総合保養地域整備法(そうごうほようちいきせいびほう)は、リゾート産業の振興と国民経済の均衡的発展を促進するため、多様な余暇活動が楽しめる場を、民間事業者の活用に重点をおいて総合的に整備することを目指し、1987年に制定された法律である。通称リゾート法。所管は、総務省(旧・自治省)、農林水産省、経済産業省(旧・通商産業省)及び国土交通省(旧・運輸省と旧・建設省)。各道府県が策定し、国の承認を受けた計画に基づき整備されるリゾート施設については、国及び地方公共団体が開発の許可を弾力的に行ったり、税制上の支援、政府系金融機関の融資を行う等の優遇措置が受けられるのが、開発予定企業や地方自治体にとってのメリットであった。ほとんどの道府県で、名乗りを上げ、開発構想の策定を競い、大手企業の参加を求めての計画の「熟度」を上げることが当時の行政担当者の重要な仕事であった。こうして、1988年当初の段階で、36の道府県が構想の作成を進めていた。最も進行が早かったのは、1987年中に基礎調査を終えた「宮崎・日南海岸リゾート構想」(宮崎市など8市町)、「三重サンベルトゾーン構想」(三重県伊勢市など23市町村)、「会津フレッシュリゾート構想」(福島県会津若松市など8市町村)の3ヶ所である。この3県の構想は、1988年7月9日に、法適用第1号として承認されている。指定による地価高騰が警戒されたため、これら地域は、国土利用計画法に基づく「地価監視区域」にも指定された。ただ、その成果としては、特に見るべきものは少なく、特に、宮崎県の開発の目玉であったシーガイア(法による指定第1号)の破綻はその典型例とされる。また、開発予定企業の撤退等による跡地の処分問題など、その爪あとを残した。プラザ合意後の為替の急激な不均衡を懸念する政治的な内需拡大政策が背景にあった。国土均衡発展主義の思惑と地域振興に悩む地方の思惑が合致した。結果的には、低金利政策や土地担保主義によるリスク愛好的な銀行行動もリゾートバブルの誘因となった、といわれる。制定当時は、当時のバブル経済を背景にしたカネ余りもあって、地域振興策に悩む地方では大いに期待され、ほとんどの道府県が計画策定に取り組んだ。その一方、環境面からの問題が当初から指摘され、バブル崩壊もあいまっての計画の破綻など、リゾート法とそれを根拠としたリゾート開発については法成立当初から、また、実施後もさまざまな批判が寄せられている。とくに、バブル終焉直後の1991年に、日本弁護士連合会がリゾート法の廃止を求める決議が採択されるなど、リゾート法の廃止を求めるための批判もあった。新産業都市(新産都)や工業整備特別地域(工特)のように、まず公共投資を先行して「入れ物」を作って、その後に企業を誘致するという開発パターンではなく、リゾート法においては地元がまずリゾート開発企業(パートナー)となる企業を見つける努力をして、その後「官」と「民」の役割分担で官が地元の協力取り付けやインフラ整備を行うパターンである。このため、売れ残りの用地にペンペン草が生えるという悲惨な結果は少なかった。しかしながら、開業後、想定していた利用者数を確保できず数年のうちにリゾート施設を廃業し、惨憺たる無残な姿をさらしている例もある。また、夢に踊らされたものの、リゾート開発企業(パートナー)が去り、地域の反目のみが残ったなど、目に見えない形で地元に傷跡を残した例もある。国では、2004年2月に基本方針を変更し、関係する道府県は政策評価を行ったうえで基本構想の抜本的な見直しを行うよう求められた。このため、関係する各道府県においても「リゾート構想」に係る政策評価を行い、廃止する傾向が強まった。(ただし、廃止には国の「同意」が必要。)なお、これまでに、廃止された構想は、全国で12地域(廃止順に、えひめ瀬戸内リゾート開発構想、土佐浜街道リゾート構想、秩父リゾート地域整備構想、さんりく・リアス・リゾート構想、島根中央地域リゾート構想、瀬戸内・サンリゾート構想、瀬戸内中央リゾート構想、沖縄トロピカルリゾート構想、津軽・岩木リゾート構想、茨城・きらめき・リゾート構想、ヒューマンリゾートとくしまの海と森構想、琵琶湖リゾートネックレス構想)にのぼり、四国地方に至っては、すべての県でリゾート構想が廃止された。他、合計42地域。なお、上記のうち、「秩父リゾート地域整備構想」、「瀬戸内・サンリゾート構想」、「沖縄トロピカルリゾート構想」については、構想が廃止された。
出典:wikipedia
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