シリーン (") とはイギリスの競走馬である。1890年代末に活躍した。クラシック登録がなかったためクラシック競走には出走していないが、アスコットゴールドカップ、ジョッキークラブステークスに勝った。種牡馬としてもイギリスで2回、アルゼンチンで1回リーディングサイアーとなった。馬名は母アルカディアにちなみ、ギリシア神話に登場するヘルメースのキュレーネー山からとられたものである。日本では、昭和初期には「サイレン」、70年代頃には「サイリーン」と表記する例が多かったが、本項では「シリーン」で統一することとする。遅生まれのうえ成長が遅れたため、オーナーブリーダーのチャールズ・デイ・ローズはこの馬をクラシック登録せず、成長したシリーンを見て後悔したと言われている。負けたレースは2歳、3歳時に一度ずつだけで、クラシックには出走権がなかったが、のちのダービーステークス優勝馬ジェダーをニューマーケットステークスで破り、同年ジョッキークラブステークスを圧勝した。翌年は当初からアスコットゴールドカップを目指し、ここを8馬身差で圧勝。レース後に引退が発表された。種牡馬入り後は種付けの申し込みが殺到し、初年度の種付け料は150ギニーにまで高騰したが、その初年度産駒はわずか2つしか勝利を挙げられなかった。1905年にはキケロがダービーステークスに勝ったものの、失敗種牡馬の評価は変わらず、1909年にはアルゼンチンに2万5000ギニーで輸出される結果となった。だが輸出後になって、残してきた産駒のなかからエプソムダービー馬を3年連続で輩出し、1909年と1910年にはリーディングサイアーを獲得した。また、産駒の一頭であるポリメラスはのちに種牡馬として成功し、シリーンのサイアーラインを伸ばしていった。輸出先のアルゼンチンでもナシオナル大賞(アルゼンチンダービー)馬を3頭送り出すなど成功している。1924年に供用地であるオホデアグア牧場で倒れ寝たきりとなったが、30歳まで生きた。性格は極めて温和で常に人を気遣うほどであったと伝えられている。
出典:wikipedia
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