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ティーガーII

ティーガーII()は、第二次世界大戦のドイツの重戦車であるVI号戦車の通称。VI号戦車にはI型とII型の2種類の戦車が存在し、それぞれティーガーI、ティーガーIIと呼ばれる。本稿での表記はティーガーIIで統一する。ノルマンディー戦線でこの戦車を見たアメリカ軍は「キング・タイガー」と呼び、イギリス軍は「ロイヤル・タイガー」とあだ名した。この渾名がドイツに逆輸入され、「ケーニッヒス・ティーガー()」(ドイツ語での意味はベンガルトラ)と翻訳された。なおソ連赤軍からはパンターの発展型と解釈され、前線では「新型豹戦車」と呼ばれた。設計概念はティーガーIを踏襲したが、車体には更なる重装甲、重武装が施され、パンターと同じように傾斜装甲が採用された。車体のデザインはティーガーIよりもむしろパンターの発展型といえるが、トランスミッションはティーガーIの流れを汲んだものである。ティーガーIIの重量は68.5トンから69.8トンにもおよび、前面装甲は150-180mmの厚さを持ち、8.8 cm KwK 43/2 L/71戦車砲が主武装となった。車台(シャーシ)はほぼ併行して開発されていたヤークトティーガーに、その延長型が流用された。ティーガーIIが戦線に投入された時点で、その重装甲および強力な主砲に事実上対抗できる戦車は存在しなかった。これは西部戦線で特に顕著で、イギリス、アメリカ両軍は対抗しうる重戦車を保有していなかった。戦闘中にその前面装甲を貫通した事例の記録・証言が現在に至るまで発見されていないことが、本車の防御力の高さを証明している。防御陣地に配備されたティーガーIIはその重装甲の効果を遺憾なく発揮したが、機動性に乏しく攻勢時にはさほど威力を発揮できず、期待をかけていたヒトラーの失望を誘った。ティーガーIIの開発は大戦後半であり、試作車も含めて1943年9月から1945年3月の生産終了までに489両と比較的少数の生産に終わった。これは、生産工程が複雑であるのに加え、1944年9月から空爆により何度も工場が破壊され生産が中断したことが大きく、計画通りであれば更に650両をこえるティーガーIIが完成していたはずであったという。他のドイツ戦車同様にティーガーIIはガソリンエンジンを装備したが、より軽いパンターやティーガーIに装備された物と同じであったため、慢性的に出力不足に悩まされた。本車は第二次世界大戦中に使用された他の重戦車同様、大量の燃料を消費した。これは補給が不足がちな大戦後半には運用上深刻な問題となった。戦闘で撃破されたティーガーIIよりも、燃料切れや故障で放棄された車両の方が多かったという。本車の開発はヘンシェルおよびポルシェの両社に発注され、各社用の砲塔がクルップ社によってそれぞれ設計された。どちらも前面の厚い装甲と長い砲身の重量バランスをとるため、カウンターウエイトの役を果たすため後部が延長されており、内部は即応砲弾用のラックになっていた。また、トーションバー・サスペンションのせいで床下に脱出ハッチを設置できず、代わりに砲塔後部に置かれた。キューポラはティーガーIの中期型以降と同じ、ペリスコープによる間接視認型であった。初期量産型の50両の曲線の強い砲塔は"ポルシェターレット"と呼ばれ、ポルシェ社の試作車両にも用いられていた事からポルシェデザインとよく誤解されているが、実際にはクルップ社のデザインである。これは避弾経始に優れたデザインではあったが、T-34やIS-2、パンターの前期型同様に、湾曲した100mm厚の砲塔前面下部への命中弾がショット・トラップ(跳弾して防御の弱い車体天板や砲塔リングを貫通する)を生じ、容易に撃破される危険があった。ポルシェ社の設計案VK4502(P)は、VK4501(P)の時と同様、駆動に大型電動モーターを使用するハイブリッド式であったが、貴重な戦略物資である銅を多く消費するという問題もあった。VK4502(P)は砲塔が車体前方にあるV型と後方にあるH型の二種の設計案が計画されたが、砲塔部品が先行量産された段階で開発は中止され、試作のみに終わった。クルップ社から送られた部品をヴェクマン社で組み立てたポルシェ型砲塔は、流用され、ヘンシェル社のVK4503(H)の車体に搭載され、初期量産型の50両となった。以降はヘンシェル社のティーガーH3用砲塔"ヘンシェルターレット"が搭載された。このヘンシェル型砲塔は直線主体のデザインで、切り立った180mmもの前面装甲と、円錐型防盾のザウコフ(「豚の鼻」の意)により高い防御力を誇った。戦況が悪化するとティーガーII生産工場から戦線へ直接送られることとなった。生産後の検品やテストが省略された結果、多くの機械的トラブルが発生し、特にトランスミッションは車体重量のため頻繁に故障した。生産初期のトラブルは深刻なもので、例えば極初期型を指揮戦車として受領した第316無線操縦戦車中隊の5両は、直接交戦する以前に故障により爆破放棄されるに至っている。また、第501重戦車大隊でも当初、最終減速機のトラブルが原因で保有する45両中8両のみという、極めて低い稼働率であった。さらにエンジンはより軽量なパンターと同じモデル(マイバッハHL230)を流用したことも悪影響をもたらした。パワーウェイトレシオがティーガーIより低くなっており、走行時は全開運転をしなければ移動できないことが多かったため、オーバーヒートが頻発した。ただし、この点について擁護するならば、マイバッハHL230はドイツ軍が保有する車両用エンジンとしては高出力な方であり、エンジンが低出力なわけではなく戦車の方が重すぎてエンジンの許容範囲を超えていたという実情だと思われる。ヘンシェル社の主任設計者、エルヴィン・アーダースは「故障はティーガーIIがテスト結果を考慮せずに生産に入ったため生じた」と語っている。エンジンと動力機関は重量のため過重な負担が生じ、より多くのテストと問題解決が必要であった。しかし、充分なメンテナンスと適切な取り扱いにより状況は改善され、終戦間近の1945年3月15日付の状況報告書によると、稼働率は59%と、同時期のIV号戦車の62%に近い値であった。ティーガーIIの生産は1,500両が発注されたが、試作車両も入れて総生産数は485-492両と見られる。本格的生産は1944年中頃から第二次世界大戦の終了まで行われた。各車両は個々の砲塔番号が記入された。ティーガーIIの実戦投入は第503重戦車大隊による1944年7月18日のノルマンディー上陸作戦での戦闘が最初である。同大隊は東部戦線で大きく消耗した後、1944年6月にティーガー45両で再編成がなされ、その内の12両がポルシェ砲塔を装備したティーガーIIであった。東部戦線では第501重戦車大隊が1944年6月25日から8月7日にかけて45両のティーガーIIを受領、8月12日にヴィスワ川上のバラノフ橋頭堡での戦いに使用した。その後もバルジの戦い、春の目覚め作戦、ベルリンの戦いなど弾薬・燃料不足に苦しみながらも要所要所に投入された。結果的にドイツ軍が守勢一方となってから実戦投入されたことで、ティーガーIIはその重装甲と強火力の威力を発揮できたといえる。ドイツ軍が攻勢側であった時期ならば、機動力に劣る本車はその進撃についていけなかったはずである。実際、最後の攻勢であるバルジの戦いでも、パイパー戦闘団にSS第501重戦車大隊(一部SS第509重戦車大隊より編入した車両もあり)の約20両が参加しているが、映画などのイメージとは異なり、先頭に立って戦ったのは35両ずつのIV号戦車とパンターで、最後尾を進む本車はカーブの多い狭い小道を進撃中に、頻繁なギアチェンジにより最終減速機を破損し脱落するものが相次いでいる。また春の目覚め作戦に参加した本車も、その重量から地面が陥没してしまい放棄されるなど実力に対して散々な結果を残している。だが、多くの問題があったにもかかわらず、ティーガーIIは連合軍にとって恐るべき相手であった。ティーガーIIの主砲は、実戦に投入された全ての敵戦車の有効射程外からの射撃で撃破が可能であった。なお、有効射程はT-34の3倍近くあったといわれている。そして、本戦車の性能を考えた場合、装甲と圧倒的な火砲の性能差によるアウトレンジ戦法が可能であり、遠距離からの攻撃ができる広大な平原であれば最大限の能力が発揮できたことが想像できる。そのため、東部戦線(厳密に言えばクルスクの戦いなどの平原など)であれば、史実より戦果を挙げることができたかもしれない。だが、西部戦線のような障害物の多い森林などではその火砲を活かせず、むしろその地域に投入された本戦車はその重装甲に起因する機械的な故障を招いてしまうのであった。当初「ティーガーH3」と呼ばれていたが、1943年3月13日より「ティーガーII」に変更された。書類上の制式名称は「装甲戦闘車両ティーガー(8.8cm)(Sd.Kfz.182)B型」または略して「ティーガーB型」。「ケーニッヒスティーガー」の名は1945年1月初旬の報告書の中で非公式に使われているのが確認されている。なお記録上「VI号戦車〜」と書かれたものは少なく、むしろ「ティーガーII」「ティーガーB型」の方がニックネームではなく制式名称である。の日本語読みの表記は、「ケーニッヒス」「ケーニヒス」「ケーニクス」などいろいろあり、ドイツ語でも方言により変化がある。1970年代後半、戦車専門誌である『月刊PANZER』の編集部が西ドイツ(当時)大使館に電話して訊ねたところ、「ケーニクスである」と回答されたため、以来同誌ではそう表記されている。

出典:wikipedia

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