宮本 辰彦(みやもと たつひこ、1964年 - )は、ヨガ講師、随筆家。大化の改新の中臣鎌足を祖とする神職、学者、医師の家系に生まれる。大分県宇佐市下敷田出身で、二葉山神社(別名八大龍王宮)が本家にあたる。一族の出身では江戸時代の学僧であった寂室堅光(1753~1830)が有名で、多くの詩文や著作が残されている。また、辰彦の父の曾祖父の兄は皇學館大學創設に関わり、近世大坂国学界の逸材と言われた国学者敷田年治(1817~1902)。その孫であり辰彦の伯父は住吉大社元宮司・敷田年博。辰彦の父包厚は阪神大震災当時、神戸市衛生局長を勤め、厚生省から出された遺体の野焼き案に対して、故人の尊厳と遺族心情を理由に異を唱え、被災が冬だったことも手伝い、野焼きが回避される(この時の様子は2009年1月17日のNHKスペシャル「阪神・淡路大震災 秘められた決断」)。辰彦の幼少時は医学者であった父包厚のコロンビア大学での研究のため、両親と共に渡米し、米国で生活する。1995年(平成7年)1月17日に、名古屋でヒーリングスペースTatsuを開設。この教室やカルチャースクールなどで、瞑想、ヨガ、呼吸法、気功を指導している。また、著書に戦後60周年を記念して出版された『この国を愛するために 靖国』、『成功と幸せを手に入れる瞑想力』、『自分を愛すれば幸せになれる』、『「生まれ変わる」極意 人生を好転させるお正月とお盆の過ごし方』がある。講座や著作では自己啓発や人生論について多く語っている。人生の目的は人格完成にあり、それは「愛」を身につけることと、「創造力」を養うことにある。人生には自らの力で変えることのできる「運命」の部分と、変えることのできない「宿命」の部分で成り立っているが、運命は創造力を養うため、宿命は愛を学ぶためにあるという。個々人が幸せになるためには、まず自分をきちんと愛さなければ成り立たない。「自愛」が「慈愛」に通じ、自分を愛することができた時に、初めて他人を正しく愛することができると説いている。特に愛については独創的な理論を展開している。愛を身につけるためには「知情意」の三つをバランス良く実践しなければならない。愛を身につけたいという強い「意志」を前提に、人生のさまざまな喜怒哀楽の中で、愛を感じるための「情」を育み、さらに愛についての「知識」を学び、それに基づく理性によって、情をしっかりとコントロールしなければならない。この知情意の実践によって愛の三原則、すなわち「許す心」「祈る心」「活かす心」が芽生えるのだという。そして、この三つの心が螺旋のように循環して、一つの思いになったものが「愛」であると説く。愛を感じるためには情を育まなければならないが、情が豊かだからといって、愛溢れる人とは限らない。むしろ情が強ければ、正しく愛するための妨げになることすらある。だから、愛についての明確な理論をしっかりと習得し、確立しなければならないという。また宮本辰彦の話は、日本人の精神性や日本国の目指すべき姿にも及んでいる。その中核となるのが「和を以て貴しとなす」という、聖徳太子以来の「和の精神」に基づいている。仲良しが仲良くするのは当たり前のことで、これを殊更に和の精神というべきものではない。仲良く出来ない者同士がいかに仲良くするか、それこそが和の精神に他ならない。そして、和するためには結局のところ、たとえ相手がどのようなものであれ、相手を赦し、受け入れ、認めるという、相手を許す心があって、初めて和することが出来るのだという。すなわち、日本の「和の精神」は、あのイエスの説いた「愛」にも匹敵する、許しの思想であり、それが「水に流す」という言葉で表される、神道の基本である「禊ぎ」の概念へと完成されていく。「水に流す」というのは、過去の責任を放棄するという無責任を意味するのではなく、過去の行いを許す(赦し、受け入れ、認める)という許しの精神。日本人の精神性として武士道がよく取り上げられているが、これは新渡戸稲造が百年前に世界に向けて著したもの。それより遙か昔に日本国の礎を築いた聖徳太子が打ち立てたのが、「和をもって貴しとなす」という和の精神。そして、この「和の精神」こそが、世界の恩怨を解く鍵だという。二度に渡る原爆を落とされながらも、ここまで過去の敵国であるアメリカを赦し、受け入れ、水に流した結果が、今日の日本の奇跡の復興であり、正にその証だといえる。そのような日本人を「お人好し」だという言い方をするが、むしろ「許しの思想」を持つ「和の民族」と捉えた方が的確。 これこそが世界がこれから直面する、地球的規模の難局を乗り越えるために、世界の人々に指し示すべき太子より受け継いだ日本人の思想だと提唱している。
出典:wikipedia
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