『あかつき戦闘隊』(あかつきせんとうたい)は、原作・相良俊輔、作画・園田光慶による日本の戦争漫画。『週刊少年サンデー』(小学館)に1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて、前後編の2部に分かれて連載された。南洋に浮かぶ小島、パゴス島。そこに、日本海軍の生き残り部隊の猛者が基地を構えていた。この基地は、地上の滑走路はオトリであり、実際に使用されていたのは浅瀬に潜む「まぼろしの滑走路」であった。ある日、長年不在だった隊長として青年将校・八雲が赴任する。技術は未熟だが、根性と愛国心は引けを取らないと豪語するも、経験不足はいかんともしがたかった。まぼろしの滑走路を使っての腕試しで神、今、竜らと共に飛び立った八雲はそのまま敵機と遭遇し空中戦に突入。自分の指揮のつたなさから竜が片腕切断の重傷を負う。また、その空中戦の際に落下傘で逃げる敵兵を襲った神を八雲は止めたが、その後島に潜んでいた敵兵から襲われる。こうした経験から自らの未熟さと甘さを痛感。中尉の肩章を自ら外して一兵卒になる。しごかれる内に、八雲の真摯な姿勢と部下を思う心が浸透していく。ある日、竜が破傷風を発症。敵機来襲の中、「この戦闘隊には俺よりお前が必要だ!」と神を抑えてラバウルの陸軍航空隊に旅立つ。途中で敵機と激しい空中戦を繰り広げるもなんとか到着。一悶着あったものの、恩師・鬼武大佐と再会、竜は一命を取り留める。やがて八雲は竜を残してパゴス島に戻るが、その際に敵機来襲を受け、隊員の棟方が死亡。その後、艦砲射撃を受けて洞窟は破壊されるが、全員が無事生き残る。その喜びもつかの間、まぼろしの滑走路のあたりで喜んでいた左近が機銃を浴びて戦死する。その後ももしばし敵の攻撃を受けるようになり、部下も更に櫛の歯が欠けるように戦死、遂に八雲以下4人となる。八雲は本土防衛の為に心を鬼にして撤退を宣言する。神らの反発の中、敵機来襲に機雷を抱えて飛び出す八雲。真意を知った神は八雲を殴り倒して機雷を奪い取り、にっこり笑って敵機に体当たり。壮絶な戦死を遂げる。残った3人は、3機の戦闘機で島を後にする。本土帰投の徒爾、八雲と今は日本海軍の潜水艦「イ-400」の誤射に遭い、墜落。その誤射は八雲の後輩である団少尉の誤認によるものであった。最初は激しく反発し、乗組員達と反目する八雲と今。しかし、搭載する特殊攻撃機 晴嵐の組立訓練や飛行訓練中に起きた戦闘、馬庭副長のはからい(パゴス島近海の慰霊航行)などを経て、絆が深まっていく。八雲、団、今は戦闘で失った飛行機を手に入れるべく動く。シンガポール寄港時に竜伍長と再会、飛べる飛行機が残っているサイゴンまで送ってもらう。サイゴンでは命がけの交渉と副官三原少佐のはからいで搭載機の入手に成功する。イ-400は敵駆逐艦ホワイトウルフとの度重なる戦いを展開し、そのさなか団少尉は戦死。イー400も戦闘機能を失う。しかし、「動けるうちは戦闘に参加する。」という山梨艦長の悲壮な覚悟で海戦に参戦。魚雷から戦艦大和を守ってイー400は轟沈、艦長命令で八雲と今は空から援護すべく出撃。艦長以下の乗組員は艦と運命を共にする。激しい空中戦の中、八雲は撃墜され、今は生き残った大和とともに日本への帰途につく。原作者の記述によれば、続編(完結編)として第3部「本土決戦編」を書いたとのことであるが、刊行物では確認されていない。「『あかつき戦闘隊』懸賞問題」とも呼ぶ。「あかつき戦闘隊」を掲載していた『週刊少年サンデー』1968年3月24日号において読者懸賞が行われた。この時の懸賞品に日本海軍兵学校正装一式、米軍ミリタリーグッズ、ナチス軍旗・鉄十字章、ソ連軍ピストルなどが含まれていたことから、古田足日、今江祥智、神宮輝夫、前川康男といった児童文学者らが賞品の撤回を求めて抗議を行った。朝日新聞は1968年3月15日朝刊社会面(東京都区部、市郡部は夕刊に掲載)に写真付きで掲載された。18日に、鳥越信、那須田稔、横谷輝、他も加わり、日本子どもを守る会と共に記者会見を開催する。この記者会見は日本テレビをはじめとしてテレビのニュースでも取り上げられ、新聞にも取り上げられることになった。こういった報道が行われたことで新日本婦人の会をはじめ、いくつもの団体が小学館を抗議に訪れた。27日には各団体代表が連名で申し入れ書を小学館に提出し、文書での回答を要求している。小学館の回答は29日に行われ、以下のようなものであった。古田らの要求は、賞品の撤回であったため、相容れぬ内容であった。
出典:wikipedia
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