大阪府立港高等学校(おおさかふりつ みなと こうとうがっこう)は、大阪府大阪市港区にある公立高等学校。全日制普通科を設置する。大阪府立江戸堀高等女学校として1911年に設立された。特に高女時代のOGの活動が活発であり、校内に同窓会の「六の花会館」もある。一部科目で少人数授業が行われており、火曜日、金曜日の7限目には“チャレンジレッスン”という全学年の希望者対象の授業も設けている。また、技能審査の成果による単位認定もある。着用自由の標準服制度を導入し、式典時などは標準服を着用するものの、普段の服装は自由となっている。2013年時点では選択が可能な制服着用となっている。1911年3月21日付で大阪府立江戸堀高等女学校として、大阪市西区江戸堀に設置が認可された。大阪市内の府立高等女学校としては、梅田高等女学校(北区)、清水谷高等女学校(東区)、夕陽丘高等女学校(南区)に次ぐ4校目の設置となった。1911年4月に西区江戸堀南通3丁目(現・西区江戸堀2丁目)の大阪市立第一女子手芸学校内で開校し、同年5月に市立大阪高等商業学校仮校舎跡(元・西区第二高等小学校)を仮校舎として移転した。1914年7月24日、西区市岡町(現・港区波除2丁目)の現在地に新校舎が竣工し移転した。移転直後の1914年9月9日付で大阪府立市岡高等女学校へと改称している。開校当初は4年制だったが、1921年に5年制へと修業年限を延長している。1945年3月の大阪大空襲により校舎に被害を受け、また終戦直後の1945年9月には枕崎台風により校舎床上浸水の被害を受けている。1945年3月から終戦まで大阪府立泉尾高等女学校・大阪府立市岡高等女学校・私立明浄高等女学校の大半の生徒は、国家の命により、大阪府枚方市にあった陸軍造兵廠香里製造所において、昼夜二交代で火薬の粉塵が舞う劣悪な環境の中、爆弾・砲弾の製造作業に従事。この体験を無にしないため、同地には非戦の誓いの碑が建てられている。1948年の学制改革により大阪府立港高等学校と改称した。大阪府立市岡高等学校(旧制市岡中学校)・大阪市立西華高等学校(旧制西華高等女学校。大阪市立西高等学校へ合併され廃校)と生徒・教職員を交流して男女共学を実施した。また終戦直後、新制中学校・大阪市立港第一中学校(1949年大阪市立市岡中学校)に校舎の一部を貸し出すことになった。市岡中学校は1947年-1948年、および1950年-1951年の2度にわたり校舎を借用した。当時義務教育優先として、新制中学校の校舎確保のため市岡中学校に校舎を譲る形で廃校とすることも検討された。市岡中学校は、戦災で廃校となった旧市岡第五小学校(魁国民学校)跡に校地を確保したため、港高校の廃校は回避されている。1973年には従来の制服制度を廃止し、標準服制度へと移行した。1980年代には校舎改築工事が実施され、1988年に竣工している。
出典:wikipedia
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