国鉄14系客車(こくてつ14けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1971年(昭和46年)より設計・製造した客車の形式。客車の冷暖房用などのサービス電源を、床下のディーゼル発電機でまかなう「分散電源方式」を初めて採用した12系客車をベースとし、同じく分散電源方式を採用しつつ、特急列車としての使用を前提とした車内設備を持たせた客車がこの14系である。昼行特急列車や座席夜行列車に使用する座席車と寝台特急列車に使用する寝台車があり、さらに寝台車は製造時期や仕様の違いにより14形と15形に分かれているが、いずれも機器などは基本的に同一である。第15回(1972年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。20系客車は寝台列車として大成功を収めたが、列車内でのサービス電源を電源車から供給する「集中電源方式」を採用していたことから、多層建て列車として運行する際には、分割された編成に給電するための別の電源車を必要とし、これが運用上の制約となった。この運用上の制約を排除するため、客車のサービス電源を床下のディーゼル発電機でまかなう「分散電源方式」を採用して増備していた、12系客車を基本とした寝台車として設計・製作された形式が14系寝台車である。製造年度によりB寝台車室の違いなどから、14形・15形と2種類に分類される。また、個室寝台に改造されたケースもある。一部の車両については、座席車同様、北海道で使用していた旧形客車を廃車にする際の代替車両用として、耐寒耐雪改造が実施された。この車両は、折戸を引戸に改修するなどの措置が取られており、500番台の車両番号が与えられている。これらは14系500番台座席車同様、急行列車に使用されたが、急行が特急格上げ・気動車化された後、一部は気動車連結のために改造され、また「北斗星」の個室車両用に改造(同時に24系に編入)された車両もある。車両の概要としては、上記にあるとおりであるが、特徴としては、B寝台車の内装が、それ以前の標準寝台幅52cmを踏襲した20系客車と異なり、B寝台車のベッド幅を581・583系電車で採用したのと同様の70cmと大型化し、またユニット方式で内装を製造して車内に取り付ける形を初めて採用した。また、寝台車のベッドの収納などを省力化するため、中段寝台の自動昇降装置を初めて取り付けた。形式はB寝台車のオハネ14形・スハネフ14形、A寝台車のオロネ14形、食堂車のオシ14形が用意された。A寝台車については、「プルマンタイプ」の開放式寝台車のみが製造された。食堂車については、電車・気動車の食堂車とほぼ共通の仕様となってコストダウンが図られた。合計188両が1971年から翌年にかけて製造されている。まず、1971年に急行「瀬戸(下り)2号・(上り)1号」に試作車のオハネ14 1 - 7とスハネフ14 1 - 3が連結され、試験的に運行を開始した。同列車では他の従来型客車と連結する必要があったため、試作車は蒸気暖房(SG)管と電気暖房用引通し線を新製時より搭載している。1972年3月ダイヤ改正で寝台特急「さくら」・「みずほ」・「あさかぜ(下り)2号・(上り)3号」の3往復で運用が開始された。その際の編成はを参照されたい。しかし1972年(昭和47年)に発生した北陸トンネル火災事故を機に、火元となる可能性のある電源エンジンを客室の直下に置く分散電源方式は防火安全対策上問題があるとされ、本形式の製造は一旦中止され、以後の増備は集中電源方式の24系客車に移行した。1980年代から1990年代にかけてB寝台車の2段寝台化が行われたが、需給関係との兼ね合いもあり、全車には及ばなかった。2段化されなかった車両は急行列車や波動輸送用に使われたほか、JR西日本管轄であった「出雲3・2号」に廉価サービスの一環として、1989年(平成元年)から3段B寝台車を1両連結する措置がとられ、同列車が1998年(平成10年)に電車化されるまで続けられた。14系14形の製造が中止された後に、防火安全対策を強化して1978年(昭和53年)に製造されたグループである。B寝台車のみ63両が製造された。床下発電機にはハロン式自動消火装置が付きA-A基準に準拠して製作された。電源システムなどは14形と同じで混結が可能だが、24系25形寝台車に準じた車体形状を持ち、B寝台も2段化されオハネ15形・スハネフ15形のみが製造された。なお、登場時編成図はを参照されたい。新製当初、15形は寝台特急「あかつき」2往復に投入されたが、後に「明星」との併結運転を実施。国鉄の分割民営化を控えた1986年(昭和61年)に「あかつき」の減車および1往復削減に伴い、一部の15形が熊本運転所へ転属し、14形に混じって「さくら」・「みずほ」にも投入された。JR化以降、12系と併結の急行「だいせん」・「ちくま」などにも使用された。「あかつき」の運転終了後は、熊本に転属したスハネフ15形4両・オハネ15形5両が、スハネフ14形6両、オロネ25形改造のオロネ15形3000番台5両、オハネ25形1000番台改造のオハネ15形2000番台5両、オハネ25形100番台改造のオハネ15形1100番台6両とともに、「富士」・「はやぶさ」で列車廃止まで運用された。車体構造が共通である24系客車への転出、あるいは同系からの改造編入は、登場直後から行なわれている。系列内改造では、北海道への転用改造が質および量ともに大規模なものとしてあげられる。1975年3月のダイヤ改正により、24系24形が品川客車区に転属して「はやぶさ」・「富士」・「出雲」を受け持つこととなった際に不足する食堂車5両を補うため、オシ14形に難燃化・電気系統の改造によりオシ24形100番台に編入したものである。国鉄分割民営化に際しては、全車がJR九州に引き継がれたが、1999年(平成11年)をもって運用から外され全車廃車となった。1977年(昭和52年)に系列間の需給調整のため、24系客車のB寝台緩急車オハネフ24形に電源用ディーゼル発電機を取り付け14系化した車両で3両が改造された。もともと、24系客車自体が当系列を基本にした系列のため、外観上の差異はほとんどなく、屋上エンジン排気筒ならびに後位クーラー廻りの寸法、前位車端部の手すりの取付け方が異なる程度である。改造当初は101と102が品川運転所(当時は品川客車区)、103が早岐客貨車区に配置された。102は、1982年(昭和57年)3月15日に名古屋駅構内で発生したDD51形ディーゼル機関車との衝突事故(名古屋駅寝台特急「紀伊」機関車衝突事故)により廃車となり、101がJR九州、103がJR東日本に引き継がれた。103は尾久客車区(現・尾久車両センター)に所属し、3段寝台のまま急行「能登」や「カートレイン九州」で使用されたが1998年に廃車となり、その後は101のみがJR九州熊本鉄道事業部熊本車両センターに配置、2009年廃止の「富士」「はやぶさ」に充当されたが、2013年度に廃車され区分番台消滅となった。1982年11月のダイヤ改正で24系24形寝台車が秋田運転所に転属となり、「あけぼの」・「ゆうづる」・「出羽」に運用する際に不足するA寝台車を補うため、オロネ14形1両の電気系統を変更して、オロネ24形100番台に編入したものである。1986年には、急行「銀河」24系置き換えの際に不足する2両が追加改造されている。国鉄分割民営化で、101がJR東日本、102・103がJR西日本に引き継がれた。1991年(平成3年)に101はスロネ24形に改造されたため、残った102・103の2両がJR西日本宮原総合運転所に配置されていたが、2008年(平成20年)に廃車となり形式消滅。1983年、北海道内の急行列車「まりも」・「大雪」・「利尻」で使われていた10系寝台車の置き換えのため、後述の座席車に引き続き、本系列に暖房強化と冬季の着雪・凍結対策として折戸であった客用扉の引戸化など道内向け改造を施したものである。在来客車との併結のため、蒸気暖房管が引き通された。台車はブレーキシリンダを台車装備とし、鋳鉄製制輪子を使用したTR217FとTR217Gに変更され、最高速度が95km/hに抑えられたため、区別のため車体側面の形式番号標記の前に「○ホ(○の中にホ)」マークが加えられた。オハネ14形が17両、スハネフ14形が8両が改造された。これらは、主に寝台車を連結した夜行急行列車に用いられたが、車両設備の更新のため一時期宗谷本線の昼行急行列車である「宗谷」・「天北」にも座席車代用としても用いられた。後に使用列車の気動車化に伴い、塗色変更の上気動車との併結改造をされた車両のほかは、座席車も含め「北斗星」増発に伴い24系に改造編入された。1985年3月に、五稜郭車両所でオハネ14 501 - 503の寝台1区画をソファシート(後述のオハネ14形700番台と同じ仕様)に改装し、昼行運用時のみグリーン席としたもの。夜行運用時は2段式B寝台4席のみとして発売された。14系客車置き換え前の気動車時代に連結されていたグリーン車のサービスを受け継ぐもので、急行「宗谷」(上りのみ)「天北」(下りのみ)で運用されたが、現地でしか購入できないなど発売方法に問題があり利用が振わず、1986年10月までに原型に戻された。1984年、高速バスや航空機の台頭に伴う夜行列車の利用率低下を打開するため、B寝台車では初めて登場した4人用個室「カルテット」を配置した寝台車である。種車の寝台レイアウトはそのままに通路との仕切りを設け、昼間利用時の居住性向上のため下段寝台を折りたたみ式のソファーベット化するなどシンプルな改造内容で、原状への復元が容易に行える構造であったが、登場当初はグループ利用者を中心に人気を集め、「さくら」・「みずほ」に使用された。国鉄分割民営化で全車がJR九州に引き継がれたが、夜行需要自体の減少のみならず、上段が3段式時代のままであったことや個室の少人数志向が進んだことで利用率が低下したことから、1997年に定期運用を離脱。その後個室のドアを撤去し、通常の2段式B寝台として「シュプール大山」に充当されたが、翌1998年までに全車廃車されている。広島鉄道管理局で、1984年に20系寝台車改造の簡易個室式ジョイフルトレイン「ホリデーパル」のサロンカーとして、オシ14 1を幡生車両所で改造したもので、改造後はオハ14 701に改番された。車内は、食堂設備をすべて撤去してカーペット敷きとされたが、外観上は厨房部の窓を固定化したのが目立つ程度で、大きな変更はない。電気系統は20系の三相交流60Hz/600Vに適合するように改造されたが、回路の切替えにより従来どおり14系や12系に組み込んで使用することも可能であった。国鉄分割民営化でJR西日本に引き継がれ、1990年には白を基調とした新塗装に塗り替えられたが、1997年に20系側の老朽化により廃車された。1985年3月、東京対九州ブルートレインの設備改善のため、ホテルのロビーのような機能を持つフリースペースとして「ロビーカー」を「はやぶさ」に連結することとなり、登場。本グループの種車は、当時余剰となっていたオシ14形およびオハネ14形が充てられた。両車の外観は大きく異なるが、種車の設備は完全に撤去され、中央部にソファと1人用の回転椅子を設けたロビーコーナー、前位寄りに飲料の自動販売機を備えたサービスコーナー、後位寄りにPRコーナーが設けられた。また、ロビーコーナーの前位寄りには、サービスカウンターも設けられていた。外観は、銀色のメタリックテープで翼を広げたようなデザインが行なわれ、ロビーカーであることをアピールした。その後カード式公衆電話が設置された。「はやぶさ」用には、オシ14形改造車2両、オハネ14形改造車1両が用意されたが、1986年11月から連結が開始された「富士」用には、オハネ14形改造車2両が増備された。両グループは区別されることなく連番が付番されている。オシ14から改造された701・702は客用扉は設置されていない。改造は全車が大宮工場(現・大宮総合車両センター)で当初は品川運転所に配置されたが、国鉄分割民営化に伴い全車が熊本運転所へと転属しJR九州に引き継がれた。2005年(平成17年)の「富士」「はやぶさ」併結運転化に伴って編成から外され、同年に全車が廃車となった。1987年に実施された国鉄分割民営化に際しては、240両がJR4社に継承された。その状況は、次のとおりである。国鉄時代の廃車は、1982年度に事故廃車となった1両(スハネフ14 102)のみであった。その他に改造による減が13両、増が3両で、廃車と合わせて11両の減である。北海道旅客鉄道(JR北海道)へは、オハネ14形500番台17両とスハネフ14形500番台8両の計25両が承継された。「北斗星」3・4号の定期列車化に伴い、オハネ14形の一部は24系客車へ改造編入され、残存車は引き続き「まりも」「大雪」「利尻」など夜行急行列車を主に運用された。これら夜行列車群が気動車に置換えられる際に、寝台車組込のため気動車との併結改造が行なわれた。道内発着の夜行列車は2008年(平成20年)8月31日出発の特急「まりも」の臨時運転をもってすべて廃止され、オリジナルの14系寝台車の運用は消滅した。札幌運転所に配置されていた残存車は同年10月17日をもってすべて廃車となった。2016年3月、急行「はまなす」用の24系改造編入車2両も廃車され、北海道から14系寝台車は消滅した。1988年(昭和63年)3月、青函トンネルの開通に伴って上野駅 - 札幌駅間で運転が開始された寝台特急「北斗星」は1・2号をJR北海道、5・6号をJR東日本が担当し、3・4号はモノクラスの季節列車として設定されたが、豪華編成の1・2・5・6号に続いて、3・4号にもハイグレード客車を連結して1989年3月から定期列車化することとなった。その際、JR北海道とJR東日本で1本ずつ編成を受け持つこととなったが、JR北海道では種車となる24系が払底していたため、宗谷本線急行「宗谷」「天北」のキハ400系気動車へ置き換えによって捻出したオハネ14形11両が種車とされた。改造詳細は国鉄24系客車#JR北海道を参照。「北斗星」のA個室「ロイヤル」が寝台券がプラチナチケットとなっていたことから、「ロイヤル」の室数を増やすため、1990年(平成2年)から全列車に「ロイヤル・ソロ」を1両増結することとなった。JR北海道では前節と同じ事情でオハネ14形3両が種車となった。1991年の急行「はまなす」への寝台車連結に伴い、当時14系寝台車が不足していたことから、「北斗星」1・2号の個室化推進に伴い余剰になったオハネフ25形の床下に廃車となったスハフ14形500番台から捻出した電源装置を取り付け、14系化したものである。種車はオハネフ25形200番台だが、改造時に帯を白帯に変更した以外は上述のスハネフ15形に準じている。1991年3月、宗谷本線の夜行急行「利尻」をキハ400系気動車に置き換えることとなったが、寝台車の連結を続行するため、スハネフ14 501・505・508を気動車編成に組み込んで運転することとした。併結のための給電や放送、戸閉回路など引通し関係、ブレーキ管の改造が行なわれ、車内設備についても寝台モケットの張り替えや、トイレ・洗面所のグレードアップが行なわれた。外板塗色は、併結する気動車に準じた灰白色ベースに変更され、幌受け座が気動車タイプのものに交換された。前位側には、従来からの電気連結栓も存置されたため、客車列車に組み込んで使用することも可能であるが、気動車用引通しの関係から後位車掌室側を稚内向きに固定している。その後、1992年(平成4年)の石北本線夜行急行「大雪」の特急「オホーツク」への格上げ、1993年(平成5年)の根室本線夜行急行「まりも」の特急「おおぞら」への格上げによるキハ183系気動車化により、残存していたオハネ14 501・502・504、スハネフ14 502 - 504・506・507が、キハ183系気動車との併結対応に改造された。こちらの改造内容も「利尻」用とほぼ同様であるが、外板塗色は併結するキハ183系に合わせたものとなっている。また、オハネ14の車掌室跡には飲料水の自動販売機も設置されている。東日本旅客鉄道(JR東日本)へは、「さくら・みずほ」「北陸」「能登」用の計69両が引き継がれた。「みずほ」の廃止と「さくら」の移管、「能登」の電車化により余剰車が廃止され、「北陸」用のみが運用されていたが、2010年3月の列車廃止に伴い、運用が消滅した。2010年3月14日のダイヤ改正で「北陸」が廃止されたため、使用されているものは無い。西日本旅客鉄道(JR西日本)へは、97両が引き継がれた。民営化時点の運用は、「ちくま」「だいせん」「あかつき」「彗星」「出雲2・3号」があり、特急列車用へはアコモデーション改良もなされたが、2005年の「彗星」の廃止、2008年の「あかつき」の廃止により定期運用が消滅した。2016年3月21日に「特別なトワイライトエクスプレス」が運用を終了したため、2016年4月時点で、本系列出自の車両としては、「あすか」に1両残るのみである。1991年、「出雲」3・2号用に登場したグレードアップ個室寝台車で、1人用A寝台車(シングルDX)3両と1人用B個室寝台(シングル)・2人用B個室寝台(ツイン)合造車3両の計6両が登場した。九州旅客鉄道(JR九州)へは、「さくら」「みずほ」用に49両が継承された。両列車の廃止後は、「富士」「はやぶさ」用となったが、初期の14形が多かったため、随時24系25形から改造補充された。2009年の「富士・はやぶさ」廃止により定期運用を失ったが、九州島内での臨時列車に使用されている。1971年に開発され、その年に「瀬戸」で試験的に運用された後、1972年3月15日国鉄ダイヤ改正から本格的に営業運転に投入された。このダイヤ改正では、途中駅で分かれて別々の目的地を目指す運行形態を採っていた「さくら」などの列車に、当初の開発計画のとおり投入された。その後も「いなば」・「紀伊」など多層建ての寝台列車にも投入され、24系の開発・運用開始後も同系とともに寝台列車の中心として使用された。しかしその後、寝台列車は次第に需要が低迷するようになり、列車の廃止に伴って余剰となり始めた14系も次第に活躍の場を狭めていった。また、北海道にみられた気動車併結列車も2007年10月のJR北海道ダイヤ改正での「まりも」の臨時列車化に伴い定期運用がなくなった。2010年3月13日のダイヤ改正で、寝台特急「北陸」が廃止されたことにより、特急列車での定期運用は無くなった。そして2012年4月現在、定期列車では急行「はまなす」に使用されるだけとなり、のち2016年3月21日の青森22:18発をもって運行終了へと到った。2009年(平成21年)3月まで多層建て列車として運転されていた、東京駅 - 門司駅間併結の「富士」・「はやぶさ」では、それぞれの編成内容を共通化することで、1つの編成について、熊本-「はやぶさ」-東京-「富士」-大分-「富士」-東京-「はやぶさ」-熊本という、14系の長所を最大限に活かした車両運用が行われていた点が注目された。詳細としては「スハネフ14 (15) 形 - オロネ15形3000番台 - オハネ15形2000番台 - オハネ15形 - オハネ15形 - スハネフ14 (15) 形」1編成を、上り「はやぶさ」→下り「富士」→上り「富士」→下り「はやぶさ」とする運用を組み合わせる形で使用されていた。車両の面から見ると「富士」「はやぶさ」に使用されている14系の製造時の形式は、14系14形が5両(スハネフ14形0番台)、14系15形が9両(スハネフ15形・オハネ15形0番台)、24系24形が1両(オハネフ24形改造のスハネフ14 101)、24系25形が16両(オロネ15形3000番台・オハネ15形2000番台・オハネ15形1100番台)とすでに廃車となっている20系客車を除く寝台特急用客車の全形式にわたっていた。趣味的な観点であるが、銀帯の車両が多数派となっているが、もともと白帯であるスハネフ14形に加え、更新改造時に銀帯(ステンレス)を白帯(塗装)に変更した15形車両も存在するため、帯の色が統一された編成となることはほとんどない。2008年3月現在、スハネフ14形、スハネフ15形の一部、オハネ15形1100番台が白帯、スハネフ15形の一部、オハネ15形0番台、オハネ15形2000番台、オロネ15形3000番台が銀帯となっていた。2016年4月1日時点で、2社に8両が在籍する。JR九州の7両は長期保留車である。1969年(昭和44年)から、国鉄は波動輸送用として12系客車を製造していた。12系は急行用としたことから座席は向かい合わせの固定式クロスシートであるものの、110km/h運転が可能で冷房装置を完備した唯一の昼行用客車ということもあり、当初は臨時特急列車にも12系を使用していたが、特急料金の割引を行っても利用者の評判は芳しくなかった。そこで12系客車の設計を基本とし、183系電車と共通の車内設備をもつ特急形車両として1972年から1974年にかけて新潟鉄工所・富士重工業・日本車輌製造で合計325両が製造されたのが14系座席車である。波動輸送用として増備されたことから、グリーン車・食堂車の製造は計画されず、普通車のみが製造された。簡易リクライニングシート・AU13A形分散式冷房装置(製造途中から難燃化構造としたAU13AN形に変更)を搭載し台車はTR217D形を採用した。車体の屋根高さは12系客車よりも10cm低い3,520mmである。また、窓框の高さなど183系電車の普通車とほぼ同一であるが、窓部の側構は同じ特急形でも電車・気動車と異なり内傾しておらず垂直である。また、波動用という事でレジャー客のスキー板やゴルフバッグ等大型荷物の携行が予想された為客室の一端に大型荷物置場を設置した。12系・14系寝台車以外の系列との併結は考慮されず、蒸気暖房管と電気暖房用引通し線は未装備である。下表に記すように4回に亘って発注された。増備の都度、細部の改良が行われているが、特に昭和48年度第3次民有車両では北陸トンネル火災事故の教訓から難燃性の向上が図られ、車体構造を含む多数の変更が行われた。また、ジャンパ連結器を24系客車に合わせた。ジャンパ栓収めを2箇所(KE8・KE85)妻板の1・4位に設置した。※ジョイフルトレインへの改造車については、その項を参照のこと。日本での客車製造において43系ベースではブラジル国鉄客車と10系ベースではタイ国鉄向け軽量客車があり、この14系座席車もメキシコのチワワ太平洋鉄道向け客車もこの座席車ベースの冷房付客車が存在して1976年に近畿車輌が製造した。冷房装置もAU13AN型も装備されていたが、老朽化対策としてメキシコ三菱電機製セゾンエアコンに換装した。冷房電源用ディーゼル発電機も2両毎に付けられているのも共通している。国鉄分割民営化に際しては、JR四国を除く5旅客鉄道会社へ318両が継承された。国鉄時代の廃車は、事故廃車となった「みやび」の7両のみである。製造当初より定期列車での特急列車運用はなく、臨時特急「しおじ」・「つばさ」・「踊り子」など、臨時列車用として使用された。1975年3月のダイヤ改正より、大阪始発の九州方面への夜行急行列車である「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」の4列車に使用される事になり、同系列としては初めて定期列車運用となった。その後も臨時特急・急行列車中心に使用され、1980年10月改正では前述の急行列車が廃止となって一時的に定期列車の運用が消滅したが、廃止による余剰車を北海道向けに改造して急行「ニセコ」の旧形客車を置き換えてから、次第に定期列車への使用が増えていった。14系各寝台車とは車体断面は大きく違うが、そもそも寝台車のほうが先に製造された後に座席車へシステムが応用されたため完全な互換性がある。そのため北陸トンネル火災事故後のスハネフ14形防火対策工事や名古屋駅「紀伊」機関車衝突事故での車両代替としてスハフ14形を連結したほか、1983年から1984年にかけてB寝台車の2段寝台化改造の際には、再びスハフ14形とオハ14形が編成に組み込まれた。こうした座席車と寝台車の混結は1980年代以降の夜行急行列車のうち、寝台車を連結していた列車を10系客車やそれ以前の旧形客車から置き換える際にも多く見られるようになった。さらに進化した形として夜行高速バスとの競争力を要求されていた新大阪発着の九州方面寝台特急のうち、1986年より「あかつき」の佐世保編成中にオハ14形1両を連結していた。1990年にはグリーン車並みの座席を、3列独立配置とした「レガートシート」が登場。長崎編成に組換えのうえ編成位置も端に寄せられた。しかし、1980年代以降は急行列車の特急格上げや廃止が進み、12系客車とともにジョイフルトレインなどに改造される車両が出始めた。1987年のJR分社後は、それ以前に配置がされなかったJR四国を除く各社に承継された。配置がなかったJR四国には2005年5月にJR東海が所有していたスハフ14 1・5・オハ14 1・オハフ15 1の合計4両の譲渡を受けて高松運転所に配属された。これにより14系座席車はJR旅客6社すべてに配置されたことになる。しかし、1994年にJR九州の車両はすべて廃車となり、2002年にJR東日本では保有していたジョイフルトレイン以外の14系座席車をすべて廃車している。また、1994年には第三セクター鉄道の樽見鉄道にもJR東海が所有していた車両の譲渡を受けて5両が移籍、通学や花見輸送などに用いられたが、2006年3月末日に廃車された。2015年12月14日に高松運転所の14系が先に廃車され同所構内に放置されていた元ムーンライト高知用の12系(2010年廃車)・キロハ186-1(2013年廃車)ともども多度津工場に回送されている。また前述通りに2016年3月21日始発基準で運行終了した「はまなす」用車両の内、同年4月11日に座席車10両が陣屋町に回送され、更に同年4月12日にも座席車5両が苗穂工場へ回送され、順次解体の予定となっている。尚、JR北海道所属車4両(スハフ 14 502・スハフ 14 557・オハ 14 511・オハ 14 535)については、大井川鐵道への譲渡が決定し、2016年6月8日にフェリーでの航送準備がされた。スハフ14形2両は翌日の6月9日に、オハ14形2両は3日後の6月11日に搬入され、載線作業が行われた。2016年4月1日現在で、急行「はまなす」が2016年3月26日のダイヤ改正で廃止されたため、運用はJRグループ所属車は定期運用を失い、臨時列車用のみとなっている。2016年4月1日時点で、3社に26両が在籍する。ただし、JR北海道札幌運転所の15両は、運用の項で記されているとおり、2016年4月に陣屋町駅・苗穂工場へ廃車のため配給輸送された。JR西日本からタイ国鉄に対し、2004年(14系20両)と2008年(24系寝台車28両、14系寝台車4両)の2回にわたり、廃車となった寝台車および座席車計52両が譲渡された。タイの鉄道は1m軌間であるため導入に当たって台車の改造を行っている他、低床ホームに対応するためのステップ増設・トイレ改造(タイ式文化に合わせ、汚物タンクを撤去した)・塗色変更(妻面を警戒色に変更。側面は日本時代と同じ塗色)などを行って使用されている。全長や全幅などが従来のタイ国鉄車両の規格を超えるため、運用区間は限定されている。また現地にて12系などと発電セットを交換することも頻繁で、一部には25形寝台車にも発電セットを積み14系15形然とした改造をしたものも発生した。また、JR東日本からも座席車5両がフィリピン国鉄に譲渡されたが、すでに全車廃車解体となっている。2010年11月にJR西日本は「ムーンライト九州」「リゾート&シュプール」などに使用されていた座席車7両をマレーシア鉄道公社に譲渡する予定であることを発表した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。