狗奴国(一般的には「くなこく」と読む)は、中国の三国時代の歴史書三国志(西晋の陳寿の作)のうちの魏書の中の魏書東夷伝に記載されている邪馬台国と対立していた倭人の国。3世紀の倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国の南に位置する。その名称からも、元は奴国の分国ではないかという説があるが、単に「クの国」(「奴」は「の」という意味に過ぎない)という説もある。男王卑弥弓呼(一般的には「ひみここ」と読むが「ひこみこ」(彦御子)とする説がある)がおり、官を狗古智卑狗(一般的には「くこちひこ」と読むが「きくちひこ」(菊池彦)「かわちひこ」(河内彦)とする説がある)と言った。邪馬台国の女王卑弥呼と卑弥弓呼は「素より和せず」戦闘状態にあったが、この戦いの最中に卑弥呼が死去したという。邪馬台国の比定地について学界の主流は畿内説と北九州説に二分されている。邪馬台国九州説に立つ論者は狗奴国の位置をだいたい九州内のどこかに置く説が多い。邪馬台国畿内説に立つ論者は狗奴国の位置について大きく三つに分かれる。邪馬台国についてヤマト王権との関係に諸説あるように、狗奴国についても、その後どうなったのかを巡る諸説が対立している。主なものは、消滅説(邪馬台国に敗れ滅んだ)、東遷説(邪馬台国を滅ぼし東征しヤマト王権の母体となった)、継承説(熊襲になった)、神武天皇による九州の日向から近畿の奈良方面への東征伝承を邪馬台国連合の圧迫からの逃亡でありヤマト王権になったとする説などがある。更に近年、考古学の分野において古墳時代前期前半に前方後方墳を造営していた濃尾平野以東の東日本の諸勢力の前身で大型の前方後方形墳丘墓を営んでいた濃尾平野の勢力を狗奴国と見て、卑弥呼没後まもなく邪馬台国連合に統合され、徐々に吸収されたとする見解が出されている。
出典:wikipedia
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