大阪府立豊中高等学校(おおさかふりつ とよなかこうとうがっこう)は、大阪府豊中市にある公立高等学校。1921年に13番目の府立中学校として創立。中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が大正中期に新設した旧制中学校5校のひとつ。略称は「豊高」。2010年の入学者までは標準服はあるが私服での登校も可能である。ピアス、髪の脱色なども禁止はされていない。ただし、2011年の入学者からは進学指導特色校事業の施行に伴い、2011年度以降に入学の者は制服着用となる。ほぼ全ての卒業生が大学進学を志望し、2011年度から大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校となり、普通科に加えて文理学科が設置された。大阪大学の講義を受講する高大連携授業も行っている。また体育の時間には通常のラジオ体操ではなく、「豊高体操」なる独自の体操を伝統的に行っていたが、現在では通常のラジオ体操を行なっている。正門すぐそばの北側に増築した教室(現在は同窓会「豊陵会」が使用)は、テニスコート部分に建設されたため、教室の上部はテニスコートになっている。2・3年時に英語の、3年時に数学の少人数授業を実施している。一時期45分授業を導入していたが、2011年度より50分授業へと変更された。本校の校歌は、他の多くの校歌にも見られる北原白秋作詞・山田耕筰作曲のものである。当初、大阪市内に建設の予定だったが候補地が二転三転した。そのためひとまず入学試験を府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)で行い、授業も府立生野中学校(現・大阪府立生野高等学校)の校舎を間借りして行った。その後、阪急宝塚本線の沿線開発によって発展期を迎えていた豊能郡豊中村(当時)から誘致があり、校地がようやく決定した。創立の翌年には現在地に校舎が完成、移転となった。太平洋戦争の際には、勤労動員先の工場が空爆被害に遭ったため生徒や教職員が犠牲になり、校舎も機銃掃射の被害を受けるなどした。終戦直後の1946年には進駐軍の米国人中尉が来校してアメリカンフットボールを指導したため、大阪府立池田高等学校とともに(日本における)高校アメフト発祥の地とされている。学制改革の際、豊中市立の新制中学校に校舎を転用するため廃校という話も持ち上がったが、回避されている。大阪府立桜塚高等学校(旧制大阪府立豊中高等女学校)と生徒を交流し、また旧制豊中市立高等女学校から女子生徒を編入して男女共学を実施した。
出典:wikipedia
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