クロスロード作戦(クロスロードさくせん、Operation Crossroads)は、1946年夏にアメリカ合衆国がビキニ環礁で行った一連の核実験のこと。21キロトン級原子爆弾を2つ用いた本作戦は、結果的にエイブル (ABLE)とベーカー(BAKER)とに分けられる。核爆弾はエイブルでは7月1日に高度158mで、ベーカーでは7月25日に水深27mで爆発した。3番目としてチャーリー (CHARLIE)が予定されていたが、ベーカーの示した放射能が予想よりも激しかったため中止された。クロスロード作戦は1945年7月のトリニティ実験、8月の広島、長崎に続く史上4番目と5番目の核爆発である。またマーシャル諸島で行われた、および事前に実施通告がなされた最初の核実験であった。なお本作戦に引き続いては、サンドストーン作戦が実施されている。一連の実験の目的は艦船、機器、各種物質に対する核兵器の威力を検証することであり、約70隻の艦艇からなる艦隊が標的としてビキニ諸島に集められた。この艦隊はアメリカ海軍の老朽艦やドイツや日本から接収した艦、アメリカ海軍の余剰な巡洋艦・駆逐艦・潜水艦・補助艦などから構成されていた。接収艦としては日本からの戦艦長門、ドイツからの重巡プリンツ・オイゲンなどが有名である。核爆発現象を研究するための技術的な実験も行われ、生きている実験用動物も使用された。150隻以上の実験支援艦艇は隊員の宿舎や実験施設として利用され、42,000人(このうち37,000以上は海軍の人員)からなる第一統合任務部隊(Joint Task Force 1)の仕事場となった。JTF1は本実験を行うために新たに結成された組織である。この他の人員はエニウェトクやクェゼリンなどの近くの環礁に滞在し、ビキニ環礁はもっぱらリクリエーション用途や計測所として用いられた。最初の実験の前に、全ての人員はビキニ環礁と標的艦隊から退避した。彼らは実験支援艦隊に乗り、ビキニ環礁から東に少なくとも18.5km以上離れた安全地帯で待機した。エイブルはB-29スーパーフォートレス『Dave's Dream』(旧称:第509混成部隊所属『ビッグ・スティンク』)から投下され、標的艦隊上空158mで炸裂した。一方ベイカーは艦隊中心に停泊した上陸用舟艇LSM-60から吊り下げられ、水深27mの艦隊直下で爆発した。投下された核爆弾の位置が標的となっていた戦艦ネバダからおよそ西に630m、北に122mずれてしまったことを除き、エイブルのテストは順調に行われた。投下位置のずれについて、アメリカ政府はB-29の搭乗員に対して調査を実施している。その結果、これは爆弾自身が風に流されてしまったもので、搭乗員に何ら落ち度はないと結論づけられた。核爆発によって生じた放射線は一時的なもので、沈没せずに残ったほぼ全ての艦は再び安全に乗艦することができ、来たるベーカーのテスト遂行に必要な残存艦艇の検査・再係留などは事前のスケジュール通りに進んだ。この実験の結果として、後で挙げる5隻の艦艇が沈没している。ちなみに、エイブルに用いられたプルトニウムのコアは、1945年と1946年に臨界事故を起こして科学者2名の命を奪ったことから"デーモン・コア"とあだ名されていたものだった。爆発時にドーム状の霧が発生したが、これはウィルソン・クラウドと呼ばれ衝撃波に伴う膨張波により、空気中の水分が凝結したものである。エイブルのテスト後に残存標的艦隊に再び乗艦していた乗組員たちは、ベーカーテスト実施前に環礁東方にある実験支援艦隊へと退避した。この実験により8隻の艦艇(後述)が沈没し、残った艦艇もエイブルと比較して大きな損傷を受けた。ベーカーにより多くの残存艦艇が放射能を帯びた水とサンゴ礁由来の放射性降下物を浴び、12隻の錨を下ろして係留されていた艦とビキニ島に乗り上げていた上陸艇を除き激しく放射性物質に汚染されていたので、数週間経過するまでは乗艦しての各種作業ができなかった。チャーリーのテストでは水中深くでの爆発が予定されていた。対潜爆雷として用いた際の核兵器の効力を検証する意図があったが、ベーカーのテストによる放射能汚染問題が深刻であったため中止された。これと同内容の実験がのちにウィグワム作戦"(Operation Wigwam)"として1955年5月14日にカリフォルニア州のサンディエゴ沖で実施されている。ベーカーのテストの後、汚染の激しい大部分の艦艇に対して検査を実施できなかったことはテストの成否を左右するため、標的艦隊の除染作業が8月1日から実施された。この作業は放射線検知器を装備した標的艦隊の乗組員を使い、艦船の外面を洗浄させるものであった。初めは標的艦に乗艦できる時間が数分しかとれなかったので、除染作業はなかなかはかどらなかった。時が経過するにつれ、実験支援艦隊自身が軽度の放射能を帯びた海水によって汚染されるようになってしまった。そこで、ビキニ環礁での作業を中止して汚染されていない水のもとで作業ができるクェゼリン環礁へ残存標的艦を移動させるという決断が8月10日までになされ、この移動は9月までに終了した。クェゼリンでの主な任務は標的艦に搭載されていた弾薬を抜き取ることであった。このクェゼリンでの作業は1946年秋まで続き、職員は1947年に入っても乗艦しての仕事を続けていた。12隻の主要艦艇と2隻の潜水艦が放射能の検査のためアメリカとハワイに曳航された。12隻の標的艦の汚染は大変軽微であったので、再び乗組員が乗艦し、アメリカまで航行することができた。残りの標的艦は1946年から1948年の間にビキニ環礁、クェゼリン環礁、ハワイ諸島近海のいずれかで撃沈処分とされた。実験支援艦隊の除染はできる限り速やかに行われ、もとの艦隊に合流する前に放射能が存在しないことが確認された。本作戦は全て放射能レベル監視下で実施され、参加人員の放射線被曝量は0.1レントゲン/日以下に抑えられた。実験当時、0.1レントゲン/日は健康に影響を及ぼすことのなく、長期にわたる被爆に耐えられる量であると考えられていたからである。実験中は放射線検知器を装備した専門の隊員がガイドの役割を務め、放射能の危険区域に他の人員を近づかせないようにした。また、各員が装着する被爆量測定用のフィルムバッジが0.1レントゲン/日を超える値を示した者は1日または数日の間安全な場所に退避させ、作業を休ませる等の対策をとった。主に被爆リスクの高い場所で作業する者を中心として、JTF1の人員のおよそ15パーセントが計18,875枚発行されたフィルムバッジを最低1枚以上受け取ったが、放射線被曝のおそれのない島や艦にいた約6,600人の中で支給された者の割合は少なかった。ちなみに、本実験を通して記録された最大放射線蓄積量は放射線監視モニターが示した3.72レントゲンであった。航空母艦 Carriers 戦艦 Battleships 巡洋艦 Cruisers 駆逐艦 Destroyers 潜水艦 Submarines 上陸用輸送船 Attack Transports 上陸用艦艇 LSTs (Landing Ship, Tank) 上陸用艦艇(中) LSMs (Landing Ship, Medium) 上陸用舟艇 LCTs (Landing Craft, Tank) 附属機器 Auxiliaries 歩兵揚陸用上陸用艦艇 LCIs (Landing Craft, Infantry) 機甲部隊上陸用艦艇 LCMs (Landing Craft, Mechanized) 兵員輸送上陸用舟艇 LCVPs (Landing Craft Vehicles, Personnel) エイブル(1946年7月1日実施)ベーカー(1946年7月25日実施)
出典:wikipedia
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