LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

中村梅玉 (3代目)

三代目 中村 梅玉(さんだいめ なかむら ばいぎょく、1875年(明治8年)1月14日 - 1948年(昭和23年)3月18日)は、大正から戦前昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は高砂屋。定紋は祇園守、替紋は銀杏守。俳名に三雀。本名は笹木 伊之助(ささき いのすけ)。初代中村鴈治郎の女房役者をつとめ、後には関西歌舞伎の長老として大梅玉(おおばいぎょく)と呼ばれた。しっとりとした色気のある仁で、娘役よりも女房役が得意であった。ひかえ目に主役を立てる可憐で清楚な女形であり、我の強い初代鴈治郎と共演する事が多かったので、自然と上方風のつっこんだ芸を強調することが少なかったために、東京でもその芝居が人気を博したという。上方では福助時代から評判を呼んでいたが、東京へさかんに出るようになった晩年の十年あまりの芸が特に高く評価されている。戦後の歌舞伎復活のきっかけとなった『仮名手本忠臣蔵』通し公演では、歌舞伎通で知られたマッカーサーの副官フォービアン・バワーズが特に名指しで梅玉を要請、果たして九段目の戸無瀬は歴史に残る名舞台となった。『摂州合邦辻』の玉手御前、『廓文章』の夕霧、『絵本太功記・十段目』の操、『心中天網島・紙治』のおさん、『桂川連理柵』(帯屋)のお絹、『妹背山婦女庭訓』の定高などが当り役。あと、立役の『仮名手本忠臣蔵』の塩冶判官などが高く評価され、新作『ある夜の坐魚荘』の西園寺公望が気品溢れる演技で本人に瓜二つと称賛されるなど、器用な面を持っていた。大変に無口な人物であったが、賭け事になるとその人物は一変し、大変な饒舌になったと言われる。また、皮肉屋で、折に触れて「私は役者が嫌いです」公言したり、東京出演の時の感想で「東京てけったいなとこでっせ。昔から同じことしてるのに、今度のは違うてえらい褒めてくれはる。何や分りまへん。」とこぼしたりした。趣味は広く、浪花節を聞いたり、サーカスを見物したり、編み物をしたりと、意外な一面も持ち合わせていた。戦後、『廓文章』の夕霧と『合邦庵室』の玉手御前を東京でつとめた時、関係者はその芸のあまりの巧さに舌を巻いた。二代目松緑は「大変な女形だ」と目を輝かせて戸板康二のもとにかけこみ、その他の評論家たちも相次いで梅玉の楽屋に押し掛けてその芸を激賞したほどだった。しかし当の本人は「さよか」と一言で受け流すのが常だったという。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。