カナダ自由党(カナダじゆうとう、英語:、フランス語:)は、カナダの自由主義(社会自由主義)、中道左派政党。自由主義インターナショナル加盟政党である。創設は1861年。現在の党首はジャスティン・トルドー。口語ではホイッグ党とも呼ばれる。中道右派政党であるカナダ進歩保守党(現在はカナダ保守党)と共にカナダにおける二大政党制の一翼を担ってきた。オンタリオ州、ブリティッシュ・コロンビア州、オタワ・ガティノー首都圏、ケベック州モントリオール等、都市部を基盤としている。近代カナダの歴史の中でも最も政権を担ってきた政党であり、20世紀は先進国の間では最長となる69年間与党として国家運営に君臨してきたなど、"natural governing party"とも言われる。1867年に結成された。1873年にアレキサンダー・マッケンジーが首相となって以来、大半の期間を政権与党として活動してきた。特に1968年に首相となったピエール・トルドー(首相在任:1968年 - 1979年,1980年 - 1984年)は長期政権を維持し、1971年の「多文化主義宣言」による公用語の英仏二カ国語化など、多文化国家カナダの原型を作り上げた。トルドー退任後に行われた、1984年の総選挙では進歩保守党のブライアン・マルルーニーに政権の座を奪われ、10年近く野党となったが1993年の総選挙で大勝し(この時ライバルの進歩保守党は、たった2議席しか獲得できないという壊滅的敗北を喫した)、ジャン・クレティエン、ポール・マーティンと2006年まで続けて政権を担った。しかし2004年2月、クレティエン政権時代における公的補助金に関するスキャンダルが会計検査院によって暴露されたことで支持率が急落、直後に行われた総選挙では第一党こそ維持したものの過半数を失い少数与党となった。そして2006年の総選挙で敗北し、保守党に政権を明け渡し野党に転落した。2008年10月14日の総選挙でも改選前95議席から77議席に議席を減らし、保守党の勝利を許す結果に終わった。2011年の総選挙ではさらに議席を34議席に減らし、党首のイグナティエフも落選するなど結党以来最悪の惨敗で、野党第一党の座を新民主党に譲る結果となった。選挙後、ボブ・レイが暫定党首に就任し、体制の立て直しを図ることになった。2013年4月に行われた党首選挙で、ピエール・トルドー元首相の息子であるジャスティン・トルドーが投票者の80%の支持を得て、党首に選出された。トルドーが党首に選出されてから自由党に対する支持は増加し、世論調査において与党である保守党を上回って首位となった。2015年カナダ総選挙では、大幅に議席を伸ばして単独過半数となる184議席を獲得。約10年ぶりに政権を奪回した。中道右派政党のカナダ保守党に対して、自由党は自由主義インターナショナルに所属しているものの、中道左派政党とされている。近代カナダにおいて国民皆保険制度の確立や所得の再分配機能強化などの社会的公正、二言語国家・有色人種の移民受け入れに代表される多文化主義などを実現してくるなど左派的な政策を行ってきた。また、外交面においても対米追従型ではなくイラク戦争に反対するなど友好国アメリカ合衆国に対しても異を唱えるなどの1960年代から独自外交路線を貫く。また、党内においてても右派・左派の違いがあり包括政党的な面も持っている。そのため、社会民主主義を掲げる左派政党である新民主党よりは中道寄りである。太字は首相経験者太字は総選挙に勝利し、与党となった、又は与党を維持した年
出典:wikipedia
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