戸井田 カツヤ(といだ かつや、1977年1月6日 - )は、日本の男性総合格闘家。本名は戸井田 克也。和術慧舟會トイカツ道場所属。長野県長野市出身。長野県須坂高等学校、日本大学法学部経営法学科、両国柔整鍼灸専門学校柔整科卒業。柔道をバックボーンとする寝技のテクニシャンで、「UWFの回転体を修斗で実践している」と評されるほど面白い試合をすることで知られる。巧みなセコンドワークでも知られ、時には客席から選手に的確な指示を出す。また、白衣を身につけたり看護師を連れて入場していた。整骨院を開いている。大学2年時に和術慧舟會東京本部に入門。1998年8月23日、第5回全日本アマチュア修斗選手権大会のライト級トーナメントに出場。決勝で井上和浩に敗れ、準優勝となった。1998年9月18日、プロ修斗デビュー戦で植松直哉と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。2001年12月16日、修斗ライト級(-65kg)チャンピオンシップでアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2003年5月、アブダビコンバット・66kg未満級1回戦でバレット・ヨシダに敗れた。2004年12月14日、修斗環太平洋ライト級王座決定トーナメント準決勝で佐藤ルミナと対戦し、右フックでKO負け。2005年9月7日、HERO'Sのオープニングファイトで山本篤と対戦し、0-3の判定負け。2006年11月10日、修斗環太平洋ライト級王座決定戦で不死身夜天慶と対戦し、0-1の判定ドローで王座獲得に失敗した。2007年11月8日、修斗環太平洋ライト級王座決定戦でリオン武と対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2002年頃より和術慧舟會RJW/CENTRAL内で「和術慧舟會トイカツ道場」として指導を行っていたが、2007年6月に東京都中野区に道場を独立オープンし、同年12月には中野区内で移転した。2008年6月22日、CAGE FORCE 07のバンタム級王座決定トーナメント1回戦で徹肌ィ郎との和術慧舟會同門対決となったが、開始16秒パウンドによるTKO負け。2009年2月22日、ADCC世界大会アジア予選・66kg未満級に出場。決勝で八隅孝平に肩固めで一本負けを喫し、日本代表の座を逃した。2009年7月11日、DEEP X 04でハファエル・メンデスと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。2009年12月5日、1年半ぶりの総合格闘技復帰戦となったCAGE FORCEのメインイベントで高橋渉と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。2010年3月22日、修斗で矢地祐介と対戦し、ペダラーダを受け続行不可能となり反則勝ち。2010年6月20日、SRC初参戦となったSRC13で大澤茂樹と対戦。3Rに戸井田のローブローで大澤が続行不可能となり反則負けとなったが、試合後に戸井田の提訴があり協議の結果7月28日にノーコンテストに変更された。2011年10月29日、DEEP CAGE IMPACTで横田一則と対戦。2Rにサッカーボールキックとパウンドを受けセコンドのタオル投入によるTKO負けを喫した。2013年4月26日、DEEP 62 IMPACTで赤尾セイジと対戦し、0-3の判定負け。試合後、リング上で引退を表明した。秋山成勲の反則により無効試合となった2006年12月31日のK-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!における桜庭和志vs秋山成勲について、自身のウェブ日記において「実力差はあったのだから問題は無い」「秋山さんは多汗症でよく滑る」と秋山を擁護する内容の記事を書き、これを菊田早苗が「マスコミでもファンでもない第三者の選手がそのようなことを軽々しく言うのはフェアではない」などと批判し、物議をかもした(戸井田の記事は後日削除された)。
出典:wikipedia
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