仮名草子(かなぞうし)とは、江戸時代初期に仮名、もしくは仮名交じり文で書かれた、近世文学における物語・散文作品を総称したもの。井原西鶴の『好色一代男』が出版された天和2年(1682)頃を区切りとするのが一般的である。御伽草子の延長に生まれ、仮名を用いた庶民向けの読み物として出版され、雑多な分野を含む。1ジャンルとしては異様に幅広い範囲を扱うため、中世文学と近世文学の過渡期の散文を一括りにした呼称と言える。中世文学と仮名草子の違いのひとつに出版がある。中世文学の複製方法が写本であったのに比べ、近世には仮名草子のような俗文芸も木版で大量に刷り販売されるようになった。手慰みに書かれた中世文学とは違い、仮名草子は製本され世間に流布されることが前提にある。平和の訪れとともに識字階層も増え、新たな読者層の要求に応える職業作家も現れるようになった。作者の多くは当時の知識人層であり、浅井了意、鈴木正三(しょうさん)、烏丸光広らが知られている。また、斎藤親盛や江島為信など、教養のある浪人が一時の糊口をしのぐために書いた作品が多い。明暦年間(1655-)から寛文年間(1661-1672)にかけてが仮名草子の最盛期と言われる。延宝年間(1673-)ごろより西山宗因を盟主とする談林俳諧が隆盛し文壇の主流は関西へと移った。説話からハナシへと文学の流行が移行していくにつれ、教説性の強い仮名草子は下火となった。やがて、宗因門下の井原西鶴による『好色一代男』などの優れた文芸が著されるようになり、これは後に浮世草子と区別して呼ばれるようになる。初期の仮名草子は戦国時代の回顧や大名の一代記などが多かった。通じて啓蒙的な内容のもの、儒教的な教訓を含んだ物語や説話集に人気があった。笑話のほか、名所案内記、また野郎評判記、遊女評判記のように実用的なガイドブックとして読まれたもの、事件や災害などを叙述する見聞記など多岐にわたる。寛文10年に刊行された『増補書籍目録』では、当時の書籍が36項目に分類されている。ほか多数
出典:wikipedia
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