サンプラザ中野のオールナイトニッポン(サンプラザなかののオールナイトニッポン)は、ニッポン放送の深夜番組、オールナイトニッポンの金曜1部(毎週金曜日深夜25:00~27:00)で放送されていたラジオ番組。リスナーの周りのおかしなネタ、写真、記事、出来事などを投稿し、みんなで笑おうというコーナー。このコーナーのネタから派生したコーナーも多かった。最後は中野の「笑って笑ってー!」(コーナー名変更後には「カリカリ笑って…ってってってって」などというパターンもあり)という声で締める。コーナー名が「笑って笑って」→「ズイズイ笑って」→「カリカリ笑って」→「ケラケラ笑って」と、番組内でのトレンドや流行語によって変化している。「ズイズイ~」は後述のパンダの名前から、「カリカリ~」は同後述のチャリダーのコーナーから派生した言葉。1986年6月1日に東京都の上野動物園で生まれ、一般公募していたジャイアントパンダの赤ちゃんの名前を『ズイズイ』(当時中野が口癖のように使っていた「どんどん」を意味する言葉)にしようとして立ち上げた企画。番組で呼びかけた甲斐もあり(中野も『オールナイトフジ』出演時に頭に『ズイズイ』と書いてアピールした)、公募件数で第2位となったが、特定の番組内での組織票ということで却下され、パンダの名前は公募第1位の『トントン(童童)』に決まった。身の周りで見聞きした、嘘のような本当の話を紹介するコーナー。はがきを読んだ後に必ず『ゲゲッ!アジッ!?』というセリフを発していた。「中野さんの後輩になりたい!」という、早稲田大学の政治経済学部を受験するリスナーの受験期間から合格発表までの日々を追ったコーナー。早稲田大学受験に“出走”する受験生のリスナーを募集し、競走馬に見立てた名前をつけ、枠立てで誰が合格するかをリスナーから募集し、ともに応援した。“出走馬”たちからは模擬試験の結果や受験勉強生活の近況などがハガキによって随時報告され、中野が直接電話をかけて彼らのコンディションなどを聞くこともあった。また、試験当日の朝には中野が早稲田大学を訪れ、校門の前で出走馬たちを含む受験生を激励している。合否の結果は電話で出走馬たちの口から直接発表された。当番組内で2回行われた後、“第3回”は1989年に「NORU SORU」内で行われている。「自転車で鈴鹿サーキットを走りたい」ということから始まったといわれるコーナー。様々な変わったレース案を募集すると同時に、当時のバイク雑誌『バリバリマシン』に掲載された「チャリダー(自転車=チャリンコに乗るライダー)」の投稿や、「ブッチする(相手を抜き去る、ぶっちぎること)」「カリッカリッ(自転車でコーナーを曲がる際にペダルが地面をこするときの擬音)」といった独自のスラングなども紹介した。このコーナーの目的は後述の「チャリ・伊豆・グランプリ」で達成される。中野がコンサートツアーで訪れた群馬県前橋市で、タクシーの運転手から手渡された演歌歌手・双葉勝之の「まえばし雨情」という曲のカセットテープをきっかけに、各地で自主製作盤をリリースして活動する演歌歌手にスポットを当て、「『演歌版インディーズフェスティバル』を実現しよう」と動き出したコーナー。リスナーからイベントへの出場候補となりうるインパクトのあるレコードやミュージックテープを募集し、ノミネート曲として放送した。会場はインディーズバンドのメッカとして知られる東京の豊島公会堂で、司会にはインディーズレーベルのナゴムレコードを主催していた有頂天のケラをブッキングする予定だったが、開催前に番組が終了してしまった。主なノミネート曲当時大相撲から全日本プロレスへと転向した輪島大士の近況(ネタ)を報告してもらうコーナー。「オーケストラ占い」というパロディー占いのコーナー内で、輪島のネタが盛り上がったことから派生した。1986年12月31日の第37回NHK紅白歌合戦で、白組キャプテンの加山雄三が少年隊の『仮面舞踏会』を紹介する際に「紅白初出場、少年隊『仮面ライダー』です!」と言い間違えるハプニングが起こったが、それに乗じてなぜ加山がそのように間違えたのかと言うネタを募集した。時期が過ぎて加山雄三ネタが風化すると、当時解決直後だった三井物産マニラ支店長誘拐事件のネタに変化し、コーナー名も「若王子さんは妻子があるにも関わらずなぜオセロゲームなのか?」に変わった。誘拐された支店長若王子氏の髪が、誘拐以前は白髪だったのに、解放されたときは黒髪になっていた理由を募集した。「オセロゲーム」は、髪の色に引っかけている。リスナーの家の家紋を募集し、中野がフジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』にゲスト出演するときに頭に描いた。頭に家紋を描くのは「人形の久月」のパロディー。中野が育った千葉県流山市を走るローカル線「総武流山電鉄」の経営悪化を救済するために、リスナーの力で乗車率を250%にしようという企画。流山電鉄の乗車率を上げるためのアイデアを募った。後述の「幻の商売繁盛 えーらいこっちゃ」にて、企画が実現している。ちなみに流山電鉄は私鉄であり、国鉄民営化とは直接関係はない。学校をはじめ、家庭、社会などでの悩み事、相談事などをリスナーとともに考えていくコーナー。主に「いじめ」に関する内容の投稿が多く、いじめの被害者だけでなく加害者からの意見なども寄せられた。このコーナーでは中野はトークのトーンを落とし、リスナーに本音のメッセージを送った。投稿が読まれたリスナーにプレゼントされた番組ノベルティ「早稲田大明神ステッカー」を、それとは別に毎週抽選でプレゼントしたコーナー。当ノベルティは、中野が早稲田を1浪して受験したとき、神棚に「早稲田大明神」と自分で書いた札を貼ったら合格したというエピソードから由来し、ステッカーに大きく「早稲田大明神」と書かれている。放送時期によってバージョン(色違い)が変わった。番組のエンディング前に、リスナーや中野の周りの「いい人」に関するエピソードを紹介するコーナー。この番組を象徴するようなコーナー。寂れた店などにリスナーとともに押しかけ、中野と河合のユニット「ザ・花びら」のライヴを見ながら、ほんのわずかだけでも商売繁盛させようというゲリラ的企画。1987年7月31日、静岡県田方郡修善寺町(現・伊豆市)の日本サイクルスポーツセンターにて48名の参加者が集まり、「サンプラザ中野杯 伊豆トライアスロン」とローラースルーゴーゴー、キャタピラー、ホッピングの3種類のレースを合わせた4種目が行われる。トライアスロンではいきなり停電すると言うハプニングも起こった。参加者以外の観客だけでも約400人が集まり、最後は全員で尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を合唱した。この番組の最終回は、ラストで中野が言葉が詰まるほど涙に咽び、それだけに感動的な放送だったとして、この後にも語り草になったことがあった。なお、これより3週間前の9月18日放送の中で、「これからは音楽と、このバンドで勝負したい」ということから番組降板を発表している。この日は放送前から約200人のリスナーが、最終回をすぐ近くで見守ろうとニッポン放送前に集まった。25:00の放送開始とともに、中野と河合の『ザ・花びら』が8階テラスから下にいるリスナーに向けて約30分間ライヴ。はがきリクエストによりベスト10を決め、カウントダウン形式で演奏を行った。そのランキングは以下の通り。しかし、隣接する丸の内警察署から『留置場に居る者が眠れない』などの苦情が来たためにライヴはやめ、スタジオに戻っての放送となった。スタジオに戻ってからは、これまでのコーナー、企画をリクエスト形式で振り返る『いいぞいいぞやめちまえベストテン』(この最終回の放送が第118回目だったことから、『(1)いいぞ(1)いいぞ(8)やめちまえ』という語呂合わせのタイトルでもあった)、懐かしのテープ音源やリスナーからのコメントを聞きながらの放送だった。なお、この企画でのランキングは以下の通り。そしてラスト、所々で涙にくれる中言葉を搾り出すように訥々とラストメッセージを伝え、最後にエンディングテーマとして爆風スランプの曲『夕焼け物語』が流れる中、『プロミス、プロミス、プロミス、ユー』の代わりに『ラジオの前のみんなにもう一度、ありがとう、ありがとう、ありがとう、さようなら』で終えた。
出典:wikipedia
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