプリースト・ホームズはマーシャル・フォークが持っていたシーズン27タッチダウンランの記録を塗り替えた。プレーオフでのインディアナポリス・コルツ戦はお互いにパントを1度も蹴らないオフェンス合戦となったが、31-38でコルツの勝利となった。2004年は7勝9敗と負け越し、2005年には10勝6敗の成績をあげたがプレーオフ出場はならなかった。エースRBのホームズがシーズン中盤に故障し、ラリー・ジョンソンがその後9試合しか先発出場しなかったにもかかわらず1,750ヤードを走る活躍を見せた。2005年シーズン終了とともにヴァーミールはヘッドコーチを辞任した。2006年もジョンソンは活躍し、チームは9勝7敗ながらプレーオフに進出したがインディアナポリス・コルツ戦でジョンソンが抑えられ完敗した。2008年、エースRBのジョンソンは、NFLとチーフスより3試合出場停止となり、ヘイリーヘッドコーチのチーム方針にも反発しキャンプに不参加、トレードを志願する発言をした。その後シーズン半ばにはジョンソンは解雇された。この年チームは2勝14敗に終わり、シーズン終了と共にハーマン・エドワーズヘッドコーチは解任され後任にはアリゾナ・カージナルスのアシスタントコーチだったトッド・ヘイリーが就任した。またGMにはニューイングランド・ペイトリオッツ時代にトム・ブレイディをドラフト6巡で指名したこともあるスコット・ビオリが就任した。2010年、ジャマール・チャールズ、トーマス・ジョーンズに牽引されたラン攻撃がチームを引っ張り開幕から3連勝を果たした。チャールズはこの年NFL2位の1467ヤードを走る活躍を見せ、チームは10勝6敗で地区優勝を果たしたが、ワイルドカードプレーオフで敗れシーズンを終えた。2011年、9月18日にRBチャールズが、11月21日にはエースQBマット・キャセルが故障者リスト入りするなどけが人が続出した。キャセルの離脱後はタイラー・パルコが先発したが1勝3敗の成績しか残せず、ヘイリーはヘッドコーチを解任され、ディフェンスコーディネーターのロメオ・クレネルが暫定ヘッドコーチとなったが、デンバー・ブロンコスからウェーバーされたQBカイル・オートンを獲得、そこまでシーズン13連勝中だったグリーンベイ・パッカーズを破る番狂わせを見せるなど、残り3試合を2勝1敗で終えた。シーズン終了後、チームはクレネルを2012年からの正式なヘッドコーチとして3年契約を結んだ。2012年、12月1日にジョバン・ベルチャーが恋人を殺害、ビオリGMとクレネルの目の前で自殺するショッキングな事件を起こした。その翌日、12月2日のカロライナ・パンサーズ戦で27-21と勝利、連敗を8でストップしたが、リーグ最低の2勝14敗でシーズンを終え、クレネルはヘッドコーチを解任された。その一方、プロボウルには5人が選出された。ビオリも1月4日にGMを解任され、前年までフィラデルフィア・イーグルスのヘッドコーチだったアンディ・リードが新ヘッドコーチとなった。1960年の創設以来10人のヘッドコーチが誕生している。初代ヘッドコーチのハンク・ストラムは1960年から1974年までチームの指揮を執り、その間AFLチャンピオンに3回、スーパーボウル出場2回(第4回スーパーボウル優勝)の成績を残した。マーティ・ショッテンハイマーは10シーズン中7回チームをプレーオフに導いた。彼はチーフスの歴代ヘッドコーチ中63.4%の勝率を残している。ガンサー・カニンガムは1995年から1998年及び2004年から2008年にはチームのディフェンス・コーディネーターを務めた。
出典:wikipedia
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