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雄勝峠

雄勝峠(おがちとうげ)は、山形県最上郡真室川町と秋田県湯沢市の間にある峠である。標高423m。8世紀の大野東人の東征の際に残された文書に「雄勝」の名が記されており、この頃に開削されたと思われる。現在の山形県と秋田県を結ぶルートとしては、一部区間が秋田県道・山形県道73号雄勝金山線になっている「有屋峠」、女甑山の山裾を越える「甑峠」があったが、江戸時代になると、久保田藩(秋田藩)が参勤交代の道として、馬や籠が通れるように雄勝峠(当時は杉峠・院内峠・及位峠などと呼ばれた)を整備し、羽州街道の一部とした。以後、江戸時代を通じ、久保田藩や津軽藩など東北諸藩の参勤交代路として大いに賑わい、峠の両側に、新庄藩と久保田藩の関所と、及位宿・院内宿が置かれた。それでも、雄勝峠は「箱根の如き難関」と称されていた。明治時代になると、山形県初代県令になった三島通庸は、山形県発展のためには道路建設が欠かせないとして、関山峠や萬世大路の開削などを次々行ったが、雄勝峠についても、秋田県との物流の拡大、特に院内銀山からの鉱物の輸送の便を図るために、これまでの荷駄がせいぜいであった峠から大量輸送が可能な馬車が通れる峠にするために「金山新道」(もしくは「雄勝新道」)を開いた。しかし秋田県側の道路はまだ荷車を通すには難があったため、燃料輸送などに索道が使われた。さらに時代が下り自動車社会が到来すると、それに対応すべく1955年(昭和30年)に国道13号の雄勝隧道(235m)が開通した。しかしトンネルは狭少でありその前後区間の線形も悪く、急増する物流に対応できなくなり、1981年(昭和56年)に現在の雄勝トンネル (1,375m) が開通した。現在、山形・秋田両県で東北中央自動車道が建設中であり、雄勝峠の周辺部では東北中央自動車道に並行する国道13号湯沢横手道路や主寝坂道路の供用が始まっている。2005年(平成17年)には、山形・秋田県両知事が両県間の高速道路結合を推進することで合意しており、近いうちに新トンネル計画が具体化する見込みである。 鉄道関係では板谷峠、矢立峠共に奥羽本線三大難所としても知られていた。旧国道の雄勝隧道は民間に払い下げられ、倉庫として使用されている。湯沢市側は隧道入口まで通行可能だが、真室川町側は少し手前から立ち入りが禁止されている。明治新道は、湯沢市側は荒れてはいるものの現存しており徒歩でなら通行可能だが、真室川町側は旧国道の工事で掘割に断ち切られた箇所があり走破は困難。

出典:wikipedia

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