LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

藤島神社

藤島神社(ふじしまじんじゃ)は、福井県福井市の足羽山にある神社である。旧社格は別格官幣社。建武中興十五社の一社である。南北朝時代の武将・新田義貞を主祭神とし、義貞の子の新田義顕・新田義興・新田義宗、弟の脇屋義助、および一族の将兵を配祀する。新田義貞は延元3年(1338年)、灯明寺畷(現・福井市新田塚町)で戦死した。それより約300年後の明暦年間(1655年~58年)、同地から農民によって兜鉢が発掘され、これが福井藩の軍学者の鑑定の結果、新田義貞の兜であるとされた。万治元年(1660年)、福井藩主・松平光通は兜が発見された場所に「新田義貞戦死此所」の碑を建て、その場所は「新田塚」と呼ばれるようになった。明治3年(1870年)、福井知藩事・松平茂昭は新田塚に祠を建てるが、これが明治9年(1876年)、「藤島神社」と名付けられて別格官幣社に列することとなる。明治14年(1881年)には福井市牧の町に遷座し、明治34年(1901年)5月に現在地に再度遷座した。そのため、現在の境内は兜の発見地から南へ3kmほど離れている。藤島神社の所蔵品の中でも、特に神社の由緒と関連が深いこの兜鉢は、福井藩主の松平家に献上されてから同家の長く所有することとなったが、明治10年(1877年)に藤島神社に奉納された。明治33年(1900年)に旧国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定され、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行後は国の重要文化財となっている。兜鉢の表面は錆地に仕上げ、筋の間に三十番神の神号や経文を刻み、各所に銀象嵌を施すといった、手の込んだ技法で製作されているが、それらの特徴は鉢の形状などを含め、新田義貞らが活躍した南北朝期を大きく下らねば出現しないものである。また、鉢裏には「元応元年」や「相模国」の銘があるとされているが、実際には線刻が不鮮明で解読できないという。よって、山上八郎をはじめとする甲冑研究者たちは、甲冑製作技法の時代変遷や地域ごとの特色を基に、この兜を室町時代末期の作品であると断じ、戦国時代に小田原の後北条氏に招聘された明珍系統の甲冑師が製作した、「小田原鉢」と呼ばれる兜の一例としている。そもそも兜鉢には土中に潜っていた形跡自体がないため、山上は、兜の発掘伝承とも関係なかったものが、明治初期の松平家による神社への奉納以降、両者が混合されて現在に至ったものと推測している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。