光宗(こうそう、925年 - 975年7月4日(旧暦5月23日))は第4代高麗王(在位:949年4月13日 - 975年7月4日)。姓は王、諱は昭、別名王仙。謚号は弘道宣烈平世粛憲懿孝康恵大成大王。父は太祖、母は神明順聖王后劉氏。恵宗の異母弟で定宗の同母弟。元朝服属以前の高麗君主であったことから、対中国王朝に対しては国王と称していたが、国内では皇帝や天子といった呼称も使用していた。956年に奴婢按検法を宣布し、後三国時代の混乱期に奴婢となった者たちの身分回復を始めた。この法により、大量の奴婢が耕作する広大な所領を経済的基盤としていた建国の功労者である豪族たちの勢力をそぎ、王権の強化に努めた。また科挙制度の開始など、高麗初期において国家の基盤を築いた名君として評価されている。だが治世の後半に至って豪族や親族に対する排除は粛清といえるほどに厳しさを増し、中には罪なく殺された者もでたため、後世に批判される面もあった。
出典:wikipedia
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