阿部 正次(あべ まさつぐ)は、江戸時代初期の大名。武蔵国鳩ヶ谷藩、上総国大多喜藩、相模国小田原藩を経て、武蔵国岩槻藩初代藩主。また、大坂城代を務めた。阿部家宗家初代。阿部正勝の長男。母は今川氏家臣・江原定次の娘。三河国(愛知県)で誕生。慶長5年(1600年)に家督を継ぎ、武蔵国鳩谷(埼玉県川口市)5000石、慶長15年(1610年)に下野国鹿沼(栃木県鹿沼市)と転ずる。慶長19年(1614年)の大坂の陣では、大番組衆を率いて従軍し諸将が進軍を留まる中、大坂城に一番に突入して奮戦、一番首も挙げて戦功第一と証せられた。戦後は急速に加増を重ね、寛永3年(1626年)には8万6000石余となり、大坂城代に任じられ、死去するまで22年間もの長期にわたって務めた。寛永14年(1637年)に勃発した島原の乱の際には、大坂城代として江戸・九州間の連絡・調整にあたった。寛永15年(1638年)4月22日、4万6000石を嫡男重次に譲り、1万石を孫の正令(のち阿部忠秋の養子)に分与し、自身は3万石を領する。11月7日には重次は老中に任命されている。正保4年(1647年)、現職のまま大坂城中で病没した。享年79。
出典:wikipedia
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