日本料理(にほんりょうり・にっぽんりょうり)は、日本でなじみの深い食品を用い、日本の国土、風土の中で発達した伝統的な料理をいう。日本食とも呼ばれ、日本風の食事を和食と呼ぶ。食品そのものの味を利用し、旬を大切にする特徴がある。広義には日本に由来して日常作り食べている食事を含むが、狭義には精進料理や懐石などの一定の形式をふまえたものや、御節料理や彼岸のぼたもち、花見や月見における団子、冬至のカボチャなど伝統的な行事によるものである。2013年11月、「和食」の無形文化遺産への登録が、ユネスコの事前審査で勧告され、同年12月に登録された。主に前近代(江戸時代以前)から日本に存在する料理の流れを引くものを日本料理・和食とするのが、一般的に普及している定義である。「日本料理」と「和食」と言う言葉は文明開化の時代に日本に入ってきた「西洋料理」や「洋食」に対応する形でできた言葉であり、「日本料理」は石井泰次郎による1898年(明治31年)の『日本料理法大全』により一般化され、「和食」はそれ以降に現れたものであると見られている。「日本料理」には料理屋で提供される高級料理のイメージがある一方、「和食」は家庭食も含む日本食文化全体を表す言葉としてよりふさわしいとされる。ユネスコの、無形文化遺産に登録された和食は、「多様で新鮮な食品とその持ち味の尊重」「栄養バランスに優れた健康的な食生活」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「正月などの年中行事との密接な関わり」である。日本は「和食」を料理や調理法だけでなく「いただきます」や「もったいない」といった食事という空間に付随することがらも含めた「自然の尊重という日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習」として提案、年末年始における餅つきや御節料理、食育教育を中心にプレゼンテーションを行った。日本政府の外国向け「日本食レストラン推奨制度」では、具体的に懐石、寿司、天ぷら、うなぎ、焼き鳥、そば、うどん、丼物、その他伝統の料理を日本食としている。日本で独自に発生した料理で海外由来のものではなくても、近代以降に生まれたものについては、日本料理や和食とは区別される場合がある。例えば鉄板焼き料理については、日本料理店で鉄板焼きの食事ができる場合や、同じホテル内に日本料理店と鉄板焼き店を併設している場合もある。日本の食文化の特徴として、多様で新鮮な食品、一汁三菜を基本にし栄養バランスに優れる、自然や季節の表現、正月等行事との関わりが挙げられている。日本料理は食品に手を余り加えず、そのものの風味、よさを引き立たせる傾向が強く、塩で甘みを引き出したり、だしの利用、アク抜きなど、しばしば「引き算の料理」と表現される。また、「食品の持ち味以上においしくしない」ことを原則とし「日本人はおいしいものを探しその持ち味を味わうことを第一としており、おいしくないものに手を加えてまで食べたいとは思わなかった」とその調理の「消極性」が表現されることもある。米等の穀物、野菜、豆類、果物、魚介類や海藻といった海産物、鳥類等の肉が使われる。特に海産物と大豆加工食品が多様で、低脂肪、高塩分であるとされる。現代製塩によるほぼ純粋な塩化ナトリウムが食塩として普及する前は食塩の不純物や海草などに含まれるカリウムを大量に摂取して過剰なナトリウムを体外に排出していた(カリウムチャネルを参照)。このような特徴は中華料理、韓国料理や東南アジアの料理とも共通する。調味はうま味を含んだだし、塩、醤油、味噌、日本酒や酢など。甘みには水飴・みりんが使われ、現在は砂糖も使う。ナタネ油、ゴマ油などの植物油も使う。食品を水にさらしたり茹でたり煮たりすることが多いため、水そのものの味も重視される。(以上5種類の「さしすせそ」と称する語呂合わせがある。)季節感が重視される。旬の食品は美味しく、また市場に豊富に出回り値段も安く栄養価も高くなるため、味を楽しむ好機と考えられている。七草がゆのように、野草特有の自然なあく強さや苦味も味わう。また初鰹のような季節を先取りする「走り」、落ち鮎のような翌年まで食べられなくなる直前の「名残」など、同じ食品でも走り、旬、名残と三度の季節感が楽しまれる。季節の表現は切り方や色でも表現される。春は淡いウドなどをサクラの花びらに見立てて切る。夏は青みのシロウリやキュウリを雷や蛇腹に切る。秋は鮮やかなニンジンなどをモミジやイチョウの葉に切る。冬や新年はユズを松葉に切ったり、ニンジンを梅の花に切ったり、ダイコンとニンジンで紅白を表現したりする。日本料理の調理場を「板場」、料理人や料理長を「板前」「花板」とまな板と関連付けて呼び、切ること自体を煮炊きから独立した調理のひとつとしている。「切る」ことを重視する日本料理の姿勢は「割主烹従(かっしゅほうじゅう)」と呼ばれ、包丁を使って「割く(切る)」ことが主で、「烹る(火を使った調理。煮る、焼く)」ことが従うとされる。関連して、日本料理を「割烹」と呼び、この言葉は江戸後期に関西から広まり、料理店などで使うようになった。日本料理の椀物(吸物)と刺身は、合わせて「椀刺」や「椀差」と呼ばれ、酒肴で重視される。その味によって腕前を確かめられるともされる。日常の食事は、ご飯(白米等の穀物を炊いたもの)、汁物、惣菜は一度にまとめて配膳される。懐石料理などでは、一品(あるいは一膳)ずつ順番に配膳される。日本料理の食事作法は、他文化と異なる場合がある。食器は、漆器、陶器、磁器など。家庭では、ご飯茶碗・箸は、各人専用のもの(属人器)を用いる習慣がある。暖かい時期には、薄手で浅めの磁器を主に、暑くなるとガラスの器なども使われる。涼しい時期には、厚めで深手の陶器を主に、寒くなると蓋付きの器なども使われる。日本列島に住んでいた人々は、採集・漁撈で得た山菜や獣肉、クリやドングリを食してきた。日本の旧石器時代の遺跡からは、焼けた石に動物質の有機物が付着したものが発見され、焚き火で焼いた石を使い狩猟で得た獣肉を焼いたと考えられている。日本の新石器時代である縄文時代には磨製石器と共に縄文土器が用いられた。縄文土器には火にかけた痕跡が認められ、貯蔵以外に、貝や種子、堅果などを煮ていたと考えられている。ドングリなどのデンプンをこねてクッキー状にし、灰の中で焼いたものも発見されている。また製塩用の土器も発見されている。弥生時代には稲作が普及した。弥生土器の中には火にかけて米を炊いて飯にしたとされる痕跡も発見されている。一方で古墳時代には須恵器による甑が多数発見されることから、米を蒸しておこわにしていたと考えられている。また従来の炉に変わって竈が住居に設けられる。『日本書紀』に料理の記述がある。主食と副食による食事構成が定着し米や麦、アワなどをおこわや飯、粥にして食べていた。副食に用いる食品は、野菜、海藻、魚介類が用いられた。獣肉等は天武天皇の675年に、ウシ、ウマ、イヌ、サル、ニワトリの殺生禁止令が出され、表向きは食用とされなくなった。またイノシシとシカは殺生禁止の対象とはならなかった。料理法としては、生物、焼物、煮物に加えて、茹物、羹、和え物、炒り物などがある。加工法としては干物、塩辛、漬物、寿司などがあった。遣唐使による唐の影響から、料理も影響を受ける。大饗(だいきょう/おおあえ)では、飯に膾や干物に加えて、干物や揚げ物を含む唐菓子、木菓子と呼ばれる果物などが台盤に並べられた。箸と共にスプーンも使われた。調味は食べる際に塩や酢、醤(ひしお)、酒で味を付けた。鎌倉時代には、禅宗と共に精進料理が伝わり、煮染や酒煎など調味の技法が発達する。茶に加えて、豆腐、金山寺味噌など食品加工技術が伝わった。寺院の点心からうどんやまんじゅう、羊羹などが民間に広まった。室町時代に料理書『四条流包丁書』書かれたとされる。精進料理が発達し、出汁の概念が生まれた。安土桃山時代に来日したジョアン・ロドリゲスは著書『日本教会史』の中で「能」(実践的な教養)として、「弓術・蹴鞠・庖丁」を挙げている。また大饗料理から派生した「本膳料理」が確立した。後の懐石料理や会席料理にも影響を与えており、出汁と合わせて「日本料理の基礎が確立された」と評する論もある 。醤油が作られ用いられた。「懐石料理」が成立する。茶の湯の発達に伴うものであり千利休の影響が大きい。南蛮船によりてんぷらやがんもどきなどの南蛮料理や、南蛮菓子(カステラやコンペイトウなど)が伝わった。江戸料理と呼ばれる地元の材料を使用した料理が発展した。『絵本江戸風俗往来』に「江戸市中町家のある土地にして、冬分に至れば焼芋店のあらぬ所はなし」と焼き芋屋が大人気であった。初ガツオ・初ナスなど縁起を担ぐ事もあった。だしは鰹節を使い、醤油は濃口醤油が使われた。こしょうなど香辛料も利用され、芳飯も鶏飯なども取り入れられ、おじや、ねぎぞうすいも食べられるようになった。外食産業も栄えており、文化8年(1811年)に江戸の町年寄が「食類商売人」の数を奉行所に提出した資料によると、煮売居酒屋(1808軒)、団子汁粉(1680軒)、餅菓子干菓子屋煎餅等(1186軒)、饂飩蕎麦切屋(718軒)、茶漬一膳飯(472軒)、貸座舗料理茶屋(466軒)、煮売肴屋(378軒)、蒲焼屋(237軒)、すしや(217軒)、煮売茶屋(188軒)、漬物屋金山寺(130軒)、蒲鉾屋(59軒)、醴(あまざけ)屋(46軒)、獣肉(9軒)という記録が残っている。煮売り屋は惣菜の持ち帰りすなわち中食の役割も担っていた。京都、大阪の料理は「上方料理」と呼ばれた。北前船で北海道産の昆布が輸送された。瀬戸内の魚介類や近郊の野菜に加えて、全国の産物も集められた。そのため「諸国之台所」と評された。それまで貴族や武士などの特権階級が独占してきた料理技法が「出版」という形で広く庶民に知れ渡った。「料理切形秘伝抄」、「料理物語」などさまざまな料理本が出版された。初期は寺院が金銭の代わりに料理を提供していたが江戸中期には料理茶屋・料理屋が市中に数多く出現した。江戸後期には「会席料理」が登場する。本膳料理を簡素化し、酒の席で楽しむ料理として成り立った。明治には、肉食が解禁され、江戸期には細々と食べられていた牛鍋などが流行した。柳田國男は『明治大正史 世相篇』の中で「明治以降の日本の食物は、ほぼ三つの著しい傾向を示していることは争えない。その一つは温かいものの多くなったこと、二つは柔らかいものの好まるるようになったこと、その三にはすなわち何人も心付くように、概して食うものの甘くなってきたことである」という。明治には海外と交渉のある階層を中心に西洋料理が食べられるようになった。各地の西洋料理店(洋食店)では、西洋料理の他に、日本人の手で日本風に作り変えた料理が生み出された。家庭では銘々膳の風習にかわり、ちゃぶ台が使われるようになった。戦後物資不足の中、アメリカからの食糧援助として小麦粉が大量に輸入され、学校給食でもパンが提供された。安価に大量供給された小麦粉により、お好み焼きなど小麦の粉食による鉄板焼き料理も発達した。また国内外の中国人、朝鮮人との交流でそれらの影響のある料理も登場した。伝統的な形式が現在に伝わる料理を挙げる。年中行事や冠婚葬祭など行事と結びついた日本料理も多い。餅や赤飯、団子や寿司など、季節や地域によらず広く共通するものもある。また色や姿形からタイやエビなどもよく用いられる。日常生活の汁物や惣菜においては、豆腐や麩、コンニャクやワカメなど広く共通して用いられる。春のフキ味噌やニシン、夏の麦飯やはったい粉、秋の芋茎や干柿、冬の煮こごりや凍豆腐、新年の鏡餅や初竈、餅花など、料理の季語もある。かて飯やかてものなどの救荒食物がある。東北地方太平洋沖地震では、国際連合世界食糧計画や国際連合食糧農業機関、多くの国や地域などから食の支援を受けた。日本の植村直己は独自のペミカンを持って北極点に向かった。現在の日本では流動食がある。郷土料理のうち日本の地方で古くから食べられてきた料理である。アイヌ料理や沖縄料理、くさやや島寿司、皿鉢料理などもある。日本料理は各家庭の他に、蕎麦屋や寿司屋などの専門店、居酒屋や料亭や割烹、また待合やお茶屋、行楽地や宇宙食など、様々な場所で食事ができる。日本の菓子は和菓子や駄菓子などがある。果物のことを水菓子とも言う。2007年に、正統的な日本料理店に認証を与える「日本食レストラン推奨制度」を日本貿易振興機構(JETRO)がフランスで始めた。制度の目的として、道標の提供と日本食文化の認知度向上・普及・浸透、正統的日本料理レストランにチャレンジする機会の提供、日本の食品などジャパン・ブランド輸出促進を挙げている。制度の対象は、日本で一般に「和食」のカテゴリーに入る食事がメニューのほぼ全てを占めるレストランで、その料理は懐石、寿司、天ぷら、うなぎ、焼き鳥、そば、うどん、丼物、その他伝統の日本食(フランスで創作されたそれに準拠するものも含む)としている。海外において、日本食が広く知れ渡るにつれ、日本食レストランと称していても、食品や調理方法など本来の正統な日本食とは異なる食事を提供しているレストランが多く見うけられるようになり(海外の日本食レストランはイギリス人経営のチェーン店ヨー!スーシ、フランスのプラネット・スシなど、現地人が経営・調理していることが多い)、調理法から衛生面まで基準を設け、本物の正統日本食を提供するレストランを認定する制度を日本貿易振興機構や農林水産省が設けた。イタリアやタイ等、国が認定するレストラン制度は他国にも存在する。米(穀類)・野菜・魚が多くの場合料理の基本素材とされており、寿司および刺身、天ぷら、蕎麦などは日本国内外でもよく知られると共に料理店はミシュランにおける評価も高い。2007年に発刊された高級レストランガイド「ミシュラン」の東京版では、150軒の掲載店舗のうち、約6割が日本料理店であり、日本料理店も含めて、掲載された全ての店舗に1つ以上の星が付いた(ミシュランの掲載店舗の中には、星が付かない店もあり、全ての店舗に星が付いたのは、ミシュランでは初めてのことである。)。また、150軒の掲載店舗に合計190以上の星が付き、それ自体も過去最高であった。テレビなどメディアの影響もあり、国際的に活躍する日本人の有名料理人(スターシェフ、Star Chef)も多数出現している。食のタブーを持つユダヤ人から「タブーに抵触しないか?」という声が上がったため、ユダヤ教のラビ(祭司)が視察・検査のため、日本にある八丁味噌の製造工場や、日本茶の農園や加工場などを訪れるようになった。ユダヤ教のラビのお墨付きが付いた食品(カシュルート)は製造過程に甲殻類が一切関わっていないため、甲殻類アレルギーの人にもありがたがられている。食事を通じて健康などに働きかける正食(マクロビオティック)を通じて紹介された日本の料理や調味料が多く、ヨーロッパやアメリカの一部で正食が評価された地域では、日本では一般に使われていない特殊な調理法や食品が使われている場合がある(味噌はパンにぬって食べる場合がある)。企業による大量生産品も一般的であるが、醤油、味噌、豆腐などは古来の製法で作られることも多く、日本の一般的なものよりも風味や栄養価で優れている場合もある。アメリカではたまりも一般的である。日本発祥の料理を各外国風にアレンジしたなどの、現地における日本風料理。
出典:wikipedia
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