田村 通顕(たむら ゆきあき)は、江戸時代後期の大名。陸奥一関藩第9代藩主。のちに陸奥仙台藩主・伊達慶邦の養嗣子となり、伊達 茂村(だて もちむら)と改名した。嘉永3年(1850年)6月8日、陸奥一関藩第8代藩主・田村邦行の長男として一関館にて生まれる。幼名は磐二郎。安政4年(1857年)5月12日、父・邦行の死去にともない家督を相続し、第9代藩主となる。文久3年(1863年)、跡取りのいなかった宗藩・陸奥仙台藩の伊達慶邦の養嗣子として迎えられることになり、急遽、一関藩主および田村家の家督を譲る養子を迎える必要に迫られた。はじめ一門亘理伊達氏当主・伊達邦成を迎えようとしたが、亘理の家老・常盤顕允らの猛反発に遭って断念し、代わりに同じく一門の角田石川氏から石川義光の子・啓之進を迎えた。これが第10代藩主・栄顕(邦栄)である。こうして10月9日、通顕は慶邦の養子となり、伊達庸村(つねむら)と名乗り(慶邦の初名・寿村から「村」の一字を与えられた)、同年12月19日、将軍・徳川家茂に御目見し、偏諱を賜って茂村に改名。従四位下侍従・美作守に叙任されたが、茂村は慶邦に先立って慶応3年(1867年)6月16日、江戸の浜屋敷にて死去した。享年18。
出典:wikipedia
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