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M-1グランプリ

『M-1グランプリ』(エムワングランプリ)は、島田紳助が企画し、吉本興業が主催する漫才のコンテストである。通称「M-1」。2001年から2010年まで毎年12月に開催されており、2015年12月に復活した。朝日放送(ABC)が制作し、テレビ朝日系列で放送を行っている。第10回までは、オートバックスセブンが特別協賛(冠スポンサー)となっていた。第10回までは、特別協賛会社の名をとり、正式名称は「オートバックス 〜M-1グランプリ〜」であった。決勝戦開催日がクリスマスに重なった2001年の第1回大会と2005年の第5回大会の2度の正式名称は「オートバックス・クリスマス・M-1グランプリ」であった。大会実行委員長は島田紳助。紳助は、「自身の現在のタレント生活が成立しているのはデビュー当時から8年間続けた漫才(島田紳助・松本竜介)があってこそ」と考えており、またその漫才を途中で辞めた罪悪感(紳助がダウンタウンを舞台袖で見ていたその時に、「俺たちの時代は終わった」と悟り、紳助が松本竜介に対して、半ば一方的な形で解散を決めたこと)から「何か恩返ししなければ」と常々考えていた。また、「松紳」(日本テレビ系)放送内で紳助と共に9回審査員を務めた松本人志と「単純におもろい奴を決めるコンテストがしたい」と話をする中でその構想は具体化していった。松本が決勝戦の審査員を務めているのはこの番組で紳助に誘われたため。 当時は、志村けん、加藤茶を始めとするザ・ドリフターズ、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ネプチューンなど、漫才で活躍した芸人も含めて、コントの方が人気があったため(特にダウンタウンのコント番組の開始時期から東西の若手芸人の多くがコントを始めるきっかけになった。この他の要因としてナインティナインなどの吉本印天然素材出身の芸人及び、プロダクション人力舎の芸人の台頭が挙げられる)、漫才の人気は下がっていた時期であり、お笑い芸人になった際はコントから始める芸人が多かった(第2回王者であるますだおかだは、コントが全盛期であったことを理由にコントでの勝負は避け、デビュー当初から漫才を中心に活動している)。この影響からコントで人気が出た芸人は多いが、この大会への出場を前後して漫才を始めた芸人も多く(実際にコントで人気が出た芸人でも、漫才を始めた芸人は多く、「キングオブコント」で優勝経験のあるキングオブコメディ、ロバート、コロコロチキチキペッパーズもM-1グランプリに出場している)、コントでは評価されなくても、漫才では高評価を受けた芸人も少なくなく、一例を挙げると、おぎやはぎ、トータルテンボス、スリムクラブなどは、コントでは人気が出なかったが(トータルテンボスとスリムクラブは、「キングオブコント」では準決勝に進出している。この他、決勝進出者でも初期はコントを行っていたコンビは、麒麟や品川庄司など数組おり、共に漫才で頭角を現したコンビである)、漫才で高評価を受けた事が人気が上昇するきっかけになった。また、TBSは、コント版のM-1として松本人志に企画を持ちかけた結果、松本は「キングオブコント」の設立にも関わっている。 M-1構想時期から第一回M-1が開催される2000年~2001年頃はそもそもお笑いそのものが超氷河期を迎えている時代であった。コント番組が終わり、ボキャブラ天国から端を発するボキャブラブームが終焉して既に数年が過ぎている頃であり、90年台を代表する高額な予算をかけた過激なリアクション芸から、進め!電波少年(「進め!電波少年」のタイトルで1992年から1998年)やいきなり!黄金伝説。(1998年10月6日から2016年9月22日まで)などのドキュメンタリー風お笑い番組へと時代がシフトしていき、進め!電波少年が進ぬ!電波少年(1998年1月11日から2002年まで)へと変わり、ドキュメンタリー風お笑い番組にも陰りが見え始めた頃であった。 また、爆笑オンエアバトル(1999年3月27日より2010年3月26日までNHK総合テレビで放送されていたお笑い番組)で、活躍していた芸人が、徐々に番組に端折役として起用されて始めた頃でもあった。 その頃。日本テレビで放送していた松紳(M-1グランプリの項目を参照)でのお笑いコンテスト話がきっかけで、M-1グランプリに開催にこぎつける。2001年に吉本興業の主催で創設される。結成から15年以下のコンビ、グループを対象とした漫才のコンクールである(詳細は、#参加資格を参照)。「M-1」という名称は、「漫才」(MANZAI) の「M」の頭文字を取ったもので「F1グランプリ」「K-1グランプリ」等に倣ったもの。しかし、漫才に限らずコント・トーク・歌(ただし、ピンマイクは使用不可能。使えるのはセンターマイク1本のみ。ただし指向性マイクは向けられているので、マイクから外れても問題はない。多少の小道具やギター等の持ち込みは許される)等の芸が許されている。しかし、第2回大会では審査員の松本人志がテツandトモのネタに対して「これを漫才ととっていいのかは難しい」と言っており、漫才以外の芸は評価されにくい傾向がある。M-1の出囃子に使われている曲は、決勝ファーストラウンドはFatboy Slimの「Because We Can」、最終決戦はの「Salute to Courage」である。全国規模としては「NHK新人演芸大賞」や「爆笑オンエアバトル チャンピオン大会」と並ぶ新人漫才コンクールである(ただし、2つのコンクールは漫才以外にも、コント、ピン芸で出演する芸人もいるため、実質的な漫才のみのコンテストは、「M-1」が唯一である)。上方の各新人漫才コンクールなどと比べると歴史的には浅い大会ではあるものの、「漫才の頂点を決める」という大会理念から若手漫才コンビ(またはグループ)にとって最高の栄誉として広く認識され、審査員がお笑い界で大きな影響力を持つ芸人などで構成されていることもあって、既存の新人漫才コンクールよりも重要視する芸人や関係者も多い。一例を挙げると、80年代に漫才ブームを起こしたビートたけしは「漫才が進化している。見ているこっち(たけし自身)が緊張してくる」と絶賛した。また、M-1グランプリの決勝に進出がきっかけでブレイクするコンビも数多く存在する。また、お笑い業界としては決勝に行けなくても準決勝進出も一種のステータスとして評価され、イベントなどの出演が増えることも多いという。当大会で優勝したことによりCM、番組出演が急激に増えることを「M-1バブル」「M-1効果」という。ただし、優勝しなかった場合でも出演機会が増えるコンビも多く(第4回準優勝の南海キャンディーズ、第8回準優勝のオードリー、第10回準優勝のスリムクラブなど特にダークホースと呼ばれたコンビが決勝戦で好成績を収めた際にこの傾向がある)、優勝したコンビ以上にテレビ出演等の仕事が増える場合もある。なお、これとは逆にファイナリストとなっても決勝での成績が振るわなかった場合、世間によからぬ印象をあたえたり、仕事が減少する例もあり、これを「M-1逆効果」という。これについて決勝進出を3回経験したトータルテンボスは、「本当は日本9位なのに、あそこ(決勝戦)でビリになると、まるで日本で一番面白くないやつみたいに言われちゃう。恐ろしいですよ」と語っている。しかし、それでも前年のM-1で決勝進出を果たしたか、果たしていないかで仕事量に変化があるコンビも存在する。中にはカナリアのように、決勝に進出したにもかかわらず、レギュラー番組が存在しないコンビもある。主催の吉本興業と朝日放送は2010年12月12日の準決勝終了後、M-1グランプリの開催を第10回となる2010年で終了し、後継のプロジェクトを発足することを発表した。大会終了の理由として、吉本興業は「大会を通じて、漫才が隅々まで広まった。10年の節目をもって発展的解消することが、次につながる」と説明している。M-1グランプリをきっかけに、漫才を始めた芸人も少なくなく、多くの芸人が漫才を始めるきっかけとなり、特に、関西では、漫才を始めた芸人が非常に多く増えた。しかし、M-1グランプリの終了をきっかけに目標を失い辞めてしまう若手芸人が続出してしまったため、2011年より後継プロジェクトとして、フジテレビ系列で「THE MANZAI」が開催されることが2011年4月26日決定し、同じく島田紳助が大会実行委員長を務めることとなった。司会はナインティナイン。紳助はこの年の8月に自らの不祥事の責任を取って芸能界を引退してしまい、一時期は大会開催も危ぶまれたが、大会を続行する形になった。コンテスト型式で4回開催されたが、「M-1」復活に伴い(後述)、「THE MANZAI」は2015年にコンテストを廃し、演芸番組に衣替えした(ただし若手枠のみコンテストが残される)。なお、M-1の放送・主催を務めた朝日放送と吉本はそのM-1の後継番組として「KAMIWAZA〜神芸〜」の制作を11月29日に発表、2012年1月8日に第1回の決勝をゴールデンタイム (18:56-20:54) で放送した。決勝のMCは「M-1」と同様、今田耕司を起用。また、番組ゼネラルマネージャーをビートたけしが担当した。しかし視聴率は振るわず、結局翌2013年に第二回を放映したのみで打ち切られ、KAMIWAZAの実行委員会も消滅している。朝日放送は「KAMIWAZA」の打ち切りについて一切表明していない。2014年7月30日に、朝日放送の脇阪聰史社長が2015年にM-1を復活させることを発表した 。当初は「『THE MANZAI』との開催時期の重複を回避する」として夏季の開催が伝えられていたが、結局は復活前と同じく冬季の開催へ落ち着いた。また、復活を機に出場資格を変更。「プロ・アマ・所属事務所を問わず2人以上で、結成が2000年1月1日以降であり15年以内のコンビ」という基準に達していれば出場できるようになった。さらに、決勝戦の審査員の顔触れも一新。第1回から第10回までの歴代王者10組のうち、第4回王者のアンタッチャブルを除く9組から、1組あたり1名(合計9名)を起用している(詳細後述)。なお、2010年まで冠スポンサーであったオートバックスはスポンサーにつかず、複数社による「プレミアムスポンサー」の協賛体制へ移行。2015年には、Cygames、日清食品、ファミリーマート、ユニクロの4社が「プレミアムスポンサー」に付いた。2015年には、同年8月から予選1回戦をスタート。11月19日に準決勝が開かれた。12月6日には、朝日放送創立65周年記念番組として、14:35 - 16:30に敗者復活戦、18:30 - 21:00に決勝戦の生中継を全国ネットで実施した。また、ABCラジオでは、同日の18:00 - 21:00に『ラジオでウラ実況!?M-1グランプリ2015』を生放送。決勝戦のサイマル中継をはさみながら、メッセンジャーあいはら・桂三度・畑中フー(第3回以降のテレビ中継でVTRナレーターを担当)・喜多ゆかり(ABCアナウンサー)が関西ローカル向けに当グランプリや出場者にまつわるエピソードを披露した。その一方で、2011年から全編コンクール形式で開かれてきた「THE MANZAI」では、2015年から構成を再編。本番出場権をかけた若手芸人限定の「プレマスターズ」(関東ローカル 2015年12月12日放送)でのみ、コンクールを実施した。本編については、以前の「THE MANZAI」と同じ形でのネタ見せ(いわゆる「賞レース」の要素を省いた構成)による「年に1度の漫才の祭典」として収録。「プレミアマスターズ」というサブタイトルで、同月20日に放送された。2016年6月28日に開催が発表され、エントリー受付も開始された。そして、8月1日からは、東京・大阪を皮切りに全国8都市で予選会が開催されている。出場資格は、昨年と同じく結成15年以内で、2001年1月1日以降に結成したコンビならプロ・アマ問わず出場することができる。予選は8月1日から、1回戦、2回戦、3回戦、準々決勝、準決勝の5回。準決勝敗退者は敗者復活戦の出場が可能となる。2016年も特別協賛に、Cygames・日清食品・ファミリーマートが「プレミアムスポンサー」として参加する。出場資格は、開催年の4月30日現在で、結成若しくは現在のコンビ名での活動開始から満10年以内のグループであった(第1回は1991年5月以降結成、第2回は1992年5月以降結成となり、第10回は2000年5月以降結成)。その為、5月以降に結成し、8月のエントリーに間に合わせれば、1年目 - 11年目として計11回の出場が可能であった。ただし、現実に11回出場したグループは存在しない。出場条件はグループの芸歴のみであり、10年以内と決められているコンビ結成(グループの芸歴)以外はほとんど不問であり、年齢、個人の芸歴、プロ契約の有無、国籍等は一切不問であった。また、即興で結成されたコンビにも門戸を開いていた。ただし、結成年は自己申告であり、何を以って(本人達の合意日、プロ契約日、初舞台等)結成日とするかも不明であった為、出場資格はそれほど厳密なものではなかった。カンニング等、結成から優に10年を超えた出場者も存在した。また、デビューした年は同じでも、ラストイヤーが異なるコンビも多々存在した。過去に解散経験があり再結成した場合は解散から再結成の間の年月は含まれない。これによりジャリズムは1991年結成であるが1998年に7年目で一度解散した為、再結成した2004年は8年目という扱いになり2006年まで出場権があった。さらに、2008年ではエルシャラカーニが結成より11年以上経過したコンビではあるが、「現在のコンビ名での活動が10年以下」であったため出場が認められた(2005・2006年の丁半コロコロも同様の処置、前述のカンニングも「とんこつなんこつ」という名前で参加したため、出場が認められた)。しかし、ザ・パンチは現在のコンビ名での活動は2003年からであるが、2008年がラストイヤーとされていた。島田紳助は構想時に、出場資格を若手に限定したことについて、「昔の司法試験のように、30代になっても結果が出ない場合は、止めないと不幸である」と発言していたものの、大学を卒業してからコンビ結成した場合や、コンビを再結成した場合は、30代以降でも優に出場が可能であった。第1回大会は、大学生や会社員を経由して芸人になったますだおかだやDonDokoDonらを除けば、決勝進出者の大多数は20代であったが、大会後期では、決勝進出者の多数がキャリアを積んだ30代の芸人であった。一例として、第10回大会では、銀シャリ鰻・ハライチ・ジャルジャルの5人だけが20代であり、他の決勝進出者15人は30代であった。決勝進出者の高齢化に伴い、第1回大会では結成2年・21歳のキングコングに「脅威のルーキー」というキャッチフレーズが付いていたが、第10回大会では、結成7年・27歳のジャルジャルに「スーパールーキー」というキャッチフレーズが付いていた。また、歴代最多となる9回の決勝進出を果たし、当大会の象徴的存在であった笑い飯は26歳になる年に結成している為、ラストチャンスで優勝した頃には、36歳になっていた。2015年に復活の第11回では結成から満15年以内に延長された。これは一旦終了した2010年の第10回から5年のブランクがあった事でその間にラストイヤーを迎えてしまったコンビへの救済措置の意味合いがある。審査員の松本人志は2001年に38歳3ヶ月で、南原清隆は38歳10ヶ月で決勝審査員を務めている。2人とも、20代でダウンタウン、もしくは、ウッチャンナンチャンとして頭角を現したこそであり、M-1グランプリ決勝進出者とは、実情が異なる。2人組のコンビだけでなく3人以上のグループでも出場できる。2006年にザ・プラン9が2人組以外のグループとして初の決勝進出を果たしている。また、2006年には現役OLの変ホ長調がアマチュアとして初めて決勝進出を果たし、2007年からアマチュアの参加者が増加したと言われる。決勝進出まではいかないまでも、アマチュアで準決勝まで進出するコンビも毎年数組見受けられる。変ホ長調は、その後、決勝進出経験はないが、追加メンバーを加えた上でキングオブコントにも参加している。毎年8月中旬または9月上旬から12月にかけて予選が行われる。1回戦は全国各地の主要都市(東京20・大阪15・名古屋2・北海道1・仙台1・広島1・福岡1・沖縄1)で開催され、その後は東京と大阪のみで2回戦(東京6・大阪5)、3回戦(東京3・大阪2・京都1)、準々決勝(東京1・大阪1)、準決勝(東京1)が開催される(数字は2015年の各会場の開催日数)。以前は横浜、高松、浜松、新潟、松山でも1回戦が開催されていた。また、2001年には長野でも1回戦が開催予定だったがエントリーが0だったため開催中止となっていた。1回戦は前年度準決勝以上に進出したコンビにはシード権があり免除される(第2回大会のみ、第1回大会の準決勝以上に進出したコンビは1回戦と2回戦が免除されていた)。また、歴代優勝者は無期限でシード権が与えられる。予選1回戦のみ複数回受ける(一度1回戦で敗退した芸人が再び1回戦にエントリーする場合など)ことが可能だったが、復活大会となった第11回大会では再エントリーは不可となった。3回戦では第5回大会からネタの順番などにより敗退した芸人の中から数組が審議によって追加枠として準決勝に進出できる(進出者が出ない可能性もある)追加合格制度も行われている。第8回大会では2回戦からも追加合格制度が導入された。第10回大会には3回戦と準決勝の間に準々決勝が新設された。準々決勝は東京、大阪各1回ずつの開催。準々決勝敗退組も敗者復活戦に参加できる。準決勝は12月中旬(決勝の2週間前頃、2004年までは4週間前頃)に東京会場(例年はルミネtheよしもとだが第8回大会はメルパルクホール、第9回大会はよみうりホール)、大阪会場(なんばグランド花月)で2日続けて行われていたが(順序は年により異なる)、第10回大会は準々決勝が追加され、今までの準決勝開催地では準々決勝の開催となったため、東京・両国国技館で1日だけの開催となった。準決勝終了後、決勝進出8組(第1回大会のみ10組)に絞られる。準々決勝以降で敗れた組は敗者復活戦に挑むことになる。予選のネタの制限時間は1回戦は2分(第5回大会までは3分)、2・3回戦は3分、準々決勝以降は4分。これらの経過すると終了時間の目安となるサイレンが鳴り出し、さらに一定時間が経つと強制終了となる。ただし、強制終了になっても即失格にはならない(タイムオーバーになったが合格した例もある)。参加費(エントリー料)として自腹で1組2000円を支払う。予選1回戦で複数回受ける場合は、その度に2000円を支払う。決勝進出できなかった(準決勝の欠場も含む)コンビは、敗者復活戦に参加することができる。第9回大会までと第11回大会は準決勝敗退組の中から、第10回大会は準々決勝・準決勝敗退組の中から1組だけが決勝の舞台に上がることができる。また第11回大会では準々決勝敗退組の中から、GyaO!で配信されるネタ映像の再生回数が所定期間内(準決勝進出者発表日から10日間)で1位だった1組が準決勝に進める「GyaO!ワイルドカード枠」が導入されている。決勝戦当日の正午(第11回大会は14:30)から準決勝敗退者(第10回大会は準々決勝敗退者も)が漫才を披露、そこでの審査において「敗者復活枠」で1組だけが敗者復活戦勝者として決勝に進むことができる。例年、敗者復活戦勝者は決勝戦のテレビ生放送中の2番目(第11回大会は8番目)のコンビのネタ終了後に発表されている。また、敗者復活戦の模様は第4回大会よりスカイ・A sports+で生放送されている。これに加え第8回大会はABC、テレビ朝日、メ〜テレ、HTB、KBCのワンセグ独立編成、Yahoo!プレミアム会員向けのインターネット中継でも放送され、さらに第9回大会からはABCとテレビ朝日系全国ネットで放送されるようになった。第10回大会からは前回よりは漫才の模様が放送されたり、スカイ・エーでの中継が地上波開始後も継続されるなど多少は改善されたが、それでもインターネット中継は地上波開始後打ち切られるのは変わらず、半分ほどが今までのダイジェストや舞台裏紹介であった。また第10回大会は、舞台袖の控室から出番待ちしている芸人の様子を伝える内容のUSTREAM中継が行われた。敗者復活戦の審査方法は抽選で選出された一般審査員100名とプロの審査員5名が審査を行い、得点を総合して1組が選出される。第11回大会では公式サイト上での視聴者投票方式に変更され、最多得票数の1組が決勝進出となる。投票受付は全組のネタが終了してから開始され、決勝戦が始まる18:30が締め切りとなる。また、敗者復活戦の中継に出演したスタジオMCの陣内智則及びゲストのスピードワゴンの2人と佐々木主浩も、ゲスト審査員として1票を投じている。ネタ順は第1〜9回大会が抽選で、第10・11回大会は予選の順位が低い順で決められ(つまり、最後にネタを披露した組が予選9位である。放送時の画面にはコンビ名のテロップとともに順位も表示される)、持ち時間は4分間(第11回大会は3分)である。持ち時間を経過すると終了時間の目安となるサイレンが鳴り出し、さらに一定時間(30秒)が経つと強制終了となり、合図となる爆破音のSEが鳴る。敗者復活戦が初めて導入された第2回大会にて、トップバッターの麒麟がこのルールによりネタの途中で強制終了となった。しかし、第6回大会ではわざと失格を狙って5分前後までネタを披露し続けたコンビもあったが、退場するまで強制終了とはならなかった。敗者復活戦勝者は、発表後即座に敗者復活戦が行われた会場から決勝のスタジオに車で向かう(第2〜4・11回大会は同一施設での開催のため徒歩移動)。第5回大会ではワゴンカー、第6回大会は特製の装飾が施されたオープンカー、第7回大会は競走馬輸送用のトラック、第8〜10回大会は東京無線のタクシーで決勝スタジオまで向かう。だが第6回大会は開催日がクリスマス・イヴだったため渋滞により途中から自転車に、第7回大会もやはり渋滞でバイクに乗り換える事態になった。タクシーでの移動となった第8回大会では、敗者復活戦司会者の藤井隆が「6年間模索してきてようやくたどり着いた手段」と評価していたものの、それでも第9回大会はやはり渋滞のため途中でバイクに乗り換えた。第8・10・11回大会以外は敗者復活戦の出場を辞退するコンビが出ている。敗者復活戦は12月の屋外(第6回大会を除く)でのネタ披露であるため、決勝の放送では敗者復活戦を「地獄」、敗者復活戦勝者は「地獄よりの生還者」とアナウンスしているが、若手芸人に取って同じ世代が一堂に会するこの機会を「天国」と評する向きもある。また、第7回大会でサンドウィッチマンが敗者復活から優勝したためか、第8回大会からは紹介VTRが長くなった。さらに、2年連続でファーストラウンドを1位通過したため、第9回大会には「下克上の時が来た」とまで言われた。第1回は敗者復活制度がないので準決勝敗退コンビ、敗者復活戦勝者と復活者の決勝での結果は下表に記載。 ※第1回(2001年)は敗者復活戦なし。12月に決勝大会が開催、テレビ生放送(ABC制作、テレビ朝日系全国列ネット)が行われる。ABCが日曜日のゴールデンタイムに制作枠を持っている関係で、決勝戦の放送枠は同月の日曜日の夜に設定されることが多い(2005年からテレビ朝日が独占放送する「フィギュアスケート・グランプリファイナル」の翌週に放送されることが多くなっており、後の提供クレジットの後に来週の予告で表示している)。第1回はこの年の最終火曜日で放送された(ABCが火曜日にゴールデンタイムに制作枠を持っているためでもある)。準決勝で選ばれた決勝進出者8組+敗者復活戦勝者1組の計9組全員の漫才が披露され、決勝戦審査員の採点を総合しての得点で上位3組が最終決戦に進出する。ネタ順は敗者復活戦勝者が9番手と決められており、敗者復活戦勝者を除いた8組が決勝進出者発表の翌日に抽選で決定される。持ち時間は4分でそれを超えると減点の対象となる。第5回大会では4分30秒以上超えてしまうと1秒につき1点の減点となるルールがアナウンスされた。4組目からは終了後の採点で1組ずつ脱落者が発生し、7組目からそれに加え最終決戦に進む組が1組ずつ出る。4位以下の公式順位はここで確定する。決勝ファーストラウンドで勝ち残った上位3組(第1回のみ2組)が順位に関係なく決勝ファーストラウンドとは別のネタを披露し、決勝戦審査員が3組で一番おもしろいと思ったコンビに投票する「指名投票制」で行われ、最も多く票を集めたコンビが優勝となる。なお、同じ得票数になった場合には決勝ファーストラウンドの順位が高かった方が上位に認定されるのだが(下記例参照)、2位と3位を決めたことしかなかった。最終決戦進出組の公式順位は最終決戦での順位が優先される。最終決戦のネタ順は第4回までは進出した3組で再抽選で決定していたが、第5回からはファーストラウンド1位から順に任意で選択できるようになった。また、第2回以降は前述の通り3組が最終決戦に進出するが、3組とも得票があったのは第7,11回の2回のみで他の回では3位は0票で終わっている。歴代の優勝コンビのうち、ファーストラウンド1位通過のコンビが6組、2位通過のコンビが5組であり、3位通過のコンビが優勝したことはない(3位通過のコンビの最高成績は第5回の笑い飯、第7回のトータルテンボス、第10回のスリムクラブ、第11回の銀シャリの2位である)。この最終決戦の制度は後に『ABCお笑い新人グランプリ』や『R-1ぐらんぷり』など他の演芸コンテストの決勝大会でもM-1にならって採用された。チャンピオンが決定すると、キャノン砲から大量の銀の紙吹雪がステージいっぱいに降る。出場者がネタを披露する際にはその芸人の経歴や特徴、意気込みなどをまとめた紹介VTRが流れ(一部大会の敗者復活組を除く)、「Zurg's Planet」(下記参照)が流れ、舞台に上がる出囃子として「Because We Can」(下記参照)が流れる。2003年の第3回からステレオ放送を実施、2004年の第4回から放送時間も2時間半に増大した。翌2005年の第5回から、第4回まで使用されたセットから電飾が多い派手なものに大幅にチェンジされた。審査員の点数は審査員席上の大型スクリーンに映されるようになり、第1回大会で設けられた「チャンピオンズシート」同様の「暫定ボックス」なる、暫定上位3組が着席して後続のコンビの審査を待つスペースが設けられた。さらに、CM前のジングル・提供表示時のBGMが変更され、ハイビジョン制作として放送された。またほぼ同時期に2006年の第6回では前年のセットの大まかな形態はそのままで、さらに派手な装飾が施された。第5回より会場がキー局・テレビ朝日本社に変更になったのは、ほぼ同時期に有明地区で行われているコミックマーケット参加者による混雑を避けるためにとられた措置だとの俗説があるが、実際はパナソニックセンター有明スタジオにおける松下グループ(当時)と吉本興業の共同運営の契約が継続されず、吉本興業が同スタジオの運営から離れたことが直接的な理由である。また、この変更以後、テレビ朝日が企画協力という形で制作に関与している。ただし、漫才に使用されるスタンドマイクはABCのロゴ入りのものが使用されている。第2回以降では現行の審査方法となったが、第1回では第2回以降と審査方法が異なる点がいくつかある。東京会場の審査員(7人)には1人100点の持ち点が与えられる。このほか、札幌・大阪・福岡の吉本興業の劇場に集まった各100人の一般客が1人1点で審査する(合計300点)。東京会場の審査員と合計すると満点は1000点。ただ、唯一関東出身のコンビであったおぎやはぎ、松竹芸能所属のますだおかだとアメリカザリガニ、すでに大阪から東京に進出し東京吉本に所属のDonDokoDon等に対して大阪会場の得票が低い(下記参照)など公平性に欠けるとの意見が出たり、この方式になることが大会直前になって出場者に伝えられるなど、混乱を招いた。10組のうち、得点上位2組が決勝と異なるネタを披露し、東京会場の審査員がステージ上で1人ずつ順番にどちらが面白かったかボタンを押して投票して優勝コンビを決定。ちなみに優勝者決定後の表彰でも賞金贈呈後はトロフィーや花束など贈呈者の名前が呼ばれてからステージに立ったり、司会の赤坂泰彦が中川家を「石川家」、ハリガネロックを「アメリカンロック」(アメリカザリガニと混同したと思われる)と、コンビ名を言い間違えたりと円滑に進まなかった為、審査員の松本人志が「もう滅茶苦茶ですやん!」と発言、赤坂はその場で謝罪した。以後、赤坂はM-1グランプリに一度も出演していない。もし一般客の得点が排除された場合、以下の順位となる(カッコ内は公式順位との比較)。第1回の審査の欠陥から根本的に見直し現在のルールに至った。一般客の審査が排除され、7人(第11回は9人)の審査員(メンバーについては決勝戦審査員欄を参照)が1人100点の持ち点(満点:700点、第11回は900点)で審査する。得点上位3組が最終決戦に進出し、決勝と異なるネタを披露、審査員が一斉に最も面白かったコンビをボタンで判定して優勝コンビを決める。ただし最終決戦の票が同じ場合、決勝1回戦の得点が高いほうが優勝コンビとなる。第4回ではタカアンドトシと笑い飯が同点になった。このときは審査員7人のうち3人が点数が割れており、2人が笑い飯よりタカアンドトシに高い点数をつけていたため、タカアンドトシを上位に認定した。この2組は最後に敗者復活枠で披露した麒麟がその点数を上回り、最終決戦に残らなかったため特に混乱はなかったものの、実は4組以上が1位、3組以上が2位、2組以上が同点で3位になるというような場合を想定していなかった。第5回大会以降しばらくはこのような事態は起きていなかったが、第10回でパンクブーブーと笑い飯が再び1位で同点になった。両者とも最終決戦に残ったものの、ネタ順決めに影響する関係で、4人が高い点数をつけていたパンクブーブーを1位通過、笑い飯を2位通過とした(ただし本放送時は両者ともテロップ上「1位通過」と表示されていたが、DVDでは修正されている)。さらに第1回大会からあくまで目安程度で「ネタは4分以内」と定められていたが、第3回大会では麒麟が約5分半、第4回大会で笑い飯が約6分半と持ち時間を大幅に超えてネタをやってしまったため、第5回以降は持ち時間が厳守されることとなった。持ち時間の4分を超えると減点の対象となり、4分30秒以上超えてしまうと1秒につき1点の減点となるため、出場者はまず持ち時間以内に終わることが目標となる。第2回-第4回までは審査員のモニターで一斉に表示したが、決勝会場を移した第5回以降は大型スクリーンで発表され、左から1人ずつ順に開票する形式となり、第6回以降は司会の今田耕司が開票結果を1つずつ読み上げていく方式になった。また、第7・8・10・11回では優勝コンビが審査員の過半数の票を得ることが確定する直前(第10回以前は4票目、第11回は5票目を獲得する直前)に間を置いて開票された。ファーストラウンドのネタ披露順番は進出者8組の代表者がエントリーナンバーの順に抽選を行い決定する(第4回のみゲストの吉田沙保里を迎えての代理人抽選で決定した)。番組中に決定する敗者復活戦勝者は自動的に最後の9番目に登場することになっている。ちなみに第1・4回は決勝のテレビ放送の番組冒頭で、第3回はABC・テレビ朝日などの一部の系列局で直前特番の放送で、第5-9回は決勝進出者決定の翌日に行われる記者会見の場で、第10回は準決勝後即発表・抽選会を行い、第11回は準決勝当日の決勝進出者発表会見の場で決定した。最終決戦のネタ順は第1-2回・第4回はファーストラウンドの得点順に抽選になっていたが、第5回からファーストラウンドの得点順に自由に選ぶことになった。第3回のみファーストラウンドのネタ順で抽選となっている。なお、第5回以降はファーストラウンドを1位通過したコンビは必ず3番を選んでおり、2位通過したコンビは第5回の麒麟が1番を選んだ以外は必ず2番を選んでいる。また、ABCが製作したM-1関連特集番組(ナンバ壱番館、速報!M-1への道など)ではネタ披露順について以下のように分析している。本項では最終決戦進出コンビとファーストラウンド最下位のコンビを記載する。また、優勝コンビは太字で記載する。テレビラジオ審査員席の順番は舞台下手から観客席側への順。太字は最終決戦で優勝組に投票した審査員。第5回から第9回までゲスト席が設けられていて、前回王者も出演していた。ただし、第9回と第10回は前回王者(NON STYLE、パンクブーブー)が敗者復活戦に出場していたため、番組開始時には会場に来ておらず、優勝トロフィーの返還も行われなかった。以下の数値はビデオリサーチ調べの世帯視聴率。ときには優勝候補をも脅かす、ノーマークで決勝まで勝ち上がってきた無名のコンビでいわゆるダークホースのこと。下馬評などでは注目度が低く、面白ければ通常よりも高い点数がつけられる(その理由は、審査員が「つまらないコンビだろう。」と思い込み、期待をしないからである)。名称の由来は第1回に出場した当時決勝進出者で一番無名と言われていた麒麟からきている。基本的に麒麟枠は毎年1組だが、年によっては複数組の時もある。ちなみに麒麟枠で決勝進出したコンビが獲得した最高得点は、番組内で明記されたコンビに限定した場合は第10回のスリムクラブの644点、根拠が後日談によるコンビも含めた場合は第5回のブラックマヨネーズの659点である。主催者側から「麒麟枠」と明確に表現されたのは第5回のタイムマシーン3号が最初。具体的には番組内の紹介VTRもしくは出場者キャッチコピーで「ダークホース」「無印(ノーマーク)」「謎のコンビ」などと呼ばれたコンビを指す(カッコ内は決勝の順位で、太字は優勝コンビ、"斜字"はダークホースであるという根拠が後日談などによるものであるコンビ)。なお、「麒麟枠」の明確な定義はなく、事実上その大会で最も知名度がなく初出場の正規決勝進出組が「麒麟枠」に含められているということになる。そのため、敗者復活枠のうちの何組かは麒麟枠候補であったといえる。大会後期はあまり「麒麟枠」とは言わず、「ダークホース」「無印(ノーマーク)」「謎のコンビ」などと呼ぶことが多くなった。※余談だが、R-1の第5回大会ではなだぎと徳井という前年のM-1ファイナリストの2人が同点となり、決戦投票の結果4-1でなだぎが勝利。M-1での順位を逆転する結果になった。コンテストの優勝者は大抵オーソドックスな芸や基本的なネタで安定感のある芸人に対し、準優勝者はキャラクターや特徴などで勝ち上がるケースが多く、結果的には優勝者よりも準優勝者の方が人気が出て「準優勝者の方がブレイクする」というジンクスができつつある。その一例を挙げると、南海キャンディーズの山崎静代、オードリーの春日、およびスリムクラブの真栄田賢が、その一例である。特に、山崎はその後、単独でも、活躍の幅を広げ、俳優、アマチュアボクサーとしても活躍している。その後、準優勝者がブレイク後、優勝することも多い。決勝に残るほどの実力はなかったものの、予選に挑戦する様子がスポーツ新聞の記事等で紹介される話題性の高いコンビが毎年登場する。代表的なグループは以下の通り。このM-1グランプリで作られる限定ユニットに関して、お笑い評論家のラリー遠田は否定的であり、2006年に登場した「たむらけんじと竹山崎」を予選で拝見した際、練習不足の上に制限時間をオーバーし、しかもめちゃくちゃな漫才をしたので準決勝には進出できないだろうと思っていたが、しっかりと3回戦に進出していた。この事は「M-1ひいては吉本興業の話題作りに利用された」と著書に書かれている。また、10年を超えると出場資格が無くなるのを逆手に取り、名前や姿を変えて出場するコンビも登場している。例えば、第1回の時には11年目だった博多華丸大吉は、ある作家に「改名すれば、芸歴は1年目にリセットされ、出場できる」といわれて出場している。そして、コンビ「カンニング」も、「とんこつなんこつ」というコンビ名で、しかも覆面をして出場した(完全にばれていた)。これらに関しては、どう考えても汚い手で出場しているとして、ほとんどの芸人は行なわない。全てYOSHIMOTO WORKS (R and C) から発売。主なものとして、その年の大会の決勝戦や優勝記者会見、敗者復活などの特典映像を収録した『完全版』と、決勝戦で披露されたネタを3年分収録した『ベスト版』がある。『完全版』は2枚組となっている(レンタル専用では両A面の1枚になっている)。そのほか2007年に初回限定生産でリリースしたDVD-BOXや、2011年にリリースしたM-1グランプリ10年を記念したDVDがある。2010年版の初回限定特典には2円還元。これは、笑い飯が最終決戦で披露したネタ「小銭の神様」にちなんだもの。基本的に放送された内容はすべて収録されているが、一部の芸人のネタは著作権や表現の問題で編集されている。また、基本的にネタ前の芸人の紹介映像や登場する際のBGMは放送時とは異なる。以下にDVDでカットされた内容を示す。グループ名の右の数字は、ファーストラウンドの場合は (1)、最終決戦の場合は (2) である(最終決戦進出組のみ)。右端の列は、該当部分の映像・音声が完全にカットされている場合は「完全」、音声がカットされて映像のみが流れている場合は「音声」とした。第7回以外は毎年必ず1組はネタの一部をカットされている。ちなみに、「CM前のあおりで次に出番が来る芸人がポーズを決める部分」と「『最終審査結果の発表は、CMのあとで!!』と女性司会者が言い、上位3組がずっこけるリアクションを取る部分」は毎年カットされている(DVD版では、CMがカットされていて整合性がとれなくなるため)。また、第9回(2009年)はこれらに加えて、「芸人がネタを終え、舞台裏を通って司会の今田耕司・上戸彩がいる司会席まで移動するまでにする今田耕司のコメント」と「今田耕司が審査員に合図を出してから審査員が悩みながらも得点をつける様子を映した部分」、「ネタ審査終了後の審査員の一部コメント(東国原英夫の発言シーンは全て)」もカットされていた。これ以外に決勝進出者発表直後や決勝前に2時間の特集番組が毎年放送されている(タイトルは毎年異なる)。2005年までは決勝進出者のインタビューや予選の模様などを主にしていたが、2006年以降は前年大会の短縮版を再放送している。また、2007年はテレビ朝日制作の「アメトーーク」で紹介された。

出典:wikipedia

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