岡本 公三(おかもと こうぞう、1947年12月7日 - )は、日本の新左翼系テロリストで、元日本赤軍メンバーの一人。よど号グループの岡本武は次兄。熊本県葦北郡芦北町生まれ。熊本マリスト学園高等学校卒業。長兄と次兄の岡本武と同じ進学先である京都大学を二度受験したが失敗し、。1971年、鹿児島大学にやってきた若松孝二・足立正生監督の映画『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』に共鳴し、上映運動を展開する「赤バス隊」に参加。1972年3月、日本赤軍に加わった。1972年5月30日に奥平剛士・安田安之と共にテルアビブ空港乱射事件を実行し26人を殺害、ただ一人逮捕された(奥平、安田は死亡)。このとき、鹿児島大学から放学の懲戒処分を受ける。同年7月13日に岡本はイスラエルで裁判にかけられ、職業として「赤軍兵士」を自称した。また陳述のなかでは民間人を殺害したことについて謝罪せず、また「事件は当初は3人ではなく丸岡修を含めた4人で行われる予定であったが、丸岡は途中から別行動を取ったために3人で襲撃を行った」と供述している。イスラエル政府は当初は死刑求刑を検討していたが、最終的に終身刑が求刑され、終身刑が判決として確定した後に服役。1985年にイスラエルとPFLP-GCとの捕虜交換により釈放。リビア・シリアを経由して、日本赤軍が本拠地としていたレバノンに戻り合流した。その後、1997年にレバノンに潜伏していた日本赤軍メンバー5人が検挙され、禁固3年の判決が確定し、2000年3月出所。岡本以外の4人は禁固刑の執行後、日本に送還された。しかし岡本については、日本政府が(既にイスラエルで処罰されている)テルアビブ事件の刑事責任を問おうとしていることを「一事不再理に反する政治的迫害」であるとして、イスラエルと対立するレバノン政府は岡本の政治亡命を認めた。2000年3月2日に報道陣の前でイスラム教に改宗する。2002年に、テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」が、レバノンに潜伏中であった岡本の独占取材を実施、潜伏先住居内でインタビューを行っている。その中で、被害者への謝罪らしき言葉を述べているが、2001年に壊滅した日本赤軍がまだ存在しているか否かについては、把握できていない様子だった。その一方で、「まだ事件当時の24歳のままの気持ちである」とも語っている。2003年、岡本は共同通信のインタビューに応じ、「日本に帰って昔の友人たちに会いたい」と望郷の念を語っている。その際の岡本は動作が緩慢で健康に問題がある様子であった。これについてレバノン政府は「岡本がイスラエルの獄中で治安機関から拷問を受けた後遺症による精神疾患で、発語などに障害を負った」としている。現時点で、PFLF、ヒズボラなどイスラエルと敵対する勢力の庇護を受けてレバノンのベイルート郊外のアパートに在住している。2010年4月28日に、ベイルートの奥平剛士の墓前で行われた日本のロックバンド、頭脳警察のメンバーPANTAによる追悼ライブに姿を見せた。2011年には、日本の支持者とSkypeで定期的に連絡を取っており、健在であることが伝えられた。国際刑事警察機構では現在でも岡本を国際指名手配中である。2016年5月14日、滞在先のベイルートで共同通信の取材に応じ、パレスチナに骨をうずめたいと語り、死者の多くがプエルトリコ人だったことに「犠牲者には哀悼の意を表したい」と謝罪の言葉を口にした。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。