京言葉(きょうことば、京ことばとも表記)とは、京都で用いられる日本語の方言である。京都弁(きょうとべん)、古くは京談(きょうだん)とも。近畿方言の一種であり、大阪弁とともに上方言葉の中核をなす。広義には旧山城国の方言を指す。1000年以上にわたって日本の都があった地域であり、江戸時代中期まで京言葉は日本の中央語(事実上の標準語)とされ、現代共通語の母体である東京方言を含め、日本各地の方言に強い影響を与えた。明治から昭和中期までの標準語普及政策の影響も少ない。京都は伝統を重んじる保守的な街とされるが、古くからの大都市で京言葉は変化し続けており、平安時代以来の古語はあまり保存されていない。明治維新前後にも大きな変動があったとされ、代表的な京言葉「どす」「やす」「はる」も幕末以降に成立・普及した言葉と考えられている。現在では共通語化や関西共通語化(大阪弁化)も進み、伝統的な京言葉を用いるのは高齢層や花街の芸妓社会などに限られている。1993-94年の方言調査によると、「どす」に関して80代では「使用する」と回答した割合が49.2%なのに対し、10代では「聞いたこともない」が54.0%となっている。京言葉は、大きく分けて御所で話された公家言葉(御所言葉)と、街中で話される町ことば(町方ことば)に分類される。前者の公家言葉は、宮中や宮家、公家のあいだで室町時代初期から女官によって話されたもので、明治以降も一部の門跡で継承されてきた。後者は、話者の職業や地域によって更に細かく分類することが出来る。広義の京言葉は以下のように区分される。京言葉が優雅であるとされる要因の一つとして、京言葉の持つ発音やアクセントがあげられる。長母音やウ音便を多用することから、全般的にテンポが遅く、ゆったりとした柔らかい印象を与えるのである。ガッコー(学校)を「ガッコ」、サンショー(山椒)を「サンショ」とするなど、長母音を短く発音する。その一方で、一拍名詞を長く伸ばすことも盛んに行われ、カ(蚊)を「カー」、ノ(野)を「ノー」とする。母音 i が e に転訛し、シラミ(虱)が「シラメ」となることがある。その他にも、e が i に、u が o に、o が u に転訛する場合がある。連母音が転訛し、「見える」が「メール」となる場合もある。シツレイ(失礼)を「ヒツレイ」とするなど、シの子音 が に転訛することがあるほか、 が に転訛する例や が に転訛する例などがある。語呂を滑らかにするための関西特有の音便が多用される。大阪弁などと同じく京阪式アクセントの典型であるが、大阪弁とは一部の表現でアクセントが異なる(左が京都、右が大阪のアクセント)。長らく御所が存在し宮中で話された御所言葉の影響が庶民にも広まったこと、古くからの都市社会であり封建的な社会階層化が進んだことなどから、敬語が非常に発達した。特に女性層で顕著であり、女性層では敬語に限らず常に丁寧な言葉遣いが好まれ、「食う」よりも「食べる」、「うまい」よりも「おいしい」を用いようと努めたり、「お豆さん」など日常生活の名詞にも盛んに敬称をつけたりする。依頼や辞退を表すときには、直接的な言い方は避け、婉曲的で非断定的な言い回しを好む。例えば「〜して下さい」という要求をする時も、「〜してもら(え)やしまへんやろか」(〜してもらえはしませんでしょうか)のような遠回しな否定疑問を用いる。辞退する時も、「おおきに」「考えときまっさ」などと曖昧な表現をすることによって、勧めてきた相手を敬った表現をする。また、「主人に訊かなければ分からない」などと他人を主体化させ、丁重に断る方法も良く用いられる。後述する「ぶぶ漬け」も、そのような直接的表現を嫌う風土によるものである。京言葉を解さない人からは、現代においては封建的で意味の成さないことが多く、コミュニケーションをとりにくいと思われている。京都の婉曲表現を物語る上で、よく用いられるのが『京のぶぶ漬け』(茶漬けのこと)の例である(他に、玄関先での「座布団」、寒い日の「火鉢」、現代では「緑茶(宇治茶など)」「紅茶」「コーヒー」の例もある)。これは、京都で他人の家を訪問した際、その家の人にぶぶ漬けを勧められたら、それは暗に帰宅を促しているという意味である。その場合、家人は茶漬けの準備など全くしていない。一般に「今日は、ぶぶ漬け程度の粗食しかおもてなし出来ないので、日を改めてまた来てくれ。」という意味に解釈されているが、角が立たないように、自分の意思を伝える一種の取り決めごととも言える。そもそも「食事を勧められる」ということは、客がそのような食事時に訪問しているか、あるいは食事時まで居続けているということであり、常識的に考えれば失礼な行為に当たる。家人が「食事を勧める」ことで、訪問者は時間を自覚でき、家人側も相手に対して失礼を犯さずに帰宅を要求することができる、という社交的な効果があると考えられる。この場合の理想的なやり取りとしては、家人がぶぶ漬けを勧めてきたら、客人は一旦はこれを固辞し、少なくとも2回断ってもまだ勧めてくるようだったら有難く家の中に上がって頂く。ぶぶ漬けを勧められても、一旦はこれを断るのは常識であり、もし遠慮も無く真に受けて食べてしまうと、家人に「あの人は厚かましい」という印象を抱かれてしまいかねない。もっとも大抵の場合、1回または2回断った時点で、家人はぶぶ漬けを勧めるのをあっさりやめるので、客人は「ほな、この辺でお暇致します。今日はおおきに。」と家を引き取る行動を起こすのである。このとき家人が何らかの行動を起こして、さりげなく客人に帰るよう促すこともある。相手の真意を探るには『場の空気』『阿吽の呼吸』とも言える、絶妙なテクニックが必要となる。もちろん、「ぶぶ漬け」はあくまで喩えであり、その他の日常生活においても、京都ではコミュニケーションにおける伝統的な暗黙の了解事項が多々存在しており、一言では到底説明し切れない。実際に京都で生活してみないと分からない感覚なのである。どちらにせよ、古くからの慣習によって成り立っているそのコミュニケーションに慣れていない非京都圏の人々には全く意図が伝わらず、慌てて実際に料理を用意しなければならない場合もあり、また、逆に非京都圏の客人が単に「早よ帰っておくれやす。」の意味としてだけ知っていた場合、客人の心証を害すなど、余計なトラブルを招くことがある。そのため、京都人は会話の相手が何処で生活している人間であるのかを事前に理解しておくべきであり、会話中の方言などで会話相手が京都圏在住であることを類推できるような場合以外は、初対面の相手に京言葉を無暗に使用しないことが推奨される。なお「ぶぶ漬け」に関するエピソードを扱った小説には、北森鴻『ぶぶ漬け伝説の謎』(同名の短編集に収められている)が存在する。北森はこの小説の中で登場人物に次のような内容を語らせている。「ぶぶ漬け伝説は非常によく知られている。しかし、現実にそのとおりの体験をした人となると聞かない。京都の人に聞いても、そういった仕打ちをしたという人もいない」。「〜なはい」や「〜や」、「〜え」などの接語の他にも、独特の表現や語彙が存在する。「駄々をこねる子」を「ダダコ」と表現するなど、別の品詞から名詞を作り出すパターンが多い。また、女房言葉に由来する、名詞(主に生活に関するもの)に敬称をつける表現がある。同じ言葉を繰り返して、意味を強調する。京言葉では擬音語・擬態語(オノマトペ)を多用し、リズム感を構成する一因となっている。「ガタガタ」、「ミルミル」などというようなものである。また、「はんなり」のような2音節目に「ん」、4音節目に「り」を持つ擬態語(「ぐんなり」、「ちんまり」など)が多く存在する。「はんなり」の語源は「花」であるが、これはけばけばしい「華やかさ」を表しているわけではなく、つつましく可憐な様子を表す。
出典:wikipedia
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