吉田 達磨(よしだ たつま、1974年6月9日 - )は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。中学時代は日立製作所のジュニアユースに所属。東海大学付属浦安高校を経て、1993年に日立の後身でもある柏レイソルに入団。1997年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)、1999年にモンテディオ山形に移籍。山形在籍時の1999年11月21日に行われたJ2第36節(最終節)・大分トリニータ戦(大分陸)ではアディショナルタイムに大分のJ1昇格の夢を打ち砕くフリーキックを決めた。2001年末をもって山形から戦力外通告を受ける。その前後から海外リーグ挑戦への希望があり、中華人民共和国やオーストラリアでのプレーを希望したが叶わず。Sリーグので2試合に出場したが、同年末に現役を引退した。引退後は柏の下部組織コーチに就任。U-15/U-18のコーチ・監督を経て2010年にはアカデミーダイレクターに就任。この間、アカデミーの全カテゴリーで「自分たちがボールを保持する攻撃的なサッカー」という共通コンセプトを確立し、工藤壮人・武富孝介・酒井宏樹らの若手選手の発掘・育成に力を注いだ。2012年にはトップチームの強化部ダイレクター(強化責任者)に就任する。2015年、勇退を表明したネルシーニョの後任として柏レイソルトップチーム監督に就任。リーグ戦では低迷したもののACLでベスト8に進出し、天皇杯ではベスト4にも進出した。2015年10月28日、第1ステージ14位の成績を重く見られて、当初2年契約だった契約を、1シーズンのみで柏の監督を退任(事実上の解任)しクラブを離れることが発表された。同年12月2日に柳下正明の後任としてアルビレックス新潟の次期監督に就任することが発表された。新潟では第6節磐田戦から9戦勝ち無し(3連敗を含む4分け5敗)となるなど波に乗れず、1stステージ13位。2ndステージになっても低迷から抜け出せず(1stステージを含めてリーグ戦での連勝が1度もなかった)、第13節の鹿島戦で破れてリーグ戦2度目の4連敗を喫し、年間順位で降格圏の16位名古屋と勝ち点1に迫られたところで、9月27日に監督を解任された。新潟における監督の途中交代は2012年の黒崎久志以来。11||1||1||0||0||0||12||194||7||6||0||6||0||106||7
出典:wikipedia
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