貢女(、コンニョ)は、一般に女性を朝貢品の1つとして献上することである。5世紀に高句麗・新羅から中国の北魏に送ったという記録があるが、朝鮮半島から貢女の献上が最も盛んに行われたのは高麗後期から李氏朝鮮時代にかけてだったため、ここでは高麗と李氏朝鮮時代の貢女について説明する。高麗時代の献上先は蒙古(元)、契丹、明であり、貢女だけでなく多くの朝貢を強いられていた。高麗時代の1番目の資料は結婚都監()を置き、140名の貢女を行い、2番目は貢女確保のために国中の婚姻が禁止されて、3番目に資料では寡婦處女推考別監()という役所を設け組織的に対応していることがわかる。李穀(1298年-1351年)が元の皇帝に貢女による高麗国内の現状を上訴している。1332年、忠粛王は元朝の衰えとともに、元朝への貢女を廃止している。なお、貢女でありながら、王后(妃)となった女性になどがいる。
出典:wikipedia
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