さいたま新都心(さいたましんとしん、)は、埼玉県さいたま市(旧浦和市および旧大宮市、旧与野市)にて東京都心機能の「新都心」となるべく企図された業務地区の名称。「さいたま新都心土地区画整理事業」として大規模な再開発が行われ、官公庁の関東地方出先機関などが進出している。なお、当地区の一部に含まれる同市中央区の町名としても、新都心が使われている。東京都区部以外で首都を補完し地域の中心となるべき都市「業務核都市」に旧浦和市・大宮市が指定されたことにより、両市および旧与野市の間にまたがって位置し1984年(昭和59年)に機能を停止した国鉄大宮操車場の有効活用として、政府閣議決定により再開発・土地区画整理事業が行われたものである。2000年(平成12年)5月5日に「街開き」が行われた。街開き後は埼玉県内でも有数のビジネス拠点となり、さいたま市の都市計画でも浦和駅、大宮駅と並ぶ主要ビジネスエリアとして指定され市により企業誘致が進められている。南北に走る東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線をはさみ、東側の地区(片倉工業大宮製作所跡地周辺、さいたま市大宮区吉敷町)と西側の地区(国鉄大宮操車場跡地周辺、同市中央区新都心)に分かれている。新都心整備事業では、「未来を担う新都心」にふさわしい都市基盤施設としてさいたま新都心駅、地上2階レベルで各施設を結ぶ歩行者デッキ、都市計画道路、区画街路、首都高速道路、ライフラインの共同溝、雨水の調整池などを重層・複合的に計画し、整備が進められた。2004年(平成16年)には20年間の有期限事業(後述参照)として、片倉工業大宮製作所跡地にコクーン新都心(現・コクーンシティ)が開業した。また、さいたま新都心合同庁舎には、政府機関(中央官庁)の関東地方を管轄とするほとんどの出先機関(各省庁の地方支分部局)、ならびに甲信越地方を管轄とする一部の出先機関が設置されている。他に民間高層ビル、さいたまスーパーアリーナ、けやきひろば等が立地する。現在の埼玉県さいたま市中央区新都心とされている場所は、さいたま市が成立する以前は合併以前の旧浦和市、旧大宮市、旧与野市が入り組んでおり、新都心まちびらき後も2003年の政令指定都市移行まで町名は、浦和市上木崎一丁目、大宮市北袋町一丁目、ならびに与野市上落合二番地とされていた。政令指定都市移行に伴い区が設置され、東北本線より西側の全区域が旧与野市域とともに中央区に編入され、東側は大宮区となった。また同時に、旧市の町名が混在していた西側地区が「さいたま市中央区新都心」に統一された。街区の位置と所在施設を解説する。太字は施設番号である。※E-17・18は新都心の再開発区画外であるが、片倉の敷地内であるため案内では含まれている。※この他さいたま市中央区にさいたま地方法務局と東京入国管理局さいたま出張所があるがこれらはさいたま新都心の区画外(さいたま第2法務総合庁舎、中央区下落合5丁目)にある。街区を分ける各道路は、ほとんどが完成4車線(一部暫定)で整備されており、ライフラインの地下共同溝および雨水貯水槽も道路地下に建設された。また同時に、新都心周辺の国道・県道・市道の拡幅整備と共同溝整備が進められている。さいたま新都心の各主要施設は、2階レベルで設置された人工地盤およびペデストリアンデッキ(歩行者回廊)で結ばれており、新都心の特徴のひとつになっている。デッキは南北方向に「大宮ほこすぎ橋」から「さいたまスーパーアリーナ」の外周、「けやきひろば」を経て、「ランドアクシスタワー」、合同庁舎1号館・2号館・検査棟、「ブリランテ武蔵野」、「ラフレさいたま」、さいたま新都心郵便局、日本郵政さいたまビルまでを結んでおり、1街区から8-3街区まで地上の道路を歩かずに通行できる。また東西方向には、「けやきひろば」からさいたま新都心駅を経て「コクーンシティ」・コクーン1駐車場のある16街区まで、および北与野駅まで北与野デッキが延びており、新都心の街区のほとんどを網羅する空中回廊を形成している。街区内の公園である地上の「月のひろば」「せせらぎの丘」とは一体化している。デッキや通路、これらの公園には、「アートの街さいたま」を目指して、彫刻等の様々なアートが屋外展示されている。ほとんどのデッキには部分的に屋根が設けられており、雨天でも傘を差さずに歩けると同時に、デッキの全てを屋根で覆わないことで、開放的に作られている。また一部の歩行者通路はビルと一体化している。要所には地上とを結ぶ階段の他エレベーターが設置されている。2011年(平成23年)より、埼玉県とさいたま市は、8-1A街区において、同市中央区のさいたま赤十字病院(605床)と岩槻区の埼玉県立小児医療センター(300床)の移転を行っており、2016年度内の完成・開院を目指している。当時、両病院とも2015年度までの老朽更新・耐震化が必要とされていること、県南部の高度医療(3次救急)を担う赤十字病院と、小児医療専門病院を隣接して設置することで地域医療の充実を図ること、東日本大震災を受け、防災基地機能を持ち、大規模避難施設となる「さいたまスーパーアリーナ」や、国の官公庁が入る合同庁舎が並ぶ地域に災害拠点病院の赤十字病院などを置くことで、被災者への迅速な救急救命医療を実施するなど、広域防災拠点の強化につなげること等を目的として、統合移転に近い形で、さいたま新都心に移転設置することとした。敷地の北側(1.4ha)に赤十字病院(地上14階地下1階、高さ78m)、南側(1ha)に小児医療センター(地上13階地下2階、高さ70m)が置かれる。両病院は別の建物となるが、地下1階から2階、4階から6階が渡り廊下で連結される。1階には救急車搬送に対応した救急救命設備を別個に置く。外来受付は2階に別個に置くが、外来用エントランスは、他の街区や駅に接続するペデストリアンデッキに面した、両病院の間に置いて共用する。また2階には、新都心の賑わい創出に貢献するため、デッキに面して店舗を併設する一方、デッキ自体は災害時のトリアージの実施スペースとするため、広く確保される。両病院共に4階に手術室、6階等に会議室や図書室、研修施設を合わせて設置して、双方の医師やスタッフの連携を行う。院内保育所、職員の食堂やラウンジは共同利用とし、地下1階のサービス車両動線も共用する。それぞれの上層階に置かれる一般病室は、赤十字病院が632床、小児医療センターが316床にそれぞれ拡充する。また一部屋あたりを拡大し、バルコニーやテラスを緑化、屋上庭園の設置などを行い、居住性を改善する。患者の家族用宿泊室も増加、外来用待合室やラウンジも拡大する。赤十字病院の屋上にはヘリポートを設置し、救急・防災ヘリコプターで運ばれるような特殊な患者に対応し、救命集中治療室(ICU)を増強して、高度救命センターを目指す。また一般病室の個室化の拡大、がん治療能力の拡大が行われる。小児医療センターには埼玉県施設として、現在の小児医療センターに併設されている特別支援学校の機能移転、発達障害児支援施設の設置、県総合医局機構の設置、埼玉県立大学大学院のサテライトキャンパス設置、救急救命士養成所の設置、災害時の被災者支援機能(被災者救済のための情報収集・関係各署との事務調整)の設置が行われる。新都心の「シンボル的な業務商業地区」としていた8-1A街区(南側中核施設群、都市再生機構が約1.46ha・埼玉県が約0.74ha・さいたま市が約0.2haを保有する約2.4ha)は、まちびらき以前よりシンボルとなる超高層ビルの構想があり、1998年(平成10年)には県が高さ531mの超高層ビルの建設構想を発表したが、景気低迷で実現せず、まちびらきから10年以上も空き地のまま、臨時駐車場とされてきた。埼玉県、さいたま市は2004年(平成16年)に、地上デジタル放送用の600m級電波塔「さいたまタワー」の誘致活動を開始し、東京都墨田区とともに有力候補とされていたが、地上の住宅等への電波障害が約14万世帯に及ぶと想定され、これは墨田案より約7倍の規模に達し、その対策費用もより巨額になることなどを理由に落選、2006年(平成18年)3月31日に在京民放6社とNHKが東京都墨田区の東武鉄道本社隣接地の貨物駅跡にタワー(東京スカイツリー)建設を決定して、白紙となった。さいたまタワーの選考に敗れた後、埼玉県・さいたま市・都市再生機構はシンボル高層ビルを各企業団に対して募集した。「MNDさいたま」(三菱地所・新日鉄都市開発・大栄不動産の三社によるグループ)、三菱商事・丸紅グループ、大和・オリックス不動産グループの三者の提案を受け、2008年(平成20年)5月20日に「MNDさいたま」の提案に決定した。開発主体として、「MNDさいたま」を構成する企業グループが出資する「さいたま新都心開発特定目的会社」が設立され、また構成企業として鹿島建設が新たに参加した。当初、2009年(平成21年)12月の着工、2012年(平成24年)12月の竣工予定だったが、高層ビルの計画変更(後述)により2013年(平成25年)5月の竣工に延期、次いでさいたま市長交代によって市の計画が不透明になり(後述)、着工が1年前後遅れることとなった。2008年末からの大不況(所謂リーマンショック)により、企業グループは計画の見直しを求めた事から、2010年(平成22年)6月まで県・市・機構・企業グループの間で協議が行われてきたが、企業側が規模を大幅に縮小することを要望したため合意に至らず、同年7月5日に計画の白紙撤回が発表された。4街区の北東角地(NTTドコモさいたまビルの隣)は、JR東日本により、ホテル、オフィス、商業施設等が入居する複合ビル「さいたま新都心ビル(仮称)」が建設中である。計画は2014年11月に発表され、2015年5月に着工、2017年初夏開業予定となっている。ビルは地上95メートルで、地下に駐車場、1階に保育所、歩行者デッキのレベル(2~4階)に商業施設、中層の5~10階にホテル(メトロポリタンホテルズ)、高層の11~18階にオフィス(プロジェクト参画の大和ハウス等が入居)、最高層の19、20階にブライダル施設を配する。かつては、JR東日本が「(仮称)さいたま新都心ホテル」として25階建て・高さ100mの高層ホテルを建設する予定であり、当初計画では2001年(平成13年)着工、2003年(平成15年)の開業を予定していた(当時発行の地図にも建設中として描かれている)が、着工直前に中断、以後は空き地のまま放置され、資材置き場となっていた。新都心6街区と新幹線・埼京線高架橋をはさんで西側の区画(中央区上落合地内、1.4ha)は、新都心の都市計画道路新設にあわせ、埼玉県による区画整理事業が行われた(事業期間1998年〜2001年)。新都心と先行して区画整理・再開発が進められた北与野駅周辺地区(アルーサ北与野)の間をつないで、一体化した都市を形成している。ただし、電線の地下化は行われていない。地区内には以下の施設がある。新都心8-3B街区と西大通りを挟んで対面した西側一帯の地区(浦和区上木崎1丁目、4.1ha)では、2002年(平成14年)まで存在した日本信号与野事業所跡地周辺で、区画整理組合施工により土地区画整理を行った(事業期間1999年〜2003年)。地区内に以下の施設がある。新都心東側地区の南側(大宮区北袋町、三菱マテリアル総合研究所跡、約15.2ha)では、新都心との一体的整備を目指し、三菱マテリアル自社単独による「北袋町1丁目土地区画整理事業」(事業期間2015年~2017年度)が行われている。総事業費は約47億円。都市再生機構が事業コーディネーターとなっている。区画整理事業対象は跡地のうち約11.7haで、このうち南側の約2.5haを自社用地とする他、さいたま新都心駅に近い西側の旧中山道側約6haを民間向けの商業・業務地区、北側の約1.5haを市の公共公益施設(バスターミナル等を計画)、その東1.7haを防災都市公園の整備用地に当てる方針である。区画街路の新設と周辺道路の拡幅、街区公園の整備も行われる。事業対象は、先行して売却した造幣局と埼玉県警察用地、及び都市再生機構が整備する防災都市公園(完成後に市へ譲渡)を除くが、地区計画においては、これらを含む跡地全てが対象となっている。2000年(平成12年)に三菱マテリアルより、研究所の整理縮小と再開発の方針が発表されたが、研究所敷地から放射性物質が検出された(大宮原子炉跡地放射性廃棄物汚染)ため、長期間の土壌浄化が実施された。三菱は当初、敷地の北半分を再開発する方針であったが、汚染が敷地全体に広がっていたことから、業務を大幅に縮小して敷地内の建造物の大半を撤去し、土壌浄化を行った。2012年(平成24年)度に浄化を終え、自社用地(約2.3ha)を除く敷地の大半を売却する方針を発表した。同年9月には、敷地の東部を造幣局と埼玉県警に売却した。2015年(平成27年)3月30日に自社単独による土地区画整理事業が都市計画決定し、6月5日に事業計画が決定して着工した。9月29日には、しまむらが商業・業務地区のうち1.5haを89億円で取得した。この間、暫定活用として、2014年(平成26年)から自転車レース「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」のイベントに、敷地を提供している。2016年(平成28年)9月の「九都県市合同防災訓練」でも利用された。また2015年3月に、敷地を南北に貫く道路の予定地に、仮設の歩行者道路が開放された。2016年(平成28年)時点で、以下の施設が設置、または設置予定である。なお、「シティテラスさいたま新都心」の南端から「ビバモールさいたま新都心」の間は、西大通り沿いに、周辺住宅地との境界フェンスが設けられている。
出典:wikipedia
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