本町通(ほんちょうどおり)は、新潟市中央区の市道、またはその沿道の町名。江戸期から現在までの町名。1〜14番町まで存在する。商店街が形成され、多数の市民に利用されているところである。古町周辺(ファッションストリート、飲食店が中心)とは異なり、主に生鮮食料品や日用品を取り扱う古くからの商店が軒を連ねるなど言わば「市場」的な商店街が形成されており、周辺商店街と比べると独自色が濃くなっている。下記の本町市場と下本町商店街の2つの商店街に大別され、また古町以上に一般の住宅が占める割合も多くなっている。北から東回り順に、以下の町字と隣接する。6番町は1977年に完成したアーケード街となっている。大型店は同時期に大幅増床したイトーヨーカドー丸大新潟店のみで、多くは、八百屋、魚屋などの商店である。かつてはキューピット1号店があったが2000年に撤退した。5番町と6番町の間には本町中央市場(人情横丁)があり、古くからの海産物店や食品卸店に混じって、カフェなど新しい色を出している店舗もある。ちょうどその中央部に白竜権現がある。野菜や果物を売る露店も多い。この他にはビジネスホテルや第四銀行本店が立地している。2009年から2010年にかけてアーケードの改修工事を実施、2010年4月にリニューアルした。その際、名称がこれまでの「ニュー本町」から「ぷらっと本町」に変更されている。またリニューアルに合わせ、テナントミックスビル「ぷらっと本町ビル」もオープンしている。柾谷小路に隣接しており、本町通の中でも中心商店街的な位置付けとなっている。新潟国際情報大学の新潟中央キャンパス(旧新潟中央銀行跡地)があり、一階はイタリア料理レストランになっている。下本町商店街(フレッシュ本町)があり、キューピット、ホクセイマートなど地元資本のスーパーの他、鮮魚店や青果店などの商店や露店が並んでいる。この地区は「下町(しもまち)」とも呼ばれる(正確には白山神社を基準(「上(かみ)」)として、柾谷小路を越えた新潟島北東地域の総称であり、本地区は下町の一部)。ホクセイマート前に「フレッシュ本町」と書かれたゲートが設置されている(五菜堀側にもかつて存在したが、現在は撤去)。江戸期から1872年(明治5年)まで「中洲崎町(なかすさきちょう)」であった地域。新潟町町域の改編によって本町通14番町に改編された。1893年(明治26年)に新潟町の中に点在していた遊郭が集められてできた新潟遊郭があった地域で、かつての遊郭跡も存在していたが2000年12月に解体された。1617年(元和3年)に新町として作られる。その後、新町の発展にともなって本町通と呼ばれるようになった。1655年(明暦元年)に現在地に移転。南側から、上一ノ町、下一ノ町、二〜六ノ町、十七軒町、十四軒町、横丁、湊町とされる。江戸時代より商業地として発展。1689年(元禄2年)に表店を許される。許可された商品は、絹布、太物、操綿、茶などの34品。1762年(宝暦12年)には58品目に増加。このころに中心街的景観が整った。十四軒町西には大助賈(おおすけご)と呼ばれる回船問屋が多数あり、その付近に小助賈(こすけご)と呼ばれる振売り(魚の行商) が多数住んだ。元文年間には、大助賈19、小助賈149にまで増えた。一ノ町は履物屋が多く、足駄屋町と呼ばれた。1872年(明治5年)10月に新潟県令楠本正隆によって町名改正が実施され、1〜14番町となった。14番町は遊廓となる。7番町の本町交差点には新潟市の道路元標があり、国道7号、国道8号、国道113号、国道289号、国道350号の起点、国道17号、国道116号、国道402号の終点になっている。また、7番町から8番町にかけては新潟県道565号郷土資料館線も重複する。白山神社側(1番町側)から順に
出典:wikipedia
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