短歌人(たんかじん)は、日本の短歌結社誌。1939年(昭和14)4月に二・二六事件で禁錮5年の刑を受け仮出所したばかりの斎藤瀏が、当時所属していた「心の花」から独立する形で創刊した。初代発行人は木下立安。この頃は佐佐木治綱も顧問という形で参加していた。1945年(昭和20)4月、印刷所の罹災により一旦休刊。翌1946年(昭和21)4月復刊。1947年(昭和22)5月、小宮良太郎が編集・発行人に就任。1948年(昭和23)7月9日、第三種郵便物認可。1953年(昭和28)5月、斎藤瀏や木下立安の相次ぐ逝去に伴い、従来の結社運営の主流であった主宰者制から編集委員制に移行。メンバーの作品を取捨選択する権限を持つなど指導的な役割を果たす編集委員を、同人および準同人(現在、準同人制は廃止)の選挙で選出するもので、短歌結社としてはユニークなシステムとして知られている。「短歌人」ではこの制度の発足を創刊・復刊に次ぐ「第三の出発」と呼んでいる。「短歌人」では編集委員を除くすべてのメンバーが、編集委員15人の中から任意の誰かに作品を見てもらう必要があり、この制度は現在まで続いている。初代編集委員は斎藤史、潟岡路人、伊藤豊太、斎藤千代、長野章江、高瀬一誌、蒔田さくら子、中森潔、清水政雄、小宮良太郎の10名。1962年(昭和37)4月、斎藤史が退会し、結社誌「原型」を創刊。赤座憲久、轟太市、百々登美子など、斎藤の選歌を受ける多くの同人・会員が斎藤に従い離脱した。1966年(昭和41)、高瀬一誌が編集・発行人に就任。1985年(昭和60)3月、高瀬が短歌新聞社の総合誌『短歌現代』編集長に就任することに伴い、編集・発行人を退任。発行人に蒔田さくら子が、編集人に小池光がそれぞれ就任した。1996年(平成8)3月、蒔田さくら子に代わり、中地俊夫が発行人に就任。1997年(平成9)3月、インターネット上に短歌人公式ホームページを開設。短歌結社としては「塔」、「短歌」(角川書店の総合誌でなく、中部短歌会の結社誌)に次ぐ早さでの開設であった。2004年(平成16)12月号で通巻750号。2009年(平成21)4月号で創刊70周年。2011年(平成23)1月、小池光に代わり、藤原龍一郎が編集人に就任。2014年(平成26)1月、中地俊夫に代わり、川田由布子が発行人に就任。現在の発行人は川田由布子、編集人は藤原龍一郎。編集委員は定数15名前後。うち12名が3年に一度の選挙で選出される。選挙において投票権を持つのは同人1欄・同人2欄所属者のみで、会員1欄および会員2欄所属者は選挙権を有しない。残る数名は補充枠で、選挙で選ばれた編集委員が合議で決定する。これはメンバーの固定化を防ぎ、業務の円滑な遂行を促すためとされている。現編集委員は川田由布子、藤原龍一郎、今井千草、宇田川寛之、大森益雄、菊池孝彦、神代勝敏、小池光、紺野裕子、斉藤典子、谷村はるか、中地俊夫、西勝洋一、長谷川富市、平野久美子。今期の任期は2016年(平成28)12月まで。また顕彰制度として、同人を対象にした短歌人賞(2014年度で第59回)、会員を対象にした高瀬賞(2014年度で第13回、2001年の第46回まで続いた短歌人新人賞が前身)、短歌に関する文章を対象とした評論・エッセイ賞(2014年度で第38回)がある。その他、小中英之、三井ゆき、永井陽子、吉岡生夫、仙波龍英、武下奈々子、早川志織、大谷雅彦、山下雅人、西村美佐子、渡英子、有沢螢ら数多くの歌人を輩出したほか、本多稜、斉藤斎藤、松木秀、生沼義朗、内山晶太、天野慶など若手歌人を多く擁していることでも知られる。かつて所属していた歌人に佐藤通雅、正岡豊、辰巳泰子、佐藤りえ、藤森益弘(作家)、崔龍源(詩人)らがいる。
出典:wikipedia
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