松浦 宏明(まつうら ひろあき、1966年5月19日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。船橋法典高校では外野手だったが、2年生時に投手に抜擢。千葉県屈指の本格派投手として注目され、夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、成田高に1-0で惜敗する。高校時代は打者としてもチームの主砲四番で通算46本塁打を記録している。同年のドラフト外で日本ハムファイターズに入団。入団2年目のにはイースタン・リーグで11勝を挙げて最多勝を獲得するものの、一軍登板は1試合のみに終わった。はリリーフで開幕5連勝を挙げる。敗戦処理として登板した直後に打線が活発になり逆転勝ちを収めるというケースが多かったため、ナインやファンからは「逆転のマツ」と呼ばれるようになり、以降は抑えの切り札に成長する。には先発投手に転向。15勝5敗4セーブで同僚の西崎幸広・西武ライオンズの渡辺久信と並んで最多勝を獲得する。は肘や肩の故障に悩まされるものの、には11勝を挙げて優勝争いに大きく貢献した。この頃は背番号が0だったことから、「ゼロ戦のマツ」と呼ばれることもあった。シーズン途中に阪神タイガースとのトレードが進められていたが、交渉が折り合わず決裂。その後、岡本透との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍する。同年1勝を挙げ、セ・パ両リーグでの勝利を記録。しかし、チーム事情によりシーズン終了後に退団し、そのまま現役を引退した。日本ハム時代の同僚・田中幸雄とは一時期、義理の兄弟であった(松浦の妻と田中の妻が双子の姉妹であるため)。引退後は、医療専門学校に通い資格を取得して医療の仕事に就業し、横浜市内で整骨院「松浦整骨院(松浦スポーツケア)」を院長として開業。スポーツ外傷と障害について治療に携わりながら研究と臨床を重ねる。その後、手塚一志主催の野球道場・上達屋と契約。技術の進化、研究に協力しながら、プロおよびアマチュアの様々なスポーツ選手(プロボクサー、プロ野球選手、プロゴルファー、プロテニスプレーヤーなど)の指導にあたる。2010年4月で上達屋との契約を終了。BASEBALL METHOD(野球理論)、Physical Operation Method(身体操作術)通称POM を提唱し、動作解析と身体操作術を使いさまざまなスポーツのレベルアップに努めている。治療家時代の時の肩のトレーニングには定評があり、プロアマ、野球に限らず、様々なスポーツのケガ予防、パフォーマンスアップの為の指導をしている。上達屋時代から研究を重ねてきた、イップスに関して様々な回復法や指導法を提唱している。2013年1月より、中国野球リーグの上海ゴールデンイーグルスの投手コーチに就任。上海女子垒球(上海女子プロソフトボールチーム)の臨時投手コーチも務める。2014年5月より、中国野球リーグの江蘇ペガサス(江苏天馬)、旧江蘇ホープスターズの投手コーチに就任。背番号は尊敬する王貞治がホークス監督時代に付けていた89。就任後には、5人の怪我投手を復帰させ、全国大会三位、台湾海峡杯では五位、全国棒球冠軍杯では、1大会6試合連続完投の記録を残し、大会優勝の好成績を残している。江蘇女子垒球(江蘇省女子プロソフトボールチーム)の総合臨時コーチも務める。その後チームは全国優勝。2015年5月に帰国後、自身が名誉顧問を務める中国で唯一の女子野球チーム、上海SSG(Shanghai super Girls Baseball Team)を来日させて、日中友好と親善を兼ねて母校である船橋市立湊中学校との親善試合と、船橋市長への表敬訪問を果たす。2015年12月 学生野球資格回復研修を受け、アマチュア資格を回復。高校や大学の指導に努める。2016年4月 上級救命講習を受け、救命技能を取得。2016年4月 地元でもあり母校でもある船橋市立湊中学校の外部指導員として、船橋市教育委員会より委嘱される。現在は女子野球選抜チームの千葉マリーンズ(2011年に中学教員が結成したチーム)のアドバイザー兼コーチも務めている。
出典:wikipedia
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