紀和大会(きわたいかい)とは、1977年(昭和52年)まで和歌山県と奈良県で交互に行われていた、夏の高校野球地区大会。紀和の「紀」は紀州の「紀」、「和」は和州の「和」。大会会場も和歌山県の紀三井寺球場や奈良県の橿原球場で行われていた。全国高等学校野球選手権大会は、北海道と東京都から2代表で、それ以外の各府県からは1校の49代表で争われるが、1958年(40回大会)から1977年までは大会回数の下1桁が0か5の記念大会のみ49代表制で、それ以外は学校数の少ない府県は2つで1つの代表を選出していた。現在の49代表で行われるようになったのは1978年第60回記念大会で、翌年の第61回大会から完全実施されるようになった。これは和歌山県と奈良県に限ったことでなく、他の地域でもあった。ただ、他の府県が何度か一緒になる府県が変わったのに対して和歌山県と奈良県は第2回大会から第59回大会まで半世紀近く変化がなかった。大会黎明期から50年代までは、1933年(19回大会)代表の郡山中学を除き和歌山県勢の天下だったが、1959年(41回大会)を境にして天理の台頭等に伴い奈良県勢が優勢と、戦前とは形成が逆転した。和歌山県勢は1977年(59回大会)・最後の紀和大会まで(記念大会を除く)61年桐蔭、64年海南、67年市和歌山商、70年箕島の4校に留まり、こと本大会出場に関しては低迷期に陥った。結果は和歌山県勢の39勝14敗だった。
出典:wikipedia
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