H.O.T.(エイチオーティー、)は、韓国の男性5人組ダンス・アイドルグループ。韓国アイドル界第1世代。
グループ名は“High-five Of Teenagers”(ハイファイブ・オブ・ティーンエイジャー)の略で、「10代の勝利」という意味が込められている。ファンからは「エチョティ」()とも呼ばれている。1996年のデビューから2001年の解散まで韓国で圧倒的な人気を誇り、韓国ポップス界の歴史を変えたとも言われている。
ファンクラブもしくはファンの総称は『CLUB H.O.T.』。公式応援カラーは白。ティーンエイジャーがそれまでの世代とは異なる高い消費力で、新たに韓国のポップカルチャーを担うようになっていた1994年に、彼らの取り込みを目論んだ韓国の芸能プロダクションSMエンターテインメント(以下「SM」)によって「10代の代弁者」として企画され、1年の選抜期間を経て1995年に結成。1996年に、韓国音楽界にラップとダンスを浸透させ、10代に圧倒的な人気を誇りながらも、突如として解散したソテジワアイドゥルと入れ替わるように、デビューした。当時の韓国では、自己の音楽的アイデンティティーを反映させるのではなく、芸能プロダクションなど他者がつくったコンセプトに基づいて結成され、活動をする大量消費を前提としたアイドルグループというのは珍しかったが、「1318世代」(13歳から18歳までの若年層)の女性らから熱狂的な人気を獲得して、たちまちブレイクし、第2のH.O.T.を狙ってデビューしたSechs Kiesなどのアイドルグループとともに、韓国ポップス界をアイドル中心に一変させる一大ブームを巻き起こした。その後、のちにSMP(SMミュージック・パフォーマンス)とも呼ばれる、社会問題をテーマにした歌詞にラップコア調の曲と派手なダンスを融合させた独特のスタイルを確立する一方、1998年にリリースした3集からは、メンバーらが直接楽曲制作に携わり、2000年の5集ではリード曲も含め全曲の作詞・作曲・編曲を手掛けるなど、次第に他のアイドルグループとは異なる独自性を見せるようになった。また、グループの人気は韓国に留まらず、中国本土にも波及し、2000年に北京公演を成功させて、他の韓国歌手の中国進出の呼び水を作るなど、韓流という形で、韓国のポップスを中国国内に浸透させる大きな役割も果たした。しかし、人気は衰えていなかったものの、メンバーが全員20代になり、アイドルとしては難しい年齢になったことや、大学卒業が迫り、兵役の先延ばしが難しくなったことから、次第に「人気があるうちに解散するのでは」との憶測が囁かれ始め、2000年末にメンバーの1人が飲酒運転事故を起こして活動自粛に入った頃からは、その噂が現実味を帯びるようになっていった。2001年4月、SMとの専属契約が満了したトニー・アン、チャン・ウヒョク、イ・ジェウォンの3人が翌5月、元SM社長のチョン・ヘイクが理事を務めるエンターテインメント企業「サイダス」(後のサイダスFNHとiHQ)と当時同系列であった「イェジョン・メディア」に移籍し、同年6月、契約が残っていたカンタとムン・ヒジュンがソロ歌手として、SMと再契約を結んだため、事実上解散を迎えた。移籍した3人は、2001年末に新たなグループ「JTL」(jtL) を結成。3人はSMに残った2人より人気の面では劣ることから当初、活躍が疑問視されていたが、アルバムは50万枚を超えるヒットとなり予想を裏切る活躍を見せた。しかし、このグループも、メンバー個々が2004年から2005年にかけて独立や移籍をして、ソロ活動を開始したため、そのまま自然消滅している。グループ名に「ティーンエイジャー」という言葉が使われていることからも分かるように、もともとは「10代による10代のためのグループ」であり、10代でなくなったメンバーは入れ替えられる予定であった。しかし、予想以上に人気が出てしまったため所属先のSMエンターテインメントはその計画を取り止め、結果的に解散までメンバーの交代は行われなかった。韓国ではアイドルのファンクラブごとに色を定め、その色の風船などを用いて応援するスタイルが定着しているが、これは元々H.O.T.のファンクラブがシンボル・カラーを白にして、白い風船を応援道具に用いたことに由来する。この応援カラーには他の歌手のファンクラブと重複しないという不文律があるものの、色には限りがあるため同色を選んだファンクラブ同士で諍いが起こることが多く、H.O.T.のファンも2006年、男性歌手ピのファンらが既定の銀色ではなく白く光っているように見えるケミカルライト(サイリューム)を使ったことから、50人以上がピの所属事務所に押し掛けてそのケミカルライトの使用を止めるよう要請したことがある。韓国の公共放送局KBSは青少年に悪影響を与えるとして1997年に服装規定を設けて、出演者の衣装や髪型などに対する規制を開始したことから、H.O.T.は仕方なく、2集や3集の活動時はバンダナやキャップで茶髪や染色した髪を隠したが、長い髪に濃いメイク、そして黒尽くめの衣装と日本のビジュアル系ロックバンドの影響を受けたと思われる姿でイメージ・チェンジを図った4集の際は何も被らずに出演しようとしたため、KBSから出演許可が出ず、同局でのプロモーション活動が一切できなかった。それでもKBS側は年末のKBS歌謡大賞だけでも出てもらおうと局長級のプロデューサーまで駆り出してSMエンターテインメントやリーダーのムン・ヒジュンと掛け合ったものの、ムンがKBSにおもねっていると思われることを嫌って出演を固辞したことから、前年獲得した同大賞の候補者からも除外された。解散は、トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクの3人が将来に不安を抱いていたことに加え、SMエンターテインメントとの金銭的条件が合わなかったことが原因だと言われている。ただどちらが解散の引き金を引いたのかについては双方の説明に相違があり、3人は移籍会見の時、2001年1月にはすでにSMから「解散通知」を受け取っていたと語り、SM側はこれを否定して、H.O.T.の中国での人気を重視していたことから解散の意思はなく、移籍先の親会社が株価釣り上げのためSMのスタッフを引き抜いた上で契約の切れた3人を奪取したものであって、逆に3人からはそれぞれ契約満了時に「解約通知」が送られてきたと反論している。いずれにしてもメンバーらは、この件に関して月日を重ねても多くを語ろうとしないため、真相は明らかとなっていない。メンバーらは決して仲違いしているわけではなく、解散後もH.O.T.の歌を披露することはないものの、数度イベントやコンサートで一堂に会している。ただ再結成については、メンバーらは会うたびに話し合い、解散2年後の2003年には中国での韓流を盛り上げるため、SMエンターテインメントのオーナーでプロデューサーでもあるイ・スマンの音頭で実現寸前までいったが、復活を目前にして多額のCM契約金が目当てと勘繰られ兼ねない報道が出てしまったことから、誤解を避けるため見送られてしまい、その後もたびたび話題には上るものの実現には至っていない。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。