HUB(ハブ、1978年8月7日 - )は、日本の男性覆面レスラー。身長168cm、体重80kg。正体、本名は非公開。みちのくプロレスに練習生として入団(同期に現:シーサー王の湯浅和也がいる)したがスペル・デルフィンらと共に離脱、1999年3月2日、金沢・石川県産業展示館大会、対薬師寺正人&星川尚浩&瀬野優戦にてマスクマン「スペル・デメキン」としてデビュー(パートナーはツバサ、スペル・デルフィン)。4月に旗揚げした大阪プロレスに参加する。ギミックでスペル・デルフィンの弟という設定になっていた。2002年9月、椎間板ヘルニアになり3か月休場する。12月に復帰。2003年2月、(ギミックで)メキシコへ修行の旅に出る。11月、一時帰国し東京で行われたみちのくプロレスの大会に出場する。互いに対戦を熱望していた同期の湯浅と対戦。2003年2月、突如登場しルード軍岸和田愚連隊に所属する。若手特攻隊長の役割を担う。初期はドクロのマスクに黒い迷彩模様の野戦用軍服という出で立ちであったが、年末ごろよりマスクを大きく変更、鬼面のような顔とデメキン時代を思わせるようなヒレを左右に配したデザインになる。2004年2月、SUPER J-CUPトーナメントに出場するが1回戦敗退(対戦相手はガルーダ)。2005年1月、内部抗争により岸和田愚連隊を追放される。同月、正体がスペル・デメキンである事を明かし、ベビーに再転身。2月の府立大会へ向け欠場し沖縄にてボクサー徳山昌守と特訓する。かつての(ギミック上の)兄スペル・デルフィンの命名によりスーパードルフィンとなる。2005年2月、大阪府立体育会館大会にてスーパードルフィンとなり登場。大阪プロレス選手権でビッグボス"MA-G-MA"に勝利し第10代王者となる。4月、9月、10月と3度の防衛に成功している。2006年2月、負傷を押して出場した、大阪プロレス選手権にてスペル・デルフィンに敗れ王座から陥落する。左膝前十字靭帯断裂の為、長期欠場に入る。2007年2月、グランキューブ大阪大会にてアジアンクーガーを相手に復帰戦を行う。2007年4月、突如、ルードターン。GAINAからバッドフォース入隊の勧誘を受ける。2007年4月28日、メインイベント終了後の乱闘にゴアのマスクを被って参加。バッドフォース入りを宣言し、大阪プロレス8周年記念大会での新キャラでの登場を予告。2007年4月29日、予告通り新たなキャラクター「ゼロ」として登場。コスチュームもかつてのゴアを彷彿とさせるものに一新する。ゴア時代の黒+黄色、黒+赤のカラーリングに対し、ゼロは黒+緑となっている。このカラーリングはバッドフォースの軍団色となり、他のバッドフォースのレスラーもこれに倣いコスチュームの色を変更している。2007年12月、GAINAともに大阪プロレスタッグ王座を奪取。2008年、沖縄プロレス旗揚げに参加する為にバッドフォースを解散。沖縄プロレス旗揚げ後も、大阪プロレスにはゼロとして参戦することがあったが、10月26日に大阪プロレスタッグ王座を失陥してからは、大阪プロレスへの参戦もなくゼロのリングネームも使用しなくなった。2016年5月22日、DDT大阪大会で竹下幸之介とのシングルの際に復活。2008年、沖縄プロレス旗揚げに参加。沖縄プロレスでは怪人ハブ男として活動する。2009年6月24日、MWFオオサカプロレス旗揚げ戦で行われたMWF世界タッグ王座決定戦で、シーサー王と組んで、スペル・デルフィン&マグニチュード岸和田から勝利。2009年7月5日、初代沖縄プロレス王座決定トーナメントに優勝し、沖縄プロレス王座を戴冠。2010年5月、沖縄プロレス王座を返上して第2代沖縄プロレス王座決定トーナメントの開催を宣言。トーナメントは準決勝で敗れてしまい2年連続での優勝はならなかった。2010年9月8日、菅原拓也と組んでNWAインターナショナルライトタッグ王座を奪取。2010年9月にはZERO1の天下一Jr.に出場し、初出場ながら準優勝を飾った。その決勝戦中に首を負傷してしまい欠場。10月29日に復帰。2011年7月、チューバートーナメント2011で優勝。7月30日に沖縄プロレス王座を奪取するが、8月にはNWAインターナショナルライトタッグ、MWF世界タッグを相次いで失陥した。2012年8月、「沖縄プロレス」が本土へ移動。興行団体となったため退団。みちのくプロレス「ふく面ワールドリーグ戦」に初出場。準決勝にて獣神サンダー・ライガーに敗退している。2012年9月12日、ZERO1の天下一Jr.に出場。プロレスラーとしてはやや小柄だが、技のキレが鋭く、瞬発力をいかしたスピーディーな試合運びに特徴がある。
出典:wikipedia
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