LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

伊那路 (列車)

伊那路(いなじ)とは、東海旅客鉄道(JR東海)が飯田線豊橋駅 - 飯田駅間で運転している特急列車である。なお本項では、愛知電気鉄道が運転していた「天竜号」とともに、飯田線で運転されていた優等列車の沿革についても記述する。特急「伊那路」のルーツとなる列車は、臨時列車として1992年12月に豊橋駅 - 飯田駅間で運転を開始した急行「伊那路」である。飯田線豊橋駅発着の急行としては1983年7月に急行「伊那」が廃止されて以来約10年ぶりで、利用客が伸び悩む飯田線の活性対策として運転されたものであった。利用客の増加もあり運転日も拡大されていったが、当時使用していた165系の老朽化が進んだことから、新型車両の投入をきっかけに、1996年3月16日に特急列車化されるとともに、定期列車として運転されるようになった。時刻表などではJR東海が運行するほかの特急列車と同様に、「(ワイドビュー)」の冠が付けられている。2012年3月17日現在、豊橋駅 - 飯田駅間で1日2往復が運転されている。全列車が豊橋駅で東海道新幹線「ひかり」と接続している。豊橋駅 - 豊川駅 - 新城駅 - 本長篠駅 - 湯谷温泉駅 - 中部天竜駅 - 水窪駅 - 平岡駅 - 温田駅 - 天竜峡駅 - 飯田駅ただし、飯田線で6両編成が収まるホーム有効長を持つのは新城駅以西の短区間で、373系にドアカットをする機能がないことから、全区間(実際は東新町駅以北での運用時)において増結は行っていない。このため多客時には臨時列車の増発で対応しているが、それでも混雑する。豊橋運輸区と伊那松島運輸区が担当している。特急「伊那路」81号・82号として運転していたが、のちに「ふれあい伊那路」として運行される事が多くなった。主に381系(振り子機能非使用)で運用されていたが、この列車の場合、4両編成が最短編成であり、グリーン車が連結されていた。東海道本線名古屋駅まで延長運転もされたことがあり、初詣シーズンには豊川稲荷への初詣客輸送のため、飯田駅を早朝に出て豊川駅に向かう「初詣伊那路号」も運転されていた。また、定期列車も大垣駅発着で延長運転が行われていた(東海道線内は豊橋駅 - 名古屋駅間は原則特別快速停車駅と同じ停車駅、名古屋駅 - 大垣駅間は定期運転している「しらさぎ」号の停車駅に準じて運行されていた)時期があった。しかし、2001年に381系の運用が終了してからは、快速列車として運行されるケースが多くなっている。2010年8月から11月の土曜・日曜・祝日を中心に、臨時急行「飯田線秘境駅号」が「伊那路」と同様に373系を使用し、豊橋駅 - 天竜峡駅間で運転された。この列車はもともと、2010年のゴールデンウイーク時に運行した同名の団体専用列車をツアー客以外の一般の乗客も利用できるように急行列車としたもので、全車指定席となっている。以降、4月・5月と8 - 10月の土曜・日曜・祝日を中心に運転されている。戦前、1935年(昭和10年)から1941年(昭和16年)頃まで、愛知電気鉄道が飯田線の前身となる豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道へ直通する観光臨時列車として「天龍号」が運行されていた。1935年(昭和10年)4月10日に、神宮前駅 - 中部天竜駅間で行楽客向けに運転を開始した。この時は豊川線がまだ開通しておらず、伊奈駅 - 小坂井駅間に存在した小坂井支線(1954年廃止)を経由して運転していた。同社はその直後の8月1日に名岐鉄道と合併して名古屋鉄道(名鉄)となるが、臨時列車の運行は継続された。使用される車両には、神宮前駅 - 吉田駅(現在の豊橋駅)間を走っていた愛電の最優等列車超特急「あさひ号」と同様に、天竜峡を描いたヘッドマークが取り付けられていた。戦中の1941年(昭和16年)ごろ、行楽輸送が自粛されるようになったため運行を終了した。飯田線で初めて運転された優等列車で、1961年3月から名古屋駅 - 辰野駅間で準急列車として運転を開始した。1962年4月から2往復に増発し、1964年3月に3往復の運転となって以降はしばらくこの体制が続いた。この時の最長運転区間は、美濃赤坂駅 - 辰野駅間であったが、美濃赤坂駅 - 大垣駅間などで、末端区間では普通列車として運転されていた。1972年3月改正で東海道本線区間は快速列車での運転(2往復)になるものの、4往復が運転(豊橋駅 - 飯田駅間2往復、豊橋駅 - 辰野駅間1往復、豊橋 - 上諏訪間1往復)され、一部は豊橋駅 - 飯田駅間で7両編成の運転や、一部列車の浜松駅への延長(豊橋駅 - 浜松駅間は普通列車)、豊橋駅 - 飯田駅間で臨時列車も1往復設定されて、急行「伊那」としては最盛期を迎えていた。しかし、中央自動車道の開通で、1975年に中央道特急バスが名古屋 - 飯田間に設定されると利用者が減少したため、1983年7月に廃止された。廃止後は、豊橋駅 - 中部天竜・天竜峡駅間で快速列車が2往復設定された。列車名は、長野県南部の天竜川に沿って南北に伸びる伊那盆地が由来となっている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。