ピダーセン自動小銃(ピダーセンじどうしょうじゅう、Pedersen rifle)は20世紀前半にアメリカで開発された半自動小銃である。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、当時世界各国の軍隊のライフル銃はほとんどがボルトアクションライフルであった。その中でボルト操作を必要とせず、連続で弾薬を発射できる銃、半自動小銃・全自動小銃の開発も、各国の銃技師の間では行われていた。アメリカ・レミントン社の銃技師であったジョン・D・ピダーセンもその一人である。彼は当時、レミントン製の多数の拳銃や散弾銃の設計・開発に関わり、当時ボルトアクションライフルであったスプリングフィールドM1903小銃の機関部を改造しオートマチック化する時に使用した機構装置(ピダーセン・デバイス)を考案した人物である。また半自動小銃の研究も1903年頃から開始し、アメリカ陸軍の自動小銃の採用試験に提出するための試作銃の研究を開始する。製造はレミントン社で行われ1925年ごろにピダーセン自動小銃は完成した。機関部はドイツのルガーP08ピストルでも採用されているトグル・アクションによるディレード・ブローバックを採用。新型銃の完成後、ピダーセンは本銃を1930年に行われたアバディーン試験場で行われたアメリカ陸軍への自動小銃の採用試験に提出した。だが、選考の結果、同時期に提出されたジョン・C・ガーランドのガス圧式の試作自動小銃(後のM1ガーランド)が採用されてしまう。ピダーゼン自動小銃が採用選定で敗北した原因は、その複雑すぎる構造と部品の多さであったとされる。本銃を分解した際の部品数は実に約300となり、分解後、再び組立て直すことが非常に難しいこと、野戦による砂やホコリが機関部に侵入した場合、高い確率で動作不良を起こしたことも挙げられる。さらに独自の装弾機構や、「ピダーセンカートリッジ」(後述)と呼ばれる独自の弾薬を使用したことが裏目にでてしまったこともある(当時アメリカ陸軍では既存弾薬「30-06口径弾薬」で統一をはかる流れがあった)。ピダーセン自動小銃の主な特徴として、ピダーセンカートリッジと呼ばれる専用弾があった。これはピダーセンが新型銃を設計した際、アメリカ陸軍の標準弾薬である.30-06口径の弾薬ではディレードブローバック閉鎖機構では威力が強すぎて耐えられないと判断、そこで新型銃の規格にあう弾薬を新たに設計する必要があったためである。弾薬には従来の.30-06口径弾を改良した「.256口径弾」と新たに設計し直した「.276口径弾」の二種類を作製。比べた結果、.276口径弾がトグルアクション機構に最適であると採用した。ピダーセン自動小銃はこれをエンブロック式クリップで10発まとめて装填した。また発砲時にチャンバー内に薬莢が頻繁に張付きを起こした為、張付き防止策として使用弾薬すべてに薄くワックスコーティングが施されている。これにより幾分かは張付きは防止されたが、弾倉内への弾薬再装填を困難にする上に、弾薬に油を塗らないと機関部で薬莢の張付きを起こす可能性があるという機関的欠陥を公に晒すこととなった。この事も結局、後の自動小銃採用選定で影響を与えてしまっている。自動小銃の採用選定に敗れたのち、ピダーセンはピダーセン自動小銃を第一次世界大戦から第二次世界大戦の間にはイギリスに持ち込み、イギリス軍に対し実射テストを行ったが結局これも不採用となる。その後ピダーセンは引き続き新しい自動小銃の設計・開発に乗り出し、そして前回の失敗を反省してか、複雑なトグルアクション機構を使用せず、機関部をM1ガーランドで採用しているガスピストン式に改め、さらに弾薬を陸軍と統一化させた自動小銃を新たに開発、ふたたびアメリカ陸軍に対し提出を行っている。しかし既に遅くアメリカ陸軍内ではM1ガーランドが大量に出回り、機関部に対しても好評であったためか新たに採用する兆しも無く、この試作銃も結局不採用となっている。なおピダーセン自動小銃は日本でも半自動小銃の研究用に少数輸入し、1934年(昭和9年)10月までに「試製自動小銃・甲」という名称でコピー試作されている。使用弾薬には当時の制式小銃であった三八式歩兵銃の三八式実包(6.5mm×50SR)を採用した。マンリカ式で10発入り固定式弾倉だったオリジナルのピダーセン自動小銃と異なり、甲は脱着式の10発入りロータリー弾倉を採用した。三十年式銃剣を着剣できた。甲の外見は三八式歩兵銃と良く似ていた。甲には長銃身型と短銃身型のヴァリエーションがあった。しかし機関部はピダーセンの機構を忠実に再現したためピダーセンの欠点までもが引継がれ、さらに命中率も悪かった。自動銃に切り替えた場合の弾薬消費量も、当時の陸軍の兵站能力では到底サポートできなかったため、結局陸軍では不採用となっている。なお、この自動小銃は正式採用こそされなかったものの、太平洋戦争末期には銃器の深刻な不足により試作品のいくつかが戦場に投入されている。現在米国のとあるコレクターの元に試製自動小銃・甲がほぼ完全な状態で所蔵されているが、この銃は1945年にフィリピン・ミンダナオ島戦線で米兵に鹵獲され、戦後本国に持ち帰られたものだという。
出典:wikipedia
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