三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう)は、落語家の大名跡(みょうせき)の一つ。三遊派の流祖、本家。江戸・東京において古今の多くの落語家が名乗る「三遊亭」の亭号の源流。6代目の死後、現在に至るまで空位。新字体の表記しか許されないときは三遊亭円生とも表記される。なお、2代目圓生の名は、上記の初代立花家圓蔵と初代三遊亭圓太の間で争われた。結局圓蔵が勝ち、上記のような継承となったが、負けた圓太は悔しさのあまり、「新しい圓生」として「志ん生」と名乗った。ついでに古きも新しきも両方手がけることから亭号も「古今亭」とした。古今亭志ん生(初代)の誕生である。6代目死後、山崎はな(6代目圓生未亡人)、稲葉修、山本進、京須偕充、5代目三遊亭圓楽(6代目圓生の総領弟子)の連名により、この名跡は止め名となっていた。しかし、6代目の三十三回忌(2011年)を控えた2008年、5代目圓楽が総領弟子の三遊亭鳳楽に7代目圓生を襲名させる意向を示したことから、6代目の直弟子三遊亭圓丈、6代目門下の預かり弟子である三遊亭圓窓も襲名争いに名乗り出る騒動となった。止め名の当事者にもかかわらず、独断で鳳楽の襲名を進めた5代目圓楽と弟弟子達の確執が原因であり、いずれも7代目を継ぐことなく収束した。今後、6代目の系譜にあたる若手の中から7代目を継がせるに足る者が出てくれば襲名の可能性はあるという。かねてから5代目圓楽は、鳳楽の大師匠で三遊派の大名跡「圓生」を鳳楽に継がせたい旨を明言していたが、5代目圓楽の病状が深刻になった2009年春、鳳楽以下円楽一門会幹部が集まり、6代目圓生三十三回忌の2011年を目処に「7代目圓生」を襲名する計画を話し合った。同年10月に5代目圓楽が亡くなるが、「お別れの会」席上で鳳楽は、6代目圓生の孫1名から既に賛意を得ており、この孫(6代目圓生次男の子息)以外の関係者にも2010年から改めて挨拶に回り、圓生の三十三回忌を目処に襲名したい旨、再度表明した。これに対し、圓丈は鳳楽に電話で、芸の上での直接対決を提案、鳳楽も応じ、2010年3月17日には圓丈・鳳楽らの共演で「円生争奪杯」(浅草東洋館)が開催され、結論こそ出なかったものの、最後には和やかな座談会で締められた。5月には圓窓が落語協会に対し7代目圓生襲名の意向を報告した。同月17日、協会定例理事会で、襲名のため圓生の遺族との話し合いを行っていることを明らかにした。落語協会は、新聞の取材に対して「そう遠からずに(圓窓の襲名で)正式発表を行う可能性がある」とした。その後、圓窓は、圓生三十三回忌のおりに留名として6代目圓生の長男が管理することになったと報告している。2015年9月3日、7代目襲名に名乗りを上げていた圓窓、圓丈、鳳楽の3人が、いずれも当面、襲名する意思がないことを表明し、人選は白紙に戻った。
出典:wikipedia
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