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小笠原貞孚

小笠原 貞孚(おがさわら さだざね / さだちか)は、播磨安志藩の第7代(最後)の藩主。忠脩系小笠原家12代。嘉永3年(1850年)11月4日、第6代藩主・小笠原貞幹の長男として生まれる。万延元年(1860年)11月6日、父貞幹(忠幹と改名)が本家豊前小倉藩を継いだため、嫡男である貞孚が代わって安志藩主となる。幕末期には本家とともに元治元年(1864年)の第1次長州征伐や慶応2年(1866年)の第2次長州征伐に参加している。第2次長州征伐では、小笠原忠忱、小笠原貞正らとともに長州藩と戦うものの、敗れて肥後にまで撤退した。慶応4年(1868年)1月17日、新政府に対し、病気のために重臣を上洛させることを願い、2月21日、重臣を上洛させる。同年4月26日、貞孚が上洛する。同年閏4月11日、従五位下信濃守に叙任する。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還で藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となった。明治17年(1884年)に子爵を授けられた。明治38年(1905年)6月3日、安志で死去した。享年56。墓所は東京都練馬区桜台の円満山広徳寺。

出典:wikipedia

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